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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

デクレッシェンド-de

強制救済ゲーム シャングリラSS『デクレッシェンド-de』


 猪熊吾牛は周囲に視線を走らせた。
 放課後、やや足早に歩いている最中のことだった。
 首筋にちりちりとした感覚が走ったため辺りを見回したが、原因は見つからない。
 気分が落ち着かない理由を探りながら、吾牛は目的地へと向かう。
 心当たりはないでもない。
 彼は命がけのゲームに参加させられた。
 楽園を作る実験と称して罪を犯した者たちが集められ、助け合いを強いられた。
 吾牛達は命を落としかねない試練を乗り越えたものの、危険な場面は何度もあった。
 命の危機に晒された実験からさほど時間が経っていない。心がざわつくのは、味わった恐怖や混乱がぶり返したと考えるのが妥当だ。
 だが吾牛の表情は明るい。精神に刻まれた傷が疼いているようには見えない。
 吾牛は実験の中で、自分と同じ不良――小森孔司らと出会った。ゲームを乗り越える中で友人と呼べる関係になったのだ。
 恐ろしく残酷な実験も、吾牛にとっては悪い思い出とは呼べない。実験がなければ小森達との出会いもなく、心が押しつぶされていただろう。
 彼は先日、小森達と一緒にラーメンを食べに行った。
(美味かったな)
 高級な店でも特別なメニューでもないのに、スープが心と体に沁みた。忘れられない味になった
 今日も、小森と彼の親友の八木山兎おすすめの店に赴き、買い食いをするという話だった。
 休日には遊びに行く予定もある。その時は今蛇犬丸――ヘビ達も一緒に行くことになっていた。
「俺が、なぁ」
 頭の中で今後の予定を並べながら、吾牛はしみじみと呟いた。
 自分の人生に良いことなどないと諦めていたのが遠い昔のようだ。

 近道をすべく路地裏に入ったところで吾牛の体が揺れた。
 後頭部に衝撃が走り、目の前に火花が散った。
「ぐっ!」
 殴られた。
 頭を。
 硬いもので。
 吾牛が認識できたのはそれだけだった。
 衝撃と痛みで思考がまとまらない。
 ちかちかする視界が襲撃者の姿を捉えたが、反撃に移る前に別方向から衝撃が来た。
 顔面に拳が叩き込まれたのだ。
 無防備な状態でくらっては勢いを殺すこともできない。コンクリートの壁に背中がぶつかり、一瞬息が止まった。
「ッは……!」
 ずるずると体が沈み、背と壁が擦れる。
 地面に座り込む寸前に吾牛は両腕を掴まれ、引っ張り上げられた。
 ようやく吾牛は、己を攻撃した者達の顔をまともに見ることができた。
「テメーら、は」
 彼らは、吾牛がゲームに参加させられる前に喧嘩した相手だった。
 その時は複数とはいえさほど脅威ではなかった。数を頼みに弱い相手をなぶる手合いだったから、一人で叩きのめした。
 今度は人数が増えている上に道具まで使い、不意打ちしてきた。
 吾牛の腕をそれぞれ別の人間が掴み、正面に立つ男は優位を確信してへらへら笑っている。
 鈍い音とともに痛みが走った。
 鉄の味が吾牛の口の中に広がり、生温かい感触が鼻から顎へと伝っていく。
「あ……」
 鼻血がぼたぼたと地面に落ちた。
 呼吸がしづらく、わずかに開いた口から音が漏れる。

 何度も顔に拳を浴びたが、吾牛の両腕は戒められたままだ。
 相手を睨みつける吾牛に対し、今度は鳩尾に攻撃が叩き込まれた。
 吾牛の口から噛み殺しきれない呻きが漏れる。体がくの字に曲がりかけたところで再度顔に拳が飛ぶ。
「まだ寝てんじゃねーぞ!」
「ガタイいいから殴るのも苦労すんな」
「ったくよォ、手間かけさせんなよ」
 口々に勝手な台詞を並べながら殴り、蹴りつける彼らを見ても、吾牛の心に怒りは湧かなかった。
 彼の脳裏によぎったのは、今の状況とは全く関係ない事柄だった。
(親父とオフクロに、何もしてねーな。俺)
 こめかみに痛みが走り、視界が揺れる。
(遊びに行くって、約束したんだ。小森達と)
 ぼんやりと考える中でも衝撃が体を揺らし、苦痛が心を浸食する。
 頭がくらくらする。視界が暗くなる。感覚が遠くなっていく。
 意識が消えてしまいそうだ。
 もし、そのまま戻らなかったら。
 心に忍び込んだ疑問に、吾牛はぞっとした。
(……嫌だ)
 吾牛は湧き上がる想いを噛み殺すように歯を食いしばった。
(俺は、こんなに……弱かったかよ?)
 以前の彼ならば死に直面しても平静でいられた。
 誰も助けてくれないのだから、自分で自分を救わねばならない。一人で切り抜けることができなければそれまでだ。
 力及ばず死ぬとしても、静かに受け入れただろう。人生なんてこんなものだと諦めながら。
 今は違う。
 恐れが、迷いが、不安が湧き上がる。
 失いたくないものがちらついてしまう。
 馴染みのない感覚に吾牛は戸惑った。心を占める感情をどう扱っていいか分からず、身動きが取れなくなってしまいそうだ。
(俺は、弱くなっていくんじゃないか?)
 吾牛の疑問を肯定するように痛みが襲い掛かる。

 殴られ蹴られる中で両親の顔が浮かぶ。
 危険な実験から生き延びたのに、両親と十分に会話したとは言いがたい。彼らは自分達に暴力を振るった息子を受け入れ、関係を改善しようとしている。
 小森孔司ら、強制救済ゲームで出会った者達の姿が、揺れる視界にじわりとにじむ。 
 彼らは生存を諦めていた吾牛を救い、友として接してくれている。
(まだ――)
 吾牛の心に浮かんだ言葉は単純だった。
 終わりたくない。
 終わらせたくない。
 一度認識すれば、想いは膨れ上がるばかりだ。
 強まっていく感情に押されたかのように、吾牛の体が動いた。
「いい加減にしろ、テメーら!」
 腕に力を込め、掴んでいる二人を振り払う。右側の男に肘を叩き込み、身を翻して反対側の相手に膝をくらわせる。
 正面に立つ男に向き直り、吾牛は呼吸を整えようとする。 
 男が腕を振りかぶり、吾牛が反撃しようとしたところで、声が響いた。
「吾牛!」
 反射的に二人が声の方角を見る。髪を逆立てている男が、大きく口を開けて叫んでいる。
 吾牛の口が小さく動き、相手の名を呼んだ。
「こも、り」
 先ほど視界ににじんだ人物が小森だった。
 タイミングが良すぎるから幻かと疑った吾牛だが、小森の姿は消えるどころか明瞭になっていく。
 走馬灯にしては臨場感がありすぎる。そう思った瞬間、行く手を阻む相手を小森が殴り飛ばした。
「どけっ!」
 空気を切り裂く叫びに、吾牛まで動きを止めた。

 突っ込んできた小森の後方には複数の人影がある。
「吾牛さん!」
 小森に続いて叫んだのは細目の男、今蛇犬丸だった。ヘビと呼ばれている彼は拳を固く握りしめている。
 前進しようとする彼の腕を掴んだのは友人の豚田虎男――トラだ。
「ヘビ」
「何です」
 ヘビのいらえは短い。顔を見もせずに答えた彼に、トラは慎重に呼びかける。
「殺すなよ?」
 恐る恐るといった声音で語りかけられ、ヘビは少し頭が冷えたようだ。トラの方を向いて、笑みらしきものを浮かべる。
「大丈夫。殺しはしません」
「ホントかよ……」
 トラの眼差しにも声にも疑念がにじんでいるが、彼はそれ以上引き留めず、手を離した。
 解放された途端駆け出した友人の背中を見つめ、トラはこっそり呟いた。
「やりすぎねえように止めねえと」
 ここで暴れすぎて再度実験に参加させられては困る。
 ストッパーになることを密かに誓ったトラの視界に、吾牛よりもさらに長身の男が映った。
 白い鉢巻を巻き、丸い眼鏡をかけている男の名は猿飛三狼。吾牛や小森とは別の、南高校の学生であり、実験に参加させられた一人だ。
 三狼の姿をみとめた小森がにやりと笑い、軽く語りかける。
「オメーも手ェ貸すなんてな。三狼」
 笑顔の小森とは反対に、三狼は低く唸る。
「俺は別に猪熊を助けるつもりなんざねーよ」
「サブローさん……」
 三狼を見上げるのは舎弟の猫俣だ。兄貴分の不機嫌そうな声に身を竦ませ、事の成り行きを見守るように視線を往復させている。
 吾牛を助けるつもりはないと宣言した三狼だが、この場から退く気配はない。
「俺らのシマで好き勝手してるボケどもの相手するだけだ」
 右拳を左の掌に打ちつけ、三狼は不敵に笑った。
「さぁーて、思い知らせてやんねえとなァ?」
 大柄な身体が素早く動いた。
 拳撃一閃。
 雑に見える大ぶりの一撃が綺麗に敵に吸い込まれた。
 顎にアッパーカットをくらった男の体がふわりと浮いて、地面に落ちる。
「サブローさん!」
 猫俣の単純な叫びには、一発でのしてしまうなんてすごい、人間があんなに吹っ飛ぶものなんだといった様々な驚きが内包されている。
 目を輝かせて叫ぶ猫俣に構わず、三狼は次の獲物を見定めている。
「久々に暴れるか。あの部屋にブチ込まれねー程度にな」
 血の気の多い発言に、猫俣もこくこく頷いた。

 吾牛を痛めつけていた者達は瞬く間に倒されていく。
 もとは吾牛一人に負けたのを、数と道具、奇襲で補っただけの集団だ。実力も場数を踏んだ数も上の相手に太刀打ちできるわけがない。
 逃げようとするリーダー格の男の前に吾牛が立ちはだかり、拳を握りしめる。
 小森達は加勢をしない代わりに、邪魔が入らないように動く。
「散々やられたんだ。ちったぁ返させてもらうぜ」
「ちくしょうっ!」
 悪態を吐いて殴りかかってきた男の右腕を、吾牛は左腕で弾いて逸らした。吾牛の動きは止まらず、滑らかに顔面に一撃を叩き込み、吹き飛ばす。
 鮮やかなカウンターに猫俣が目を丸くして、三狼も口笛を鳴らした。
 トラもホッとしたように息を吐く。彼は転がっていたコンクリートブロックを、ヘビの視界に入らないようにさりげなく遠ざけていた。
 表情も体勢もバラバラの小森達に、吾牛はゆっくりと歩いていく。
「……ありがとな。助かった」
「いーっていーって」
 礼を述べられ、小森は顔の前で手を振った。そっぽを向いて頭をかく彼に吾牛は苦笑しつつ、疑問を口にする。
「どうしてここに?」
 問われた小森は八木と顔を見合わせた。八木はハンカチを取り出し、吾牛に差し出しながら喋る。
「時間過ぎてもこねーし連絡もねーから、何かヤな予感がして」
「遅れるなら一言言いそうだしな。吾牛なら」
 小森と八木は周囲を探す中でヘビ達と出会い、現場に遭遇したのだという。
 三狼の方は小森とは別のルートでやってきた。喧嘩に気づいた南校の生徒から報告を受けて駆けつけたらしい。
「それより吾牛さん、怪我は?」
 ヘビが顔を覗き込んで冷静に負傷の程度を測る一方で、小森は自分まで痛むかのように顔をしかめる。
「こっぴどくやられたな……。しばらく遊びに行くどころじゃねーな、こりゃ」
「こんなもん、見た目が派手なだけで――」
 反射的に答えたものの不自然に言葉が途切れた吾牛を小森が宥める。
「ンなこと言ってる場合じゃねーって! 早く病院行け、病院」
 ヘビも苦笑しながら促した。
「心配で遊ぶどころじゃありませんから。延ばした分楽しみましょう」
「楽しみ……」
 言葉を反芻して立ち尽くしている吾牛に、三狼が声をかけた。
「何ボーッとしてんだ。……歩けるか?」
「ああ」
 歩き出した吾牛は疑問を抱いた。
 全身が熱を帯び、痛みを訴えている。
 それなのに足取りは軽いのが不思議だった。
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