SS『Dignified eagle』
※大魔王初戦でポップ達を逃がしたハドラーがバーンと対峙する。
二種の展開に分岐。
勇者一行がかろうじて大魔王から逃れた時、反逆者が大魔王を追い詰めていた。
大魔王が勇者との戦いで使用した光魔の杖。それは莫大な破壊力を発揮するが、代償として消耗を早める諸刃の剣であった。
一番の部下のミストバーンは親衛騎団のヒムとシグマ、ブロックを、キルバーンは女王アルビナスを牽制しているため動けない。大魔王は光魔の杖を使用したことにより消耗しており、大将同士の一騎打ちでは死の淵から蘇ったハドラーの方が有利だ。
大魔王に刃を向けているというのに、ハドラーの心に恐怖はほとんどなかった。魔軍司令時代にあれほど恐れ続け、超魔生物と化した後も器の違いを知らされたというのに。
相手が消耗しているからではない。
どうしても譲れぬものがある。それだけだ。
処分されかけたことに憤ったのではない。一時は処刑されることも覚悟したのだから。
最も望み、大魔王も認めたはずの戦いを汚されたことが許せなかった。
全ての力をアバンの使徒にぶつけるまでは、己が死ぬわけにも、彼らを殺させるわけにもいかない。
邪魔する者は、誰であろうとも斬る。
全身から放つ魔炎気を練り上げる。銀の髪が逆立つ。
ハドラーは剣に闘気をこめて地を蹴った。
渾身の必殺技、超魔爆炎覇。
大魔王と元魔王の視線が交差する。
どちらも空の王者のごとく鋭い、苛烈な双眸。
疾駆するハドラーの眼には二つの未来が映っている。
この場を切り抜け、勇者達との最後の戦いに挑むか。
大魔王に敗れ、生命ごと望みを絶たれるか。
【right eye】
光魔の杖による防御は間に合わない。
覇者の剣に切り裂かれた大魔王は目を見開き、膝をついた。首をはねるため振り下ろされた刃をかろうじてかわす。
「……ッ!」
ハドラーは背に冷たいものが走るのを感じた。
あと一撃で命を奪えるはずなのに、大魔王の口元には笑みさえ浮かんでいる。
とどめを刺そうとするより早くバーンは口を開いた。
「認めよう、遊びすぎておったことを。まさか日に二度も許可を与えることになるとは、な」
ミストバーンが弾かれたように顔を上げ、主の惨状に息を呑んだ。眼光に鬼気が宿り、膨れ上がる怒気と殺意に空気が震える。
「バーン様!」
「許す」
ミストバーンは瞬時に陣を解き、主の元へと飛んだ。無防備になった隙にシグマとブロック、ヒムが攻撃を仕掛けるがミストバーンは全く顧みない。
甲高い音とともに、覇者の剣を受け止める。首にかけられた装飾品で。
美しく輝くそれはピシピシとひび割れ、真っ二つに砕け散った。
今再び、ミストバーンの封印が解かれた。
腰まで届こうかという白銀の髪に、生命の活動を感じさせない整った相貌。一見ただの人間のようだが、放たれる力は先程とは比べ物にならない。閉ざされた瞼の裏では激怒の炎が燃えているだろう。
「許さぬ……!」
ハドラーにとって譲れぬものがダイとの闘いの決着であるならば、ミストバーンにとっては大魔王への忠誠がそれにあたる。
ハドラーの表情がかすかに歪む。
かつては魂を認めた。誠意を感じ、感謝の言葉を述べたこともあった。
しかし、もう道は隔たってしまった。ミストバーンの答えを聞いた時から。
答える前の沈黙と眼の光に葛藤を感じた気がしたのは、錯覚だったのか。確かめる機会は永遠に失われ、二度と戻らない。
ミストバーンが拳を握りしめ、一歩踏み出した。繰り出された拳を剣で受けるが、外見からは想像も出来ぬ膂力に圧される。暗黒闘気もろくにこめていないというのに、凄まじい力だ。攻撃も殴る蹴るといった単純なもの。それなのに自身もダイも、大魔王さえ敵わないような強さだ。
それでも退くわけにはいかない。斬りつけるが、掌で受け流される。
体勢を立て直し斬りこむと、切っ先が頬に突き刺さった。
傷一つつかない。それどころか、オリハルコンでできた剣が欠けた。
超魔爆炎覇を放っても、絶対的な防御は破れなかった。剣が半ばから折れ飛び、切っ先が地に突き刺さる。反撃の拳が叩きこまれ、苦痛に一瞬呼吸が止まる。
親衛騎団は必死にキルバーンと大魔王を抑えている。もっとも、大魔王は超魔爆炎覇の傷を癒すため後方で回復に専念している。大魔王に参戦されたら勝ち目など無くなるため今のうちにミストバーンを倒さねばならない。部下の忠誠に、奮戦に、応えねばならない。
ハドラーはミストバーンを真っ直ぐ見つめた。
全身からエネルギーが噴き上がる。燃やすのはただの闘気ではない、己の生命そのもの。命を維持する力をも使い、倒すつもりだ。
ミストバーンの表情が変わる。いかなる攻撃も通さぬはずの体が震えた。
「受けよ、このオレの生命を振り絞った一撃を!」
ミストバーンは命を懸けた攻撃を避けようとはしなかった。
拳を強く、強く握り、高速で払う。視認できぬ速度の掌撃は炎をも巻き上げ、優雅な翼を思わせた。
渾身の一撃を弾かれ、体勢を崩されたハドラーへ手刀が迫る。
致命のタイミングに反応できない。
死を覚悟したハドラーの眼が見開かれた。
ブロックの巨大な体が弾け、中から細見の兵が飛び出したのだ。考えられぬ速さで動き、主と入れ替わる。
「何ッ!?」
ハドラーと親衛騎団は無数の欠片に包まれ、遠くへ移動していた。キャスリングと呼ばれる、城兵の駒から作られた彼だからこそ使える能力。
恐ろしい威力の手刀が直撃したためブロックは胸を砕かれたが、その顔には笑みが浮かんでいた。主と仲間を逃がすことができたという満ち足りた想いで。
部下の名を叫ぶハドラーの声が響くと同時に、ブロックは爆発した。
邪魔者はいなくなったと確信した大魔王は宣言した。
「行くぞ……皆の者よ。世界に破滅をもたらすために」
背を向け、歩み去る主。それに従うキルバーン。ミストバーンはすぐには動かず、静かに立ち尽くしていた。
【left eye】
「……お前は」
ハドラーが苦い顔をする。
覇者の剣は受け止められていた。金属に包まれ、鋭い爪を備えた手で。
立ちふさがったのは魔王軍最後の幹部、ミストバーン。
足止めしている相手を放って陣を解き、主の前に飛び込んだため背に攻撃を受けている。シグマの爆裂呪文やヒムの拳をまともに食らい、焦げた青白い衣が煙を上げていた。
そのような状態で渾身の一撃を完全に防ぐことは難しい。押され、体勢を崩したところにハドラーの追撃が迫る。
かろうじて拳で跳ね上げたが、一度攻勢に入ったハドラーは止まらない。勝機を逃すまいと続けざまに剣を振るう。
主に加勢しようと拘束から解放されたヒム達が疾走するが、大魔王が軽く掌を差し伸べると弾き飛ばされた。光魔の杖に莫大な魔力を吸われたため、強烈な闘気を叩きつけるハドラー相手だと不利だが、親衛騎団級の相手ならば対処は容易い。
それでもヒム達は諦めない。アルビナスとキルバーンも膠着状態から脱したため向かい合い、互いに攻撃を放つ。
大魔王がハドラーとミストバーンの戦いに加わらないよう親衛騎団が注意を引くなか、覇者の剣と爪の刃が激突する音が何度も響き渡り、空気を痛いほど震わせる。
危うい均衡が崩れる瞬間が訪れた。
流星のように燃え上がる力に圧され、後退したミストバーンへとハドラーが得物を叩きつける。
「超魔爆炎覇!」
「ぐ……!」
まともに袈裟切りを浴びた魔影参謀の身体がぐらりと揺れた。切り裂かれた個所から黒い霧が散り、姿を隠す幕が薄れ、わずかに開いた口を映す。
よろめき、地に膝をついた相手を見下ろすハドラーの表情は硬い。強敵を撃破するという達成感や喜びはどこにも見当たらなかった。
ミストバーンの口が小さく動く。
「バーン、様」
囁きはかすれていたが、主の耳には届いた。
「許す」
どこか苦々しげな声に、魔王軍の幹部が怯えたように身を震わせた。その手が動き、赤い珠のついた首飾りを掴む。
ハドラーが目を見開く。
もはや勝負は決していたはずだった。
だが、ミストバーンには隠された力がある。黒の核晶を爆発させるために見せた姿が何を意味するのか見当もつかないが、奥の手を使われる前に倒さねばならない。
振り下ろされた剣は首飾りで止められた。
ガラスの砕けるような透明な音が耳を震わせ、消える。亀裂が生じ、美しき装飾品は真っ二つに割れた。
今再び、ミストバーンの封印が解かれた。
閉ざされた双眸が面に据えられただけで、息苦しくなるような圧力がハドラーを襲う。
人間の青年かと見紛うほど肌の色は薄く、尖った耳が魔族であると証明している。長い髪や整った相貌はハドラーも一度目にしている。この状態になれば、力は比べ物にならないことが感じられる。
立ち上がる動きは滑らかで、己の勝利をいささかも疑っていない。
相対した二人の間に重い沈黙が流れる。
片や恥も外聞も捨てて時間稼ぎを頼み、相手の誠意を感じ、率直な感謝の言葉を述べた男。片や時間稼ぎを引き受け、相手の身を案じ、生き延びることを心から願っていた男。
勇者達の言葉を借りて表現するならば、絆があったかもしれない。
しかしすでに失われ、道は隔たってしまった。
片方が主への忠誠を優先し、相手を切り捨てることを選んだ瞬間に。
ハドラーにとって譲れぬものがダイとの闘いの決着であるならば、ミストバーンにとっては大魔王への忠誠がそれにあたる。
最上とするものが違うため、刃を向け合うこととなった。
鈍く光る掌を突きつけると掌圧が巨躯を軽々と吹き飛ばした。暗黒闘気を使っているわけでもないのに恐ろしい強さだ。余裕さえ感じさせる物腰で歩み寄る青年から膨大な殺気が吹きつける。
繰り出された刃を受け流し、拳を叩きこむ。腕で防御したが、重い衝撃に剛腕が痺れた。外見からは考えられない膂力だ。
殴る蹴るといった単純な攻撃も、大魔王をも超えるであろう力を発揮されれば脅威となる。
闘志は衰えず反撃を浴びせるが、刃が身体を抉ったはずなのに血は出なかった。重傷を負うどころか、かすり傷一つついていない。諦めずに幾度も切りつけるが、オリハルコン製の得物が傷むばかりだ。
いかなる武器も通じないかのように。
ハドラーはいったん距離を取り、呪文を放った。
爆裂呪文をばら撒き、煙を縫うようにして敵の身体に鎖を巻きつけ、さらに撃ちこみ続ける。拘束を解きながら両腕を広げ、魔力を高めながら手を組み合わせ、前方に突き出す。
閃熱系の極大呪文が叩きつけられ、轟音と閃光が生じた。
防御に集中せず食らえば、いかなる魔族もただでは済まない。
「嘘、だろ?」
兵士の口から呟きがこぼれた。
巻き起こった煙の中から足を踏み出す青年は、無傷だった。
強く地を蹴り、一瞬で距離を詰めて殴りつける。
「が……!」
「ハドラー様ッ!」
血塊が口からこぼれ、悲痛な叫びが金属戦士たちの口から迸った。ヒムやアルビナス、シグマが動こうとするが、大魔王と死神が不敵に笑い行く手を阻む。
大魔王は最高の機動力を誇る駒を相手にしようとはせず、ブロックを見据えている。
「女王はいいんですか?」
「城兵から生まれたならばキャスリングの能力を持っているかもしれん」
「な~るほど。何度も逃げられたら示しつきませんからねェ」
キャスリングとは、王と己の位置を入れ替える城兵特有の能力だ。主の危機を救えぬよう破壊するつもりだと知って、キルバーンは納得したように手を叩いた。
いかに消耗しているといえど大魔王が相手では――そこに死神も加われば、厳しい戦いとなる。主の加勢どころか猛攻をしのぐことさえ難しい。
白銀の戦士達は地に倒れ、主であるハドラーも苦戦を強いられていた。
弾丸――否、砲弾のように凶悪な破壊力をもって叩きつけられる拳を捌き、剣で突くが、攻撃は一切通じない。
とうとう覇者の剣の刀身が半ばから折れ飛び、切っ先が地に突き刺さった。
生じた隙を見逃さず、ミストバーンは肘を胸部に叩きこんだ。呼吸とくぐもった声が絞り出され、顔が苦悶にゆがむ。青年は動きを止めることなく流れるように身体を捌き、体重を乗せた膝蹴りを食らわせた。
最強の金属さえ容易く砕くであろう容赦のない一撃が突き刺さり、たくましい体躯を吹き飛ばした。
「かは……っ!」
口から溢れる血を拭い、精彩を欠いた動きながらも体勢を立て直したハドラーへ凍てつく宣告が届く。
「早く、死んでくれ」
ハドラーは何も言わずに声の主を見つめた。
整った面は風の無い日の湖面のように静まり返り、感情を覗くことはできない。言葉を交わした過去など存在しないかのように、表情は透明だ。
堂々たる体格がぐらりと揺れ、先ほどとは逆にハドラーが地に膝をついた。
ほんの数度打撃を受けただけで身体は悲鳴を上げている。埋め込まれた黒の核晶によって生命を蝕まれ、血肉と化していたそれを抜きだされたことで肉体は限界を迎えつつある。体中から軋む音が聞こえるようだ。
キルバーンは耳を澄ませるような仕草をしてから指を軽く弾いた。
「楽にしてあげようか?」
苦しむ者にとどめを刺す瞬間は何物にも代えがたいと思っている死神の台詞に、ハドラーは俯いた。
肯定ととったキルバーンが一歩一歩足音を立てて近づき、これ見よがしに鎌を光らせる。
鎌を振りかざした刹那、たくましい腕が振り抜かれた。
剣は折れているはずなのに胴体を深々と切り裂かれ、仮面の隙間から呻きが漏れる。
大魔王の目が興味深げに光り、感嘆ともとれる声が吐き出された。
「生命の剣か」
己の生命力を燃やし、武器と化した。生命を削った代償は重く、滅びへと大きく近づいてしまうが、ここで殺されては元も子もないと判断したのだろう。
後退したキルバーンは破れた服をつまんでぼやいた。
「死にぞこないのくせに……油断も隙もあったもんじゃない」
「お前から言われるとは光栄だ」
立ち上がることも難しい状態にありながら、ハドラーは口の端に笑みを浮かべてみせた。両眼から光は失われておらず、表情にも闘志が満ちている。
それは部下である親衛騎団も同様だった。震えながらも身を起こそうとする。完膚なきまでに破壊されたブロックは動かないままだが、アルビナスとシグマ、ヒムが立ち上がった。
「ハドラー様をお守りするために……!」
気高き女王が四肢を展開し、閃熱の力を手に集める。
「我々親衛騎団は一心同体」
疾風の騎士が半ばから折れた槍を持ち、構える。
「負けるわけにゃ、いかねえんだよ!」
気迫みなぎる叫びとともに兵士が拳に熱を集中させる。
部下たちの勇姿にハドラーは顔をゆがめた。力が蘇ったかのように立ち上がり、生命の剣を向ける。
もはや逃げることもできない。だからこそ最後の力を振り絞り、戦おうとしている。己の生き方を変えた者たちに恥じないように。
死神の後ろに立っているミストバーンが単純な疑問をぶつけた。
「諦めんのか」
「お前ならば、戦いを止めるのか?」
笑みに乗せて吐き出された答えに青年は沈黙で応じた。唇がわずかに動いたが、何を呟いたのかハドラーには聞き取れなかった。
表情にさざ波が立ったのも一瞬のことで、読みとる前に消えてしまい、元に戻っている。
後方に控えている大魔王に申し出る。
「私にお任せを」
わずかな沈黙の後、大魔王は微かに笑みをのぞかせ、頷いた。
主の承諾を得たミストバーンは友のそばを通り過ぎ、前に出た。
「私が……殺す」
固い決意の秘められた宣言にキルバーンは降参するように両手を上げた。
「わかったよ。大切な親友(キミ)の言うことだもの。尊重してあげる」
「やさし~」
愉快そうにほくそ笑んだ死神に使い魔がパチパチと手を叩く。
無邪気な言葉に反応を見せないままミストバーンは掌をかざし、再び戦闘態勢を取った。
ややあって、弾んだ声が響いた。
「終わったね」
返事は無い。
「戦いたくなかった? ハドラー君と」
「……バーン様に反逆した者の末路は一つだ」
言葉とは裏腹に、どこにも侮蔑の見当たらない口調だった。