ガッシュSS『因縁』
「協力してほしい」
真摯な言葉をぶつけたのは、手品師のような格好をした老人だった。
眼鏡の下の双眸は緊迫した光を帯びている。
常のからかうような表情には、焦りや憂いが漂っていた。
老人――ナゾナゾ博士から協力を求められた時、グスタフは何も言わなかった。
バリーの決断に任せる。そう告げるかのように視線を向ける。
「いいぜ。ファウードを止める」
「おお、ありがたい!」
博士は、歓迎の意を示すように両手を広げ、目を細めた。
具体的な方針について語る老人の面をバリーは観察した。
皺の刻まれた顔には、率直な感謝の念が浮かんでいる。
以前頼みを即座に断った相手に向ける表情とは思えない。
ガッシュと敵対する可能性も頭にあっただろうが、再度頼みに来た。
その際の態度は丁重で、すげなく勧誘を蹴った相手に対するわだかまりは一切感じさせなかった。
優先すべきことが何か見失わず、己の役目を考えて行動している。
千年前の魔物達と戦おうとした時もそうだった。
「……大違いだな」
「何?」
「いや、こっちの話だ」
強者との戦いを求めていたのに勧誘を断ったのは、ただの意地だ。貫いたところで己を高めることにはつながらない類の。
ガッシュとの決着に固執するあまり、学ぶべき相手は大勢いるという単純な事実すら見えなくなっていたのだ。
人間界に来たばかりの頃はさらに酷かった。
どんな王になるか考えもしないで、王になるつもりでいた。
思えば、自分のパートナーが出会った当初に告げていた。
自分でよく考えろと。
今ならばわかる。
空っぽな自分を直視できず、心の弱さを認めたくなくて闇雲に暴れた。何かが足りないと思いながらも、正体を見極めようとしなかった。
怖かったのだ。己の小ささに直面するのが。
気づいたのは、金色の少年と戦った時。
腕っぷしの強さ以外の『力』があるらしいと感じた。
はっきりと突きつけたのは、竜族の神童――エルザドルだった。
真に強き王になるためには、目に見えない強さも必要なのだと思い知らされた。
ベルトで自分の体をバリーに括りつけるパートナーを見る。
初めてガルゾニスで一緒に飛んだ時は驚いたが、今では何も思わない。
飛行の負荷や突入の衝撃は大きいだろうが、この程度で音を上げる男ではないと知っている。
「準備は整った」
グスタフの口調は、まるで買い物に出かけるかのようだ。
魔導巨兵ファウード。
雷帝ゼオン。
常識を超えた化物と対峙しようと、彼は動じないだろう。
今までもほとんど動揺を見せなかった。たまに驚くことがあっても、すぐに冷静さを取り戻した。
彼はあまり表情を動かさず、内心を語ることもない。
外見ほど酷薄でないことはよく知っているが、感情を露にする姿は想像しづらい。
厳格な表情を崩さずに煙草をふかすことだろう。
(……これからもな)
魔物と本の持ち主は、欠けているものを補い合う関係だと聞いたことがある。
情を持たぬ魔物に優しさを。
臆病な魔物に勇気を。
魂が冷めていた人間に熱を。
心が折れかけた人間に闘志を。
様々なペアが、それぞれの形で互いに何かを与え、変化を起こした。
バリーとて、強者の目を得ることができたのも、グスタフとともに死闘を乗り越えたからだ。
グスタフがいなければ、今のバリーはいないだろう。
だが、変わったのは自分だけで、相手が影響を受けたようには見えない。
「行くぞ。バリー」
「ああ」
思考を切り替え、前方を見据える。
今やるべきは、進むこと。
相手に何かを与えられるならば、高みを目指す姿を見せる以外ない。
首の上から体内に突入し、煙がおさまる。
何名もの人間と魔物がいる中で目に留まったのは、金色の髪の少年ガッシュ。そして、彼のパートナーの清麿だった。
ガッシュは一段と大きくなっているようだった。
実力も。昔のバリーに無かった『力』も。
戦いたいという衝動が湧き上がるのは本能に近い。王を目指す道の果てで必ずぶつかる、倒さねばならない存在。間違いなく終盤まで勝ち残る相手だと確信したからだ。
だが、今することではない。
顔を動かし、道を阻む敵を見据える。
魔界時代の知り合いは、何も変わっていなかった。
少し前の自分の姿と重なり、心をざわつかせる。
「お前を倒さねば、私は次の一歩を踏み出せない!」
悲鳴のような叫びにバリーの唇がゆがむ。
こみ上げてきたのは、笑いと苛立ち。
キースは、挫折を味わわせた相手に勝ちさえすれば、何かが手に入ると信じている。
プライドを傷つけた相手に囚われ、他のことが目に入らなくなっている。
過去の自分もそうなりかけていた。
エルザドルと出会わなければ、同じ道を歩んでいたかもしれない。
湧き上がる感情を指先に載せて、キースの体に叩きこむ。
戦いが終わり、ゼオンのもとへ向かうはずだった一行は、キースに阻まれた。
彼が発動させた装置によって、壁で隔てられた者達が危機に晒されたのだ。
ガッシュは叫ぶ。
自分の代わりにゼオンを倒し、ファウードを止めてくれと。
少年は、破壊の壁を己の身体で遮った。パートナーや仲間達を死なせないために。
グスタフは彼の覚悟を讃え、ゼオンを倒す決意を新たに進もうとする。
バリーは、動けなかった。何かが絡みついたかのように、体が動かない。
(何故だ……?)
かつて、ガッシュの目を見て拳が止まった。
今度は、ガッシュの姿に足が鈍った。
グスタフに促され、前方へと身を翻しても、己を引き留める声がする。
(何を迷うことがある)
今まで王となるために戦ってきた。
他ならぬガッシュから託されたのだ。無理矢理捨て駒にするわけではない。
ゼオンを倒し、ファウードを止めるために、堂々と進めばいい。
そして、必ず『強き王』に――
(なれるのか?)
自問する声が、心の奥から強く響く。
(あいつらを見捨ててか?)
小さな子供が死を覚悟して、仲間を助ける光景を目にしておきながら、何もせず。
心の声を無視して進んで、「オレは強い」と胸を張って宣言できるだろうか。
誰も疑問に思わずとも、自分が問わずにはいられないだろう。
(オレは何にこだわってるんだ……!?)
少年との決着に拘泥する心――敗北を味わわせた敵への執着という、くだらない意地は捨てたはずだった。
ガッシュへのこだわりはなくなったはずなのに、仲間を庇う彼の姿が、心から離れそうにない。
少女の悲痛な声。
膝をつく音に紛れて、ガッシュの苦しげな声が聞こえる。声は、今にも消えそうなほど小さい。
「……ッ!」
衝撃が上半身を呑み込んだ。
瞬く間に、肩に、背に、鋭い痛みが広がる。額に、頬に、鮮血が滴り落ちる。
「バリー!? 何を……!?」
一度も聞いたことのない、グスタフの驚愕に満ちた叫びが背中に突き刺さる。
それも当然だろう。
王になると言って戦いの道に誘い、激闘を繰り返したあげく、自ら王への道を捨てたのだ。何をしていると責められても仕方ない。
(知りてえのはこっちだ!)
庇った理由など自分でも理解できない。
空っぽでなくなった心が叫んでいる。
これは捨ててはならないものだと。
(見ちまったんだよ……!)
自分のことしか考えず、他人の強さを認められなかった時期ならば、目に留まらなかっただろう。
くだらないと切り捨てて、歩みを進めたに違いない。
周りが見えるようになったからこそ、少年の姿が目に焼き付いた。
『強き王』に必要なものを考えるようになったからこそ、彼が見せた強さに気づいてしまった。
呆然と己を見上げるガッシュに、ゆっくりと語りかける。
「ここでお前らを助けるのは、体のでかいオレの役目だ」
自分が言うとは予想もしなかった台詞。それを口にする時、自然と笑みが浮かんだ。少年を安心させるかのように。
こんな状況でなければ、柄にもないと己を笑ったかもしれない。
それでも進もうとしないガッシュを、渾身の力で殴り飛ばす。
誰かのためにここまで必死になったのは初めてだ。
仲間がガッシュを抱えて進んだため、苦痛をかみ殺しつつ息を吐く。
通過した人間に本を燃やすよう頼むグスタフの声が聞こえる。
必死にバリーの名を叫ぶガッシュの声も。
盛大に涙を流していると分かる声音だ。
(敵だったろうが。……ったく)
初めて会った時は甘すぎると苛立った。『やさしい王様』になるなど、ふざけていると思った。
今は、不快ではない。
誰もが甘いと笑うような理想を貫き通す。それは、強さなくしてはできないのだから。
彼は気づいていない。
かつて憤りとともに否定した、自分が傷ついても誰かを助ける行為を――ガッシュや清麿と同じ行動を、自分が取っていることに。
消えゆく己の体を眺めるバリーの口元には、微かな笑みが浮かんでいた。
悔いはない。
あのまま進めば、たとえ王になれたとしても後悔しただろう。
未練はある。
もっとこの世界で様々な強者と出会い、高みへと行きたかった。
「すま、ねえ……」
パートナーに詫びる声はわずかに掠れていた。
時間や労力を割き、危険を冒して戦って、異世界から訪れた魔物に協力してきた結果がこれだ。
彼の行動に対して、頂点に立つという結果で応えられなかった。
王にはなれなかったというグスタフの台詞を、バリーはどこか茫洋とした心地で聞いていた。
全てが終わったと思うと興奮が冷め、寂寥感に代わっていく。
「だが……」
グスタフが何を言おうとしているのか、見当もつかない。
どんな言葉であれ、静かな心地で魔界へ還ることになるだろう。叶わなかった夢に対する未練とともに。
「お前は、『王をも殴れる男』になったぞ」
バリーは目を見開いた。
諦めに満ちていた心に波紋が広がり、魂を揺さぶる。
寡黙な男が言葉を連ねる。
王の間違いを殴って正せるようになったと、成長を肯定する。
(そうなれたのは――)
自分でよく考えろ。多くを学べ。目を見て、乗り越えろ。
どれもグスタフが言ったことだ。
彼の言葉があって、ここまで辿りつくことができた。
そう答えようとしたが、唇が震え、声が出ない。
「王を殴れるんだ。でかく、いい男になったじゃねえか……」
今までにも、認められたことはあった。
エルザドルとの死闘を乗り越えた後、グスタフはバリーの目を見て、強者の目を得たと告げた。
その目を活かした戦い方や、高みを目指す姿勢を肯定された。
こんな風に褒められたのは初めてだ。ここまで熱く語られたこともなかった。
今までの、さらに上へ行けるというグスタフの評価は励みになった。己を駆り立てる一因となったのは間違いない。
だが、よくここまでたどり着いたと称賛されるのは、異なる熱を心にもたらした。
厳しく接してきた男の賛辞に、心につかえていたものが融けてゆく。熱い雫となって、目から零れ落ちる。
グスタフの顔は見えないが、笑っている気がした。
今までにない、穏やかな眼差しで。
王を決める戦いで、魔物の子が人間と組むように定められている意味。
組み合わせが決まる要因。
グスタフが己の本の持ち主である理由。
それらを言葉で説明することはできないが、今浮かんでいる笑みがそのまま答えになるだろう。
夢は叶わなかったのに、満ち足りた気分で帰ることができる。
己を導き、共に戦った相手から、最後に大きなものを与えられて。
交わした約束を、宝物のように抱えて。