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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

剣鬼を倒す者

ノクターンSS『剣鬼を倒す者』



 二人の男が向き合っていた。
 どちらも闇に溶け込むような格好をしている。
 漆黒のコートを着ている青年は腰に二刀を携え、黒いマントを身につけた男は冷気を帯びた剣を握っている。
「名は?」
 魔剣を所持している男が問うと、黒いコートの青年は淡々と名を告げた。
「レヴィエル・ヴォン・ド・ラサート」
 名乗った青年――レヴィエルに向けて、男は剣を構えた。
「我と踊れ。死の舞踏を」
 レヴィエルに恨みがあるわけではない。優れた剣士らしいというだけの理由で、戦いを挑もうとしている。練習試合などではなく、命の奪い合いを前提として。
 殺意の塗り込められた瞳にも、レヴィエルの姿は揺るがない。
「貴様は何故、剣を手にした。何のために、刃を振るう?」
 静かな問いに対する男の返答もまた、落ち着いたものだった。
「証明するためだ。己こそが最強だと」
 最初から血塗られた欲求にとりつかれていたわけではなかった。
 初めは、己が剣士だからという単純な理由で技を磨いた。
 剣の腕を鍛える意味を考えず、己の持つ力やその在り方について追究することも無かった。
 何も考えていなくても、ただ上を目指す間は――他人を巻き込まぬ範囲内ならば、問題は無かっただろう。
 並の剣士ならば挫折を味わい、そこで立ち止まり、頭を冷やしたかもしれない。己が力を求める理由を改めて考え、見出し、確かな手ごたえを得たかもしれない。
 だが、才覚に恵まれた男は走り続け、頂点に辿りついてしまった。
 そこから見える景色はきっと心を躍らせ、最高の満足感をもたらすと思っていた。
(とんだ……思い違いだった)
 望んでいたはずの座は、虚無しか与えなかった。
 最強の称号のみを求めていた彼は、それを手に入れた途端失った。
 失ってはならないものを。

 何も、才能のみで進んできた者が道を見失うと決まったわけではない。心を深い闇に染める者は多くないだろう。
 男は、少数に当てはまってしまった。
 虚無に耐えられず妄執に囚われた男は、殺戮をまき散らした。
 『ファムトの剣鬼』。今の彼につけられた名だ。
(あと何人殺せばいい?)
 最強の座を手に入れれば満たされると思ったが、何もなかった。
 そんなはずはない、まだ完全に掴み切れていないだけだと信じ、凶刃を振るってきた。完璧に証明することができれば、何かが変わると言い聞かせてきた。
 幾人殺しても、畏怖を込めて剣鬼と呼ばれるようになっても、満足には程遠い。
 殺せば殺すほど、証明の完成が遠ざかる気さえしていた。
「わかるまい。人を斬るほど深まってゆく、この渇きは」
 男の呟きに、レヴィエルは答えなかった。理解できるとは言わず、ただ、剣の柄に手をかけた。
 男は戦いに臨む青年の姿を、歓喜とともに見つめる。
 名を訊いたのは、証明に大いに役立ちそうな相手だからだ。刻んでおく価値があると判断したのは初めてだった。
 これまで名を尋ねる真似はしなかった。たとえ名を知ろうと、すぐに消えていっただろう。数え切れぬほどの人間を殺しても、心に溜まるものはないのだから。
「もはや私は……化物だ」
 何百人もの血をまき散らしておきながら満たされることのない、人から外れた存在。
 狂気に満ちた剣士を前にして、レヴィエルは静かな眼差しのままだった。
「いくら己を化物と思おうと。貴様は人間だよ」
 双剣が抜き放たれる。月光を映し、刃が冷たく煌めいた。
「それを証明しよう」
 畏れられる剣鬼と対峙しているとは思えぬ態度に、男は低く構えを取った。
「満たせるか? 我が飢えを。止められるか? この私を!」
 魔剣が輝き、冷気を迸らせた。

 戦いは、一方的だった。
 剣鬼への恐怖に慄く民衆が見れば、目を疑ったことだろう。
 多くの人間の命を容易く刈り取った殺人鬼が、青年に傷一つ負わせることができないのだから。
 男の口から、呟きが零れ落ちた。
「馬鹿、な……!」
 戦いを通して、目の前の青年は人間ではないと知った。
 男に衝撃を与えたのは、相手の正体などではない。
 種族の違いに由来する、圧倒的な身体能力や魔力に敗れ去るならば、ここまで動揺はしなかった。
 青年は、膂力や速度、剣技自体は、人間が限界まで鍛えれば辿りつくことも不可能ではない段階に留めている。
 それらを組み合わせ、男を追い詰めている。
 人間の領域を踏み越えてはいないと、語り聞かせるかのように。
 男とて、力や技はすでに人間の限界近くまで鍛えていると自負している。全く届かない原因は――差を生じさせる要素は何か、刃を交えてようやく見えてきた。
(私には……なかった……)
 青年が剣鬼を止めようとする理由。剣を振るい続ける目的。その根底にあるものは、他の人間と同じだろう。
「星振――」
「ふっ!」
 剣鬼の必殺の一撃に、レヴィエルは綺麗に反撃を合わせる。
 半月を思わせる美しい軌道を描いた刃に、氷の魔剣はあっけなく砕かれた。
 同時に、利き腕も潰された。
「ぐあぁっ!」
 煌めく刃の破片と血液が舞い散った。
 地に膝をついた男は、苦痛に面をゆがめながらも顔を上げた。力を振り絞り、最期の光景を、目に、魂に、刻みつけようとする。
 悪魔ではなく、人として――剣士として己に打ち勝った相手の姿を。
 魔剣を砕かれ、戦闘の続行は不可能だ。利き腕を奪われ、剣士としての命を絶たれた。最強でも何でもなかったと思い知らされ、空っぽの体を衝き動かす衝動も無くなった。あれほど精神を侵し、蝕んでいた渇きすら遠ざかっている。
(これで、終わる)
 剣に狂った男の、血塗られた物語も。
 安堵すら覚えながら、男は瞼を閉ざし、頭を垂れた。

 いつまで待っても、首筋に冷たさは感じられない。心臓を貫く刃の感触も、訪れない。
 顔を上げた男は、責めるように問うた。
「何故、殺さない?」
 自分より弱い相手を、何百人も殺してきた。力で踏みにじってきたのだから、己が同じことをされた時、文句を言う資格など無い。今まで周囲に押しつけた則に従えば、より強い相手に殺されるのが道理だろう。他人に与え続けてきた結末を、己も受け入れねばならないと思った。
 死を望む態度にも、レヴィエルは応えようとしない。
「『ファムトの剣鬼』は倒された」
 宣言とともに剣を収めた彼に、男は懇願するように言い募る。
「それで、私に殺された者の無念が消えるとでも? 身勝手な欲望のために何百人も手にかけておきながら、おめおめと生き延びろと?」
 青年は沈黙している。その面を見て、剣鬼とは比べ物にならぬ規模の殺戮に耽った過去を、誰が想像できるだろう。
 佇むレヴィエルに向かって、男は惑いをにじませた。初めて吐き出す疑問だった。
「私には、わからないんだ。自分が奪ってきた命の重さなど……まるで」
 レヴィエルは、男の憂いを解消すべく説いて聞かせようとはしなかった。
 彼にも覚えがある。
 腕の中で消えゆく命に、己が奪ってきたものが決して取り戻せないものだと知った。生きて欲しいと強く願い、仮初の命を与えた。
 焼かれる村や傷ついた衛兵を見、己の所業の恐ろしさを思い知らされた。壊す側から守る側に回り、村人達への攻撃を体を張って防いだ。
 それでもなお、遠かった。
 いくら命の尊さを口で語られようと、頭で大事だと考えようと、意識の奥深くまで沁み込んだ感覚を覆すのは容易ではない。
 世界を巡り、己の身で感じ、少しずつ変えていくしかない。
「剣鬼は息絶えるまで剣鬼のままだ。いずれ、蘇る」
 亡霊が絞り出したような声に、レヴィエルは己の過去を振り返りつつ、答えた。
「……その時は。真に貴様を倒すのは、人間の――」
 彼の心には、己を変えた――血戦に溺れる悪魔を「倒した」と言える少女の姿が映っていた。
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