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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

ノクターンSS『傷』



『癒えない傷』

 空中庭園の中でもひときわ高い位置にある島に、二つの人影があった。
 眼鏡をかけた青年が、来訪者を待ちかねるかのように、段の方を真っ直ぐ見据えて立っている。すぐ後ろに、地に膝をつけて控えているのは白銀の髪の女だ。
 彼は消耗している使い魔をこの場に移し、仲間を追い詰めた後、戻ってきた。
 もうじき訪れるレヴィエルとルナを待ち、静かに佇んでいる。
 その背に向かい、頼りない動きながらも立ち上がったシルフィールが口を開いた。
「マスター。あの」
「何ですか?」
 おずおずと話しかけたシルフィールに対し、返答は冷たい。
「ありがとう、ございます」
 素っ気ないそぶりにもめげず、シルフィールは感謝の言葉を口にする。
「魔力を……分け与えてくださって」
 立たずにいたのは、それだけの力も無かったためだ。
 最悪の魔剣アルハザードと契約した代償は大きかった。戦闘向きに創られてはいないのに、戦うために恐ろしい剣を解放した。宿主を喰らう魔剣によって善戦したものの、結局敗北を喫し、立っていられなくなった。
 戦闘直後は咳き込み、まともに喋ることすらできないほど消耗した彼女だが、今は顔色を取り戻している。
 それを為した主は、率直な言葉に心を動かすでもなく、淡々と返す。
「死にそうな顔で傍にいられても、気が散ります」
 顔も見ずに言い放たれた台詞に、シルフィールは、礫に打たれたかのように体を震わせた。
 邪魔になるならば、わざわざ力を与えずとも、この場から去らせれば済む。
 この先戦闘に加わらない者がどんな表情をしているかなど、本来関係ない事柄のはずだ。意識を向ける必要も無い。
 それを指摘する者はいない。

 カオスは溜息を吐いた。
 振り返らずとも、彼女がどんな様子か手に取るようにわかる。主の意に反した行動をとり、手を煩わせたことを申し訳なく思っているだろう。軽く俯いている姿が目に浮かぶ。
「……シルフィール」
 名を呼び、顔を上げた彼女に小瓶を投げ渡す。
 掌に収まるサイズの瓶の中には、透明な滴が煌めいている。
「これは……」
 ぼんやりとした様子で呟いた彼女に、カオスは回復薬だと告げた。
 消耗はいくらか治まったが、傷は残っている。
 彼女はアルハザードとの契約によって、戦うための体になっている。怪我しても傷口は無理矢理つなぎ合わされ、命を削ってまで引きずり出された力が全身を衝き動かす。
 動けなくなるような傷は無いが、塞がりきれなかった傷があちこちについていた。
 渡された薬を使えば、それらもすぐに治るだろう。
 説明を受けたシルフィールは返そうとした。これから激しい戦いを繰り広げる主が持っているべきだと思ったのだ。
「これは、マスターが」
「貴方が使いなさい」
「あ……」
 カオスは、彼女の姿を見たくないかのように背を向けた。
 言葉の向け先を失った彼女は、大人しく栓を抜いた。滴が全身に沁みわたり、傷を癒していく。
 息を吐き、大剣の柄をそっと握り直した彼女に静かな声が降り注ぐ。
「これでまた戦える。……そう思ってはいないでしょうね?」
 内心を正確に言い当てられたシルフィールは、びくりと身を震わせた。
「マスター!」
 反発ではなく懇願。
 悲愴とすら形容できる叫びにも、カオスは答えない。
「何もせずに見ているなんて……!」
 必死に言い募る彼女の言葉の何が引っかかったのか、緑の瞳がわずかに揺らいだ。
 己の声が記憶の奥から浮上し、瞼を閉ざす。
 過去に吐いた言葉が、今己に付きつけられる。
『何もせずに見ていろと言うのですか……!?』
 彼女に戦闘許可を与えず敗北した場合、己がどう行動するか考えれば、彼女がどんな苦しみを味わうか容易に想像がつく。
 目を開けても、奥に揺らぎは残ったままだった。

『たとえ残らなかったとしても』

 鮮烈な陽光。
 海と空の、吸い込まれるような青い色。
 暑さに負けず、海ではしゃぐ人々の中でも、注目を集める者達がいた。
 栗色の髪の少女と白銀の髪の持ち主が、水と戯れている。
 華やかな一角に異性が接近するのを阻むのは、暑苦しい二名だ。
 首から上に問題は無いが、格好がまずい。焼かれる肉の気持ちが味わえる炎天下、しかも解放感あふれる海で、黒いコートやローブを着こみ露出が極めて少ない男が並んでいるのは、冒涜的とすら呼べるかもしれない。
 状況と服装の不一致によって、人目を引くような容貌の持ち主が揃っているにも関わらず、近寄りがたい空気が漂っていた。
「ルナさんは随分楽しんでいるようですね。ここに来たのも、彼女が?」
 彼らは示し合わせて海へ来たわけではない。楽しんでいるルナと、水遊びに興じるでもなく眺めているレヴィエルにばったり出くわしたのである。
 レヴィエルが無言で肯定すると、カオスはさもありなんと言いたげに頷く。
 闇の眷属、夜の住人として跳梁していたレヴィエルに、海に遊びに行こうという発想は簡単に浮かばないだろう。
 同じことはカオスにも言える。
 長年森の奥で暮らし、森を出てからは主に遺跡探索をしていたカオスも、泳いで楽しもうとはなかなか思わない。
 近くを訪れ、シルフィールが興味を示したから寄ったまでだ。
「貴方は泳がないんですか? 水場を渡れないのは知っていますが……」
「服を着たまま泳ぐことはあるんだがな。湖で」
「へえ?」
「汚れが落ちたら、上がって魔術で乾燥させる」
 泳ぎは泳ぎだが、思っていた方向と違う。
 大胆すぎる洗濯方法に、カオスは返答を呑み込んだ。

 二人の視線の先で、彼女達は思い思いに海を満喫しているようだ。
 ルナは軽く泳いだり、波に任せて漂ったりしている。シルフィールは波打ち際をゆっくり歩いている。時折水平線に視線を向け、物思いに耽っているようだ。
 眩しい日差しの下、楽しそうにはしゃぐルナの姿を見て、吸血鬼と疑う者はいないだろう。
 彼女の纏っている衣服は、露出が控えめだ。
 吸血鬼たる彼女にとって、日光は致命的とまではいかずとも肌を焦がす。それを考えれば当然の格好だが、レヴィエルは他の理由を考えずにはいられなかった。
 布で隠れている身体の前面。その下に何があるのか、彼は知っている。
 人間だった頃に刻まれた傷は、使徒と化して塞がったものの、痕が残ったままだ。
 人間でなくなった後に負ったものは跡形もなく治ったが、それだけは残っている。ただ血を吸ったのではなく、致命傷を負い、命の灯が消えかけた瞬間闇の魔力を注いだためかもしれない。
 ルナと違い、シルフィールの方は普段より肌の面積が多い。いつも身につけているケープを取り、濡れないようにスカートの裾をたくし上げている。
 白い肌には傷一つない。人の死骸からできていると告げられても、信じがたいほどに。
 刻の墓所にて戦った時の傷が残っていないのは、ルナと同じだ。ルナはすでに死した躯、シルフィールは使い魔の身ゆえに、修復とも呼べるかもしれない過程を経て傷は消えた。
 違うのは、人間だった頃の損傷も無いことだ。
 瀕死の人間が使徒化したケースと、死骸を基に使い魔として作った違いと言えばそれまでだ。
 レヴィエルの双眸が過去を映すかのように細められた。
 ルナが致命傷を負った時、己が何を思い、何を願ったかが浮かび上がってきたのだ。
 あの時湧き上がった想いは、ルナの傷が残らなかったとしても、この先消えたとしても、忘れることは無い。
 カオスも同じことを想ったのかもしれない。
 命を落とした事実は変わらないとわかっていても、そうせずにはいられなかったのではないか。
 そんな考えがふと浮かんだ。
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