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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

One of a kind

SS『One of a kind』



 月明かりが夜の世界を照らす頃、白き影がかつて魔王を名乗った男の居室を訪れた。
 大魔王バーンが部下のハドラーに名酒を下賜するとのことで、ミストバーンが届けに行ったのだ。
 人並み以上に酒を好むハドラーは目に喜色を浮かべながら受け取った。
「おお、ありがたい。この酒は確か――」
 言葉が不自然に途切れる。一瞬ハドラーは目を閉じ、すぐに瞼を開いた。
 眉間には皺が刻み込まれている。
「……ハドラー!?」
 ハドラーは顔をしかめているだけだが、御下賜品に触れている指は震えている。それを見ればどれほどの苦痛を味わっているか、容易に想像がつく。
 息詰まる沈黙の後、ミストバーンは口を開いた。
「改造の反動か」
「……だろうな」
 返答までに間があった。痛みの波が過ぎるのを待ったのだろう。
 無言の視線に、案ずるなと言いたげに男は相好を崩す。
 激痛に苛まれ、不安や焦りを抱かないはずがない。それでもハドラーは不敵な笑みを浮かべている。

 ハドラーが腰を下ろしたのは部屋の中央の仰々しい椅子ではない。部屋の隅にある簡素な丸い椅子だった。
 向かい側にもう一つ椅子があり、ミストバーンが座っている。両者に挟まれたテーブルは儚げな照明に照らされ、薄らと光を反射している。
 ハドラーの前には彫刻の施されたグラスがあり、酒が並々と注がれている。
 ミストバーンの方は酒や食事を必要としない体質のため、何も置かれていない。
 ハドラーはこのタイミングでミストバーンを前に一人だけ飲む気は無かったのだが、鋭い眼光とともに「……飲め!」の二字で押し通されたのである。
 強引な態度にやや困惑したハドラーだが、「大魔王様が『激戦が近いのだから、英気を養うように』と仰せだ」と補足されたことであっさり納得した。
 味わってみたハドラーは吐息を漏らした。
「なるほど。力が湧いてくるようだ」
 味が優れているだけでなく、生命力を増幅させるらしい。勝利を祝して飲むつもりだったが、戦闘前に飲むよう勧められたのも頷ける。
「大魔王様には、本当によくしていただいている……」
 鈍い痛みが和らぎ、ハドラーはしみじみと呟いた。
 表情から苦痛の色が薄れたのを、ミストバーンは感情を窺わせない目で凝視している。黒い霧の中に浮かぶ光は温度を感じさせないが、見つめられてもハドラーは動じない。

「元の体を捨てたはずだが、嗜好は残っているものだな」
 冗談めかした口調に対し、ミストバーンの方は真剣に応じた。
「捨てる、か……私には真似できんな」
 彼が捨てた物を欲しがる魔族はいくらでもいるだろうが、ハドラーは表情で未練はないと告げている。
 生まれ持った体を捨て、生命を削ってでも高みを目指す姿に、眩い炎を連想する者も多いかもしれない。
 感嘆とも憂慮ともつかぬ声音に、ハドラーは冷静な面持ちで頷く。
「ああ、立場が違うからな」
 一回の戦いに全てをぶつけ、敵に打ち勝つことができれば、この身がどうなろうと構わない。たとえその場で命を喪おうと悔いはない。そのような捨て身の覚悟は爆発的な力を生むが、己の未来をも粉々に砕きかねない。
 一戦に集中すればいい者と、長い間戦い続けねばならない者とでは、必要とされる心構えは異なってくる。
 大魔王の腹心の部下たるミストバーンは、主を危険に晒す選択は取れない。
 ハドラーは、相手の「真似できない」という言葉はそういった違いから生まれたと解釈したのだ。
 特に訂正もされなかったため言葉を続ける。
「以前のオレならば考えもしなかっただろう」
 せっかく与えられた地位や長い長い寿命が約束された体を、ただの意地で捨てるなどとんでもないと首を横に振っただろう。
「……あの頃は、美味いはずの酒を飲んでも味がしなかった」
 いつ自分の地位を奪われるかと常に怯え警戒している状態では、酒や料理の味など分からない。
 落ちるところまで落ち、腹をくくって、ようやく自分を押し潰しかけていた世界が色彩を取り戻した。
「オレは……奴らの宿敵に相応しい戦士になれただろうか」
 静かな問いは、話し相手ではなく己に向けたかのようだ。
 手ごたえはあるが、まだだ、もっとと己を駆り立てる声がする。おそらく命が尽きる時までやむことはないだろう。
 その声は決して忌まわしいものではない。
 敵手に相応しくなりたい。己がどこまでいけるか知りたい。そういった衝動から生まれたのだから。

 肯定の代わりに小さく頷いた後、ミストバーンは口を開きかけた。
 喋ろうとして、動きが止まる。自分でも意外だったのか、ミストバーンの眼光が明滅した。
 尊敬に値する。
 その一言で済むのに、違和感がそれを押し留めたのだ。
 鍛え強くなった者に敬意を抱いたことは数え切れない。逆に、他人の力を当てにして自ら動こうとしない連中に嫌悪を感じたことも。
 それらを口にする時は、湧き上がる感情にまかせて言葉をぶつけてきた。
 尤も、主である大魔王バーンに対しては、言葉にしきれず、伝えきれてもいない。
 出会った時すでに最強の力を身につけていたが、そこに至るまでにどれほどの鍛錬と死闘を重ねたか。筆舌に尽くしがたい苦難を乗り越え、夥しい流血と屍の果てに辿りついた境地のはずだ。
 器なしにはろくに力も振るえない影など、彼は一顧だにしないはずだった。
 何もかもが違う――違いすぎる相手が己の能力を必要としたことに、天命を感じずにはいられなかった。
 遥かな高みにいる者が地を這う存在に手を差し伸べた衝撃は計り知れない。
 その瞬間の、初めて陽光に照らされたかのごとき感覚は、今もなお鮮明に心に焼き付いている。
 迸る感情を全て言葉に変換し、表現しきることは不可能に近い。
 主という特殊すぎる例を除けば、思ったことをそのまま告げたことは何度もある。
 部下や仲間の戦いぶりを称賛して。
 あるいは、敵の健闘に敬意を表して。
 ハドラーに対してもそうすればいい。立派な戦士であることに疑問の余地は無い。
 今までと何ら変わらない行為だ。

 気が遠くなるほどの年月の中で出会った戦士達と、目の前の男は何か違うのか、見定めようとするかのように眼光が細くなる。
 彼ほどの実力者は少ないが、いないわけではない。現在ではアバンの使徒達がそうだ。
 同じ陣営に限定するとほぼいなくなるが、それだけでは理由にならない。竜の騎士バランもそうだったのだから。
 対等な立場と言うならば死神がいる。敬意と表現するには違和感があるが、大魔王相手に堂々と振る舞う度胸に感心したのは事実だ。
 違いがどこにあるかを探してミストバーンは深緑の面に視線を向けた。
 ハドラーはゆったりと腕を組み、視線を受け止める。
 かつては不気味がっていた相手の無に近い表情と沈黙を、今はごく自然に受け入れている。
 その姿を目にしたミストバーンの脳裏に浮かび上がったのは、大魔王に謁見する前の会話だった。
 保身ばかり考えていた頃は、ミストバーンに向ける視線や声音には恐れと不信が混ざっていた。
 秘めている力も、大魔王からの信頼も上。なおかつ表情や台詞から考えを読めない相手とくれば、疎むのも当たり前だろう。
 ミストバーンだけではない。
 恐ろしい主に、処刑をほのめかす死神。ろくに団結せず、いつ牙を剥いてもおかしくない仲間や部下。凄まじい速度で強くなり、己を脅かす使徒達。
 誰も彼もが恐怖の対象だった。
 声にこめられた感情が精神面の弱さを象徴していた。
 だが、謁見前、背を向けて語る彼の声には今までにない力強さがあった。
 処刑される可能性もあるというのに満足げで、以前の彼からは考えられない変化だった。
(初めてだ)
 肉体の強さを殺してしまうほど心に脆さがあったというのに、強化された身体をも上回る勢いで精神の強さを得て、真の戦士となった男は。

 かつて怯え疎む気持ちが見え隠れしていた声が、全く別の感情を湛えている。
 それだけでも驚くには十分だが、さらなる衝撃が影を襲った。
『お前には、その沈黙の仮面の下に流れる熱い魂を感じずにはいられん』
 魂が認められる日がこようとは夢にも思わなかった。
 忌み嫌っていた能力を認められただけで充分だ。それ以上何を望むのだろう。そう考え、全く期待していなかった。
 そもそもそんな日が来る可能性など、意識すらしなかったと言う方が正しい。
『おかげで最後に格好がついた……ありがとう!』
 感謝にしても同様だ。
 力を貸すのも借りるのも戦力の都合にすぎず、大魔王のため――魔王軍の勝利のためという目的でつながっているだけの関係。少しでも弱みを見せれば容赦なく食いちぎられる、暗く血塗られた世界。棘のついた鎖のごとき絆。
 そこに感謝の念が入り込むとは予想だにしなかった。
 軽い気持ちでの発言ならば、ないわけではない。だが、処刑されるかもしれない時に、心の底から告げる者がいると誰が想像できただろう。
(……初めてだった)
 熱い魂と評されたことも。真摯に礼を述べられたことも。
 おそらくは、二度とないだろう。
 ハドラーの言葉を聞いた時、苦しみに似た何かが暗黒闘気の身を走った。不快ではない感情が心を明るく濁らせた。
 苦痛に限りなく近く、遠くもある感覚を味わうことは今までなかった。

 いつも通り、敬意を払う、の一言で片付けられない理由。
 それは相手の心境の変化に――そこから発せられた言葉にあるのか。
 ミストバーンの眼光が翳り、深く、深く、己の心を探ろうとする。
 どう語れば、心情を伝えることができるのか。
 不死身の体を捨て、大幅に力を増した肉体をも凌駕するほど心が強くなった、比類なき戦士に。
 生涯聞くことなどないと思っていた言葉をかけてきた、唯一の相手に。
 言葉を探すミストバーンに合せるように、ハドラーもまた思索に耽る。
 居心地の悪くない沈黙が流れてゆく。

 やがてミストバーンは黙考を一旦打ち切った。
「難しいな……相応しい言葉を見つけるのは」
 ハドラーは軽く目を見開いた。沈黙を常とする男が、何かを語ろうとして長い間言葉を探していたのが意外だった。
 珍しいものを見たような反応にミストバーンは気づいていないのか、テーブルの酒瓶と杯に視線を向けて呟く。
「酒に酔うことができれば、舌も滑らかに動くかもしれんが」
 酔って饒舌になった姿を想像してみたハドラーは微苦笑を浮かべた。
「無理に喋ることもなかろう。そこまで拘らずとも十分ではないか?」
「こればかりは、出来る限り伝えたいのだ」
 ハドラーの眉が興味を示すようにわずかに動く。そうまでして語りたい内容が気になったが、ここで追及する気はない。
 再びグラスを持ち上げ傾けると、血のように深い色の液体が喉を滑り落ちていく。
「……戦いの後は、この酒の味も変わるだろうな」
 軽く杯を揺らしたハドラーに、ミストバーンが淡々と言葉を紡ぐ。
「バーン様は仰っていた。『勝利の美酒は喩えようもなく味わい深い』と」
 ハドラーは無言で続きを促す。
 一瞬の空白の後、ミストバーンは声に力を込めて言葉を発した。
「聞かせてくれ。その味を」
 本来持っていた身体を捨ててまで得た力で、宿敵に勝利した時の感慨を。
 高みへ上ったという実感が、目に映る世界をどう彩るかを。
「……ああ」
 言外に含まれた意味を悟り、ハドラーは愉快そうに笑う。
 戦い、勝て。
 そう言っている。
 もちろん「大魔王の敵を倒せ」という意図があっての言葉だが、それだけではない気がした。
 大魔王のため。
 魔王軍のため。
 そして――。
「フッ……」
 戦う相手は、恐ろしい速度で成長し続ける勇者達。いくら意気込もうと勝利が確定するわけではない。
 力及ばず命を落とす可能性を踏まえたうえで、ハドラーは答えた。
「鮮明に伝わるよう心がけよう。ミストバーンよ」
 軽く杯を掲げてみせ、にやりと笑う。
 ミストバーンはしばし黙った後、立ち上がる。そのまま背を向け歩み去ろうとしたが、わずかに振り返り言葉をかける。
「杯を乾す暁には、私も言葉を用意しておこう。……ハドラー」
「ほう。影の男が何を語るか、楽しみにしておく」
 歩み去るミストバーンの表情はハドラーには見えないが、微かに笑っている気がした。

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