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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

境界

ノクターンSS『境界』



 月下の夜、狩人と旅人が出会った。
 前者は顔を強張らせ、後者は悠然と微笑む。
 同じ金色の髪を持つ者だが、瞳の色は紅玉と翡翠で全く異なっている。
 狩人は刀に手をかけ、腰を落とし、油断なく身構える。その目は赤熱した感情に燃えている。
 イディス・ミドウィーン。吸血鬼専門の狩人である彼女が、目の前の男を見逃すはずがない。
 始祖。
 吸血鬼を生んだ元凶の一人。
 混沌の名を持つ悪魔。
 彼――カオスは、臓腑を抉るような視線にも動じず、向かい合う。
「生きて……いたのか」
 イディスの声は嫌悪と憎悪に揺れていた。
 始祖の中で最も危険だと判断し、殺すことを優先した。
 仇を助けてまで滅ぼそうとした男が、生きて、この場に立っている。
「安心してください。この世界を滅ぼすつもりはありませんよ」
 信用できないと視線で語るイディスにカオスは両手を広げてみせたが、殺気を鎮める役には立たない。
 今更無害だと訴えられても、頷けはしない。
 混沌型の吸血鬼を生み出したことも、同胞を敵に回してでも世界を滅ぼそうとしたことも、事実なのだから。
「それで納得できるとでも?」
 イディスの声に聞く者を竦み上がらせる響きが宿り、目に鮮烈な光が灯る。
 始祖のうち、レヴィエルとリスティルは人間を襲うことに関心が無くなった。正確には、まるで別の方向に関心が移ったと言えるかもしれない。彼らへの警戒を解いたわけではないが、狩るのは後だと決めた。
 他の二人と違い、目の前の男は心を何かに蝕まれている。それがどんな形で解放されるか予測できない。
「貴様は殺す。絶対に」
「どうぞ。貴方にできるならば、ね」
 宣告と返答。
 次の瞬間生じたのは、何かが切り裂かれる音。
 鋭い太刀筋は黒い衣と白い皮膚を裂き、血を滴らせた。

 踏み込み、刀を振り下ろす速度は、銀の光が流れるようだった。
 月光が降り注ぐほど、彼女の体の中に熱い波が生まれる。吸血鬼の力を、その身に宿したマクスウェルが跳ね上げ、爆発させる。
 高位の吸血鬼でも、何が起こったかもわからず倒れ伏すはずだ。始祖とはいえ、魔導師でありながら捌いていることこそ賞賛に値するだろう。
 なかなか有効な一撃が加えられないが、イディスは逸ることなく攻撃を繰り出し続ける。
 嵐のごとき斬撃が容赦なく身を削っていく、一方的な戦い。
 有利な状況だが、イディスの顔が曇る。
(おかしい)
 仮にも始祖が、これほど手ごたえ無く倒せるとは思えなかった。反撃すらろくにしないのは、不自然としか言いようがない。
 そもそも魔術師が、敵と分かっている剣士の間合いに踏み込んだままなど考えられない。力任せに攻めるタイプならば納得できるが、策謀に優れる男が不利な状況で相対するのは不可解だ。
 まるで、見極めようとしているかのようだ。間近で、その力を。
 一度生まれた疑念は見る間に膨れ上がっていく。振り払うかのように刃を向けても、たいした手ごたえは無い。剣を振るうイディスの方が焦りを感じていた。
 カオスが小さく息を吐く。
 瞳に浮かぶのはどんな感情か正確に判別にする前に、イディスの全身に寒気が走った。
 異様な感覚に襲われ、何かが狂っていることだけが理解できた。
 先ほどまで掠めていた攻撃が、虚しく空を切る。
 当てられる気が、しなくなった。
 カオスが距離を取ったため、イディスは相手の反撃を警戒し、刀を構え直す。
 口を開いたカオスが発したのは、詠唱でも何でもなかった。
「マクスウェルをここまで使いこなすとは。大したものです」
 拍手さえ聞こえそうな本物の称賛の声に、イディスは刺すような目で睨む。
 それに応じるカオスの両目が一瞬強く輝き、イディスは目を見開いた。
 ぐらりと世界が揺れ、視界が霞む。闇で塗りつぶされたかのような感覚に抵抗しつつ、彼女は神経を研ぎ澄ませる。
 攻撃に備えている彼女に、カオスは戦闘の最中とは思えぬ口調で問いかけた。
「気になることがあるのですが……よろしいですか?」
 イディスは怪訝に思いながらも、回復の時間を稼ぐため言葉を待ち受けた。

「貴方はこれから、どうするのですか?」
 明日の予定を尋ねるような言葉だが、そんなものが聞きたいのではないだろう。相手の次の行動が読めず、イディスは敵意と警戒心に満ちた声音で答える。
「知れたこと。始祖も、吸血鬼も、どんな相手だろうと必ず――」
「不可能ですね」
「何……!?」
 あっさり言い切ったカオスに、イディスは己の実力が低く見られたのかと殺気立つ。
「いつまで狩人として表舞台で活動できるのでしょうね」
 殺気をそよ風のように受け流しながらぽつりと呟いた台詞に、イディスの表情が険しくなった。
 向き直ったカオスは静かな視線を投げかける。
「高名な貴方のことだ。姿が変わらぬことを、訝しむ者も出るのでは?」
 イディスが反論しないのは、質問が荒唐無稽だからではない。自身が何度も考え、答えが出ないまま抱いてきたものだからだ。
 今は、カオスが世界を滅ぼそうとして阻まれた数年後。
 イディスは始祖達と遭遇する前から、最高峰の狩人として讃えられてきた。
 名声に陰りは無い。
 今は、まだ。
 流浪の旅を続けてきたレヴィエルやリスティル、隠遁を選んだかつてのカオスと違い、顔が売れすぎている。
「貴方は、ルナさんとは違う。魔術や神術の類が得意ではない」
 外見が変わらないのは魔術や神術のおかげと誤魔化すことはできない。
 戦う際も、身体能力が物を言う。
 研鑽や純粋な技量だけでは説明がつかない、何年経とうと全く衰えぬ体のキレと剣技。それを見れば、正解に辿りついてしまう者もいるだろう。
「正体が知られれば、人の側には――」
「私は、人間を襲いなどしない!」
「それを誰が、どうやって、証明するのです」
 カオスの目が細められ、瞳の奥に冷気が生まれる。
「どれほど言い張ったところで、人に非ざる身という事実は変えられない」
 カオスの言葉が冷たい雨のように、イディスの身に降り注ぐ。面から笑みが消えた悪魔が、残酷な言葉を突き付ける。
「人間ではない。その一点で、人間が恐れるには十分だ」

 イディスの表情が曇った。
 人々が己に向ける視線が塗り替わる日を、幾度も想像した。
 恐れ、遠ざけるだけならばまだいい。問題は、彼女や、関わった者をも狩る対象に含めた場合だ。
 予想通りの事態になったとしても、狭量だと責める気にはなれない。
 吸血鬼への嫌悪や恐怖には共感できる。
 自身の内にあるどす黒い衝動を知っているだけに――危険な存在だと誰よりも実感しているがゆえに、普通の人間が忌避するのは当然だと思えた。
「それに、ルナさんと違う点はまだあります。始祖から直接血を分け与えられたわけではない」
 どうしても魔力の劣化は起こってしまう。
 アルギズの村にいる間も昼間はフードを被って外出していた。
 時が経てば、吸血衝動もさらに強まるだろう。
 吸血鬼を狩るためには情報がいる。人間と接する必要が出てくる。衝動を抑えるために人から遠ざかっていては、目的は達成できない。
「疎まれると想像がついても。強烈な渇きを堪えてでも。人を狩る側には回らず、戦い続けると言うのですか」
「ああ。答えは変わらない」
 決意に満ちた言葉を吐き出しながら、イディスは冷笑や馬鹿にしたような返答が返ってくることを予想した。
 人の血を糧とし、吸血鬼を生み出した悪魔には滑稽に聞こえるだろう。
 予想に反し、カオスは黙って微笑するだけだった。

 霞んでいた視界が徐々に戻りつつある。身体の奥底から力が湧き上がる。
「……そうだ」
 付きつけられた問いに答えたことで、闘志が燃え上がる。
(どんな困難を超えてでも。吸血鬼は必ず)
「無理ですよ。必ず滅ぼすなど」
 内心を見抜いたかのような言葉に、イディスは無言で睨みつける。彼女の表情が大きく動いたのは、次の言葉を聞いた時だった。
「ルナさんがいるでしょう?」
 今も昔も吸血鬼と戦うという決意に変化はない。
 変わったのはどこか、いつからか。
 ある時まで、善良な吸血鬼など存在しないと断定し、発見次第退治してきた。
 迷う機会も必要も無かった。
 幸か不幸か、始祖達と関わるまでは、己以外に意思を保っている吸血鬼とは出会わなかったのだから。
 犠牲者の大半はただの骸となり果てる。免れたとしても、傀儡にすぎない使徒と化す。
 稀に自我が目覚める者もいるが、血の欲求にとりつかれた鬼となってしまう。彼らの姿を見ても、真の意味で意思を保っているとは思えない。
 初めてそれを証明したのは家族――母親だ。
 ずっと自分を大切に想ってくれていた。一番の味方であり、危ない目に遭ったとしても必ず守ってくれる。
 そう信じていた相手が、自分を獲物としか見ずに襲った。
 絶望とともに、心を失わずにいる吸血鬼などいないという結論に達した。
 狩れば狩るほど、嫌悪が募る。
 人間を餌としか見ていない彼らにも、己にも。
 血に飢えた相手の姿を見れば、狂った母の姿を思い出す。同時に、否が応でも我が身の危うさを噛みしめることとなる。
 実行に移しこそしないものの、同じ衝動に駆られるのだ。そのたびに、己も忌むべき存在の一人にすぎないと思い知らされる。
 自身も吸血鬼でありながら、「いい吸血鬼など存在しない」と断言せずにはいられなかった。
 忌まわしい存在を見つけては戦い、倒す。それができるだけの力が備わっている以上、疑問を抱くこともなかった。
 アルギズの森に足を踏み入れ、転機が訪れた。
 始祖三人の内二人に刃を向け、どちらにも敵わなかった。圧倒的な差を味わい、今までのやり方が通じないと悟った。
 この場で退治しようと勇んでも手も足も出ない。感情のままに斬りかかるだけではどうにもならない。
 力を受け入れるか否か、憎い仇からの提案に心は揺れた。反発は大きかったが、最終的に憎悪と復讐心が上回った。魂が汚されるような屈辱に耐え、本能に衝き動かされた姿まで晒し、それでも届かなかった。
 己の非力さに歯噛みする間にも、事態は推移する。
 その中で己にできることを探し、結論を出した。
 眼前の敵を滅ぼすことだけを考えるのではなく、危険な相手から優先して対処すべきだと。
 当たり前のことかもしれないが、実行は難しい。時には仇敵だろうと助けなければならないのだから。
 危機を乗り越えても憎悪は消えず、復讐を断念するつもりもないが、動く指針は変わった。

 やり方が変わったのは、力の差という現実に阻まれた面もある。それ以上に大きかったのは、自分に近い“例外”を目にしたことかもしれない。
(どんな相手だろうと、必ず……か)
 それはできないと、己でもわかっている。
 今まで通り、人に害成す吸血鬼は滅ぼす。
 人を襲わない吸血鬼はどうなのか。
 栗色の髪の少女の顔が浮かび、イディスは息を吐き出した。
 ルナ・ウィンストン。
 レヴィエルに力を与えられた、神術を扱う少女。
 ただの村娘から恐るべき強さを誇る使徒へ変わったことも、吸血鬼となってもその心は変わらなかったことも、知っている。
 村の危機に駆け付けることはできなかったが、村人の話や監視用の使い魔によって、何が起こったかおおよそ把握した。
 レヴィエルを誘き出す駒として利用したのに、命がけで庇ったり、怪我を治療しにわざわざ深夜森を訪れたりした時と何ら変わらない。眼の前で誰かが傷つき苦しむのを我慢できない少女のままだった。
 人でなくなったというのに、人の心を持ったままでいる。
 人間から恐れられてでも、人間を守ろうとする。
 人から外れても人の側に居ようとする、血を吸おうとしない吸血鬼。
 吸血鬼など皆呪わしい存在だという考えを揺るがせるには十分だった。
 戦いを終えたルナ達と森の中で会った時、感情が渦巻いて、彼女の吸血鬼化について触れられなかった。
(奴が不可能だと言ったのは――)
 実力が足りないと言っているのではない。わざわざ持ち出した人々の視線や魔力の劣化に関しても、真の障害になるとは思っていない。
 危険な吸血鬼から討伐していった時、残るのはルナのような、人の側にいる吸血鬼の存在だ。
 それが超えられない壁になると見抜いたのだろう。
 ルナは、恐れられることも覚悟の上で村人を守り、受け入れられた。村の一員として暮らし、今後も人々の命を救うはずの彼女を殺すことはできない。
 人の側に居ようとする者をも躊躇いなく滅ぼしてしまえば、己はどちら側にいるのかわからなくなる。
 イディスの眉間にしわがよった。心中を見抜かれていたと思うと、癪に障る。
 以前と違い、吸血鬼というだけで滅ぼすつもりはなくなった。
 感情が激すると「どんな相手でも」「必ず」と一まとめに語ってしまうのは、出発点の憎悪があまりに根深いためだろう。繰り返し唱えてきた言葉は簡単に変えられない。
(忌々しい……!)
 変わらぬ決意と、変わった姿勢。
 かつて掲げた目標と、食い違う部分。
 改めて見つめるのは悪いことではないが、よりによって元凶の一人から指摘されたくはない。
 そこまで見抜けるならば、人の側にいるつもりかどうかなど訊く必要も無かったはずだ。わざわざ質問し、答えさせる意図が掴めなかった。

 ざあっと風が流れ、カオスの姿が霞んだ。
 追おうとしたイディスに、声が降り注ぐ。
「頃合いを見て表舞台から去った方がいいと思いますよ。あるいは、か弱き人々でも殺せぬほどの英雄になるか」
 人々の手によって英雄が殺される光景を見た男は、忠告じみた呟きを漏らした。気配が遠ざかったためイディスは舌打ちする。
 最後に残された言葉は幻だったかもしれない。
「願わくば。貴方の刃がこの命に届かんことを」
 対峙が夢だったかのように、その場にイディス一人が残された。
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