SS『神の器』
※ハドラーと封印解除ミストバーンの共闘。
夢幻のように青い空が広がっている。
陽光が暖かく照らすのは、小鳥が囀り花々が咲き乱れる世界。
今、碧空には金色の影が舞う。
鳥のように見えるが、備えているのは柔らかな羽毛ではない。
輝く鱗と厳つい翼だ。
竜に似た姿であるものの、腕が翼に変じたような形状をしている。
彼らが睥睨するのは対照的な二名。
片や、肉弾戦のためにあるかのような、筋骨隆々たる肉体の持ち主。緑の肌は人に非ざる種族だと告げている。
もう片方は神官や魔道士といった風体の青年。こちらは人間に見える。
前者が切り込み、後者が魔法を放ち援護する――大半の者がそう予想するだろう。
二人の行動は外見を裏切るものだった。
男が爆裂呪文を飛ばし、宙の影を揺るがせる。
躊躇いなく切り込んだのは細面の若者の方だ。
敵が空を裂いて降下するより先に、力強く大地を蹴って跳び上がる。
背に飛び乗った彼は、踵を打ちつけた。
ステップを踏むような仕草だが、生じたのは重い音。
金属にも劣らぬ鱗が、枯れ葉同然に砕け散ったのだ。
破片が舞い落ちる中、青年は別の相手に飛びかかる。
指を組み、拳を両目の間に叩きつけると、固い物が砕ける音が響いた。
数体を仕留め、青年が地に降りた矢先、世界が鳴動した。
隆起する大地から白銀の巨獣が姿を現した。
大地の意思の具現化したような威容。プラチナに輝く体は岩石を連想させる。強固な外皮が鎧のごとく全身を覆い、攻撃を届かせるのは至難の業だ。
男は正確に皮の継ぎ目を狙い、剣を突き立てる。
男の戦い方は理にかなっている。
防御の固い相手を攻撃するならば、急所を突くのは当然のことだ。
おかしいのは、青年の方だった。
彼は正面から殴りつけた。
それだけで巨躯に陥没が生じ、獣は身を震わせる。
神話さながらの光景に新たな色が加わった。
紫の炎が虚空に幾つも立ち上る。
揺らめく焔は人型へと変じ、鎧を形作った。彼らの纏う青いオーラは冷気を帯びていた。
動く様は人形のようで、感情を窺わせない。
彼らは剣を抜き放ち、殺到する。
四方八方から迫る、蒼い光をにじませた刃。
男が対処する様は歴戦の勇士と呼ぶに相応しい。
あるものは右腕に仕込まれた剣で止め、あるものは身を捻って躱す。受け流すこともあれば、痛手にならぬ攻撃は体を掠めるに任せる。
一瞬で見極め実行するには力量と胆力が必要だ。
経験を活かした立ち回りの傍らで、理不尽が猛威を振るう。
青年は振り返ることすらせず、掌を後方へ向けた。生半可な盾など両断される斬撃を、いともたやすく受け止める。
反撃する最中も彼へと攻撃が降り注ぐが、全て無意味だ。
切っ先が首筋や鳩尾、顔面に叩きつけられ、ことごとく弾かれる。
傷一つない青年が手を翻しただけで鎧が砕かれ、騎士達は言葉を発することなく消えてゆく。
圧倒的な力に呑まれて。
敵にとっての絶望が味方に希望をもたらすとは限らない。
ひとまず一陣を掃除した若者の姿を見、男は唾を飲んだ。
敵の凄絶な死に様に似つかわしくない静かな佇まいに、背に冷たいものを感じた。相手が殺気を向ける対象は己ではないのに、身に震えが走る。
超魔生物へと改造された体の調子は決して悪くない。
すこぶる快調と言える。
強力な味方と、残された時間。
憂う要素はないはずだが、何かが重くのしかかる。
神々の遺産たる竜の騎士。
彼らと互角以上に戦える大魔王バーン。
そして、その大魔王をも上回る男。
紛れもなく魔王軍最強の存在は彼だ。
膂力や闘気が優れているだけならば、素直に感嘆したかもしれない。
だが、青年の強さは異質だった。
疲労も負傷も一切考慮しない戦い方。それに相応しく、攻撃を受けても掠り傷すら負わない光景。
ただただ敵を屠る姿からは殺意以外感じられない。
鍛え上げた力で敵を打ちのめす興奮も、さらなる高みを目指す闘志も、何も見えない。
まるで、空虚な器だ。
魔界の神と呼ばれる大魔王の武器そのもの。
神々の領域に達した戦場に投入される兵器。
物言わぬ軍勢が標的を変える。
気圧されたかのごとく動きを止めた男へと。
青年が割って入り、応戦するものの、滅びを免れた者が迫る。
深緑の姿が紫と青の波に呑まれたかに見えた刹那、光が溢れた。
炎の暗黒闘気――魔炎気を乗せた一閃が敵陣を切り裂いたのだ。
気迫のこもった一撃に波濤が断ち割られた。
生じた空間に烈風が流れる。
青年が走り込み、拳を地に叩きつけたのだ。
流星が落下したかのように大地が引き裂かれ、無惨な姿を晒す。
衝撃が騎士達を打ち据え、完全に体勢を崩した彼らに大いなる閃熱が降り注いだ。
空から接近する者達を迎えたのは爆裂呪文の嵐。
ばらまかれた弾幕に突っ込む形になり、身を揺るがせた彼らの頭部が爆ぜた。
なしたのは青年だが、魔法を行使したわけではない。
ひび割れた地面から石を拾い上げ、投擲しただけだ。
若者の手が巨獣の体躯を叩き割ると、男は裂け目へと掌を突き出す。
火炎が獣の体内を駆け巡り、放出された。声なき悲鳴が空気を震わせ、それもすぐに霧散する。
味方の悲惨な最期にも怯まず、騎士は刃を振りかざす。
男は致命傷にはならないとふんでくらう覚悟を決めるが、痛みは来なかった。
蒼白い衣に包まれた腕が遮ったためだ。
礼を言う代わりに、別方向から若者へと繰り出された剣を男は食い止める。
互いへの攻撃を防いだのも一瞬、交差するように地を蹴り、反撃へ転じる。
手首から放出された鎖が敵の身を打ち、よろめかせる。その隙に青年の手刀が鳩尾へ刺さり、鎧ごと胴体を突き破った。彼が無造作に腕を振るうとずるりと抜けて、飛沫をまき散らす。
戦う中で背が当たる。
氷の像に触れたような感覚だが、身は竦まない。
「……分かっている」
中身の無い器などではないことを、知っている。
『最大の弱点を克服したおまえは、必ずや魔王軍最強の戦士となれる』
魔王軍で最も強い男がそう告げた意味。
世辞という可能性は、検討に値しない。
沈黙を守っていた存在が社交辞令を口にするわけがない。
常時発揮できない力ゆえに評価の対象から除外するのであれば、話は単純だ。
何らかの意味(ねつ)が込められているのならば――。
「分かっていたことだ……!」
言葉とともに地を駆ける。
力を込めて剛腕を振るうと、甲高い音とともに蒼刃が砕けた。
上には上がいる。
己よりも強い者がいる。
頂は果てしなく遠く、距離はろくに縮まらないかもしれない。
地に這い、屈辱とともに噛みしめた、厳然たる事実。
改めて突き付けられれば完全に平静ではいられない。
遠さが心身にのしかかり、闘志をかき消そうとする。
だが同時に、燃え立たせもするのだ。
己がどこまで上れるのか。
残された時間がどれほどの長さでも、歩みを緩めはしない。
炎が噴き上がるのを目にして、青年の結ばれた唇がわずかに緩んだ。
躍動する剣と拳。
神域の名器から奏でられるように、闘いの音が世界を満たした。