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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

虚ろな世界に終止符を

ノクターンSS『虚ろな世界に終止符を』



 黒衣の男が金髪の青年と対峙していた。
 両者の表情は対極に位置していた。片方はひどく真剣な表情で。片方は微笑んで。
 真紅の双眸を持つ青年は驚愕に面を染め、翡翠色の瞳の男は懐かしげに目を細める。
 傍から見れば、思いがけない再会を果たした二人以外の何物でもない。それだけならばよくある話だが、常人と違う事情があった。
 二人とも、人間ではないのだから。
 命を絶とうとした友を見つめる男の双眸は鋭い。
 息詰まる沈黙を破ったのは金髪の青年の方だった。
「久しいですね、レヴィエル。お変わりないようで、何よりです」
 混沌の名を持つ賢者は、心から再会を喜んでいた。
 同胞に会えたのは嬉しい。己の望みを叶えうる存在ということを除いても、純粋に。
 予感はあった。
 彼の弟子に会った時から、いつか再び巡り合うかもしれないと思っていた。
 少年に剣を教えた後、彼の心を大きく変えた相手を迎えに行き、共に歩んでいると信じていた。
「ルナさんの姿が無いようですが」
 彼は意外そうに周囲を見回した。今頃二人で旅をしていると思っていたが、傍に彼女の姿は無い。
「カオス……まさかお前が、生きているとは」
 レヴィエルはカオスに力のこもった視線を注ぐ。旧友が生きていたと知っても表情は険しいままだ。
 笑みの向こうに透けて見える感情は、数十年前と全く変わっていない。心を蝕む穴は徐々に広がってさえいるようだ。長い年月の果てに、完全に精神を呑み込んでしまうかもしれない。
 レヴィエルは苦い想いを噛みしめた。相手の心を掬い上げる方法は見つからない。
 できることならば時間をかけて向き合い、苦痛を和らげたいが、そうもいかない理由があった。
「屋敷に戻るんだ」
 強い語調に、カオスは思わず苦笑を漏らした。肩をすくめて首を横に振る。
「どんな顔で彼女に会えと言うのです?」
 使い魔のシルフィールに、生きろと命じて飛び降りた。
 だが、魔力の供給が途絶えれば消滅するとわかっていた。
 愛する相手の代わりとして作り出しておきながら、一人残してきた。喪失の苦しみを知っていながら、同じ想いを味わわせた。飛び降りる直前に見た彼女の表情は、魂を引き裂かれるかのように悲痛なものだった。
 彼女の性格は誰よりも知悉している。他の主に仕えることをよしとせず、残された時間を使って世界を旅することもないだろう。消滅を待つ身で、主の帰らぬ屋敷を守り続けていると確信できる。
 自らの手で生み出し、育て、置き去りにした。今更、どの面下げて会いに行けというのか。
「勝手に去っておきながらのこのこと舞い戻るなど、虫が良すぎる――」
 カオスの言葉は厳しい声に断ち切られた。
「穏やかに過ごすことすらできない。そう知ってもか」
「……ッ!」
 カオスの顔色が変わった。
 食い入るように見つめる彼に、レヴィエルが感情を抑えた声音で説明する。ただでさえ打ちのめされている相手に告げるのは心苦しいが、言わないわけにはいかない。
「お前の使い魔に異変が起こった」
 しばらく前から、彼女は苦しそうな様子を見せるようになった。心配をかけまいとしていたが、隠しきれるものでもない。突然辛そうに胸を押さえたり、静かな面持ちのまま涙を零したりする。
 本人も何故そうなるのか全く見当がつかないようだ。ずっと安定していただけに、原因に心当たりはない。
 魔力が尽きかけているわけではない。レヴィエルやリスティルが魔力を注いでも、ルナの神術でも治せない。
 原因は、肉体ではなく魂にあるのかもしれない。
 対処できるのは作り上げたカオスだけだろう。
「苦しみと混乱の中で……会いたがっている」
 彼らは今まで、カオスが生きていると知らなかった。シルフィールも無理な願いだと承知しており、周りを困らせることがないよう押し隠していた。
 それでも、レヴィエルやルナには彼女の求めているものがわかる。
 カオスの生存を知らなかったため、少しでも苦痛を和らげる方法を探し旅してきた。現在ルナと別行動をとっているのもそのためだ。
 ただ静かに消えゆくならば、レヴィエル達も受け入れただろう。ずっと前に彼女が選んだ道であり、主以外心を変えることはできないと知っているのだから。
 だが、こんな結末は誰も想像していなかった。
 ようやく苦痛を癒せる唯一の相手と巡り合ったのは、偶然か、必然か。
 真っ直ぐに見つめるレヴィエルに対し、カオスは目を伏せた。
(私を、主と)
 孤独を味わわせたあげく、残された時間すら静かに過ごさせてやれずにいる。献身に対して惨い仕打ちではないかと心の奥で声がする。
 唇を噛んだ彼に、レヴィエルが凍てつく眼光を向ける。
「嫌だと言っても連れ帰る」
 力尽くでも。
 声に出さずとも伝わる言葉にカオスは瞼を閉じた。今の自分が彼に敵うとは思えない。
 かつて激闘を繰り広げた時は、己の世界内で力を高めていた。何の準備も無く戦えば、始祖の中でも最強の男に勝てるはずがない。
 何より、姿勢が違う。
 迷いがあったにせよ明確な目標へと進んでいたかつての己と、虚ろな心のままに彷徨う今の自分。発揮できる力も比べ物にならない。
 レヴィエルの言葉は乱暴だが、シルフィールのためだけではないとカオスも理解している。
 苦しんでいると知りながら何もせず、取り返しのつかない事態に発展すれば、悔やむのは彼だ。
「……行きましょう」
 どこかで悲劇を予想しながら、彼は告げた。

 屋敷の外観も庭も全く変わっていなかった。残された者が管理に心を配っていたからだろう。
 リスティルが魔力を供給してきたため、途中まで変わらぬ生活を送ることができた。そう聞かされたカオスは感謝とも感嘆ともとれる笑みを浮かべた。
「感謝しなければなりませんね」
 そこから先は声を落として呟く。
「彼女も、貴方達の領域に」
 述懐を遮るように扉を開き、応接間を横切っていく。内部も綺麗に掃除され、主が数十年不在とは思えぬ様相だ。
 寝室の扉をそっと開くと、室内には複数の人影があった。
 三人の女性と一人の若者が驚いたように目を見張る。黒い髪の若者はカオスも会ったことがある。彼――リックスはカオスとともに遺跡を探索したことがある。レヴィエルの弟子であり、神術師を目指していた少年は精悍な顔つきになっていた。
 燃えるように赤い髪の女性と茶色い髪の娘は安堵したように頬を緩め、白銀の髪の女性の表情が鮮やかに塗り替えられた。
「マスター……!」
 置いて行かれたにも関わらず、面に浮かぶのは主の無事を知った歓喜。そして、惑いを察して申し訳なく思っているようだ。
 どうしようもなくいたたまれない気分になりながら、カオスは笑みを浮かべる。指を鳴らしてベッドの傍に椅子を出現させ、腰をおろした。彼女が気に病まないように、かつてと同じ口調で語りかける。
「シルフィール。どうしました」
 自分でもよくわかっていないのか、シルフィールは説明に困ったように目を瞬かせる。自我を持つ使い魔など彼女以外いないのだから、参考になりそうな例は他に無い。
「記憶の断片が、消えてしまったんです」
 彼女は人の死骸を基に作られている。意識も魂も違うが、基となった人間の記憶が浮かび上がることがあった。その記憶の残滓が姿を現さなくなった。
「その代わり……少しずつ大きくなった塊に、揺さぶられているような」
 正体のわからない波が彼女を内側から揺らしている。突如湧き上がった衝動に胸が締めつけられ息苦しさを覚える時もあれば、理由も無く涙がこぼれる時もあった。
 自分がどうなるか全く見えない状態は、ただ消滅を待つのとは違う不安を彼女に与えている。
 言葉を証明するように涙がぽろぽろと落ちた。カオスは痛ましげに顔を伏せ、相手を落ち着かせるためになるべくそっと声をかけた。
「それを、抑えればよいのですね?」
「……いえ。逆、です」
 目を見開いたカオスに、シルフィールは言葉を重ねる。
「これはきっと……抑えようとしても抑えられないものだと思います」
 このままでは混沌とした状態が続き、苦しさだけが募っていくばかりだ。ならば逆に呼び起こし、形を与えようと考えたのだ。
 そのためには、内部に魔力を与え解放する必要がある。これはカオスにしかできない。
 下手に刺激しては悪化する可能性もある。それだけに留まらず、致命的な事態を招くかもしれない。
 カオスが躊躇っていると、シルフィールはわずかに目を伏せた。
「逃げてはいけない、向き合うべきもの。……そんな気がするんです」
 胸のあたりに手を当てた彼女は目を上げ、カオスに向けてふわりと微笑む。
「お願いします、マスター。私の、最初で最後の――」
 どんな結果になろうと、主の手によって与えられるものならば、彼女は受け入れるだろう。
 カオスは眩しそうに目を細めながら、どんな時も忠実に仕えてきた従者を見つめた。彼女の存在を近く感じれば感じるほど、確信する。
 誰かの代わりとして愛することはできないと。
 彼女は彼女だ。彼女が誰かの代わりになれないように、他の何者も彼女の代わりにはなれない。
「……わかりました」
「ありがとうございます。我儘を言ってしまい、申し訳ありません」
「何が、我儘ですか」
 呆れたように呟きながらもカオスの眼は優しい。
 彼女と過ごした数年間、助けられ、支えられてきた。今の世界を捨てきれなかった理由には、彼女の存在も含まれていた。大きな割合を占めていたと言っていい。
 この瞬間彼は、己の望みを忘れていた。
 一度決めてしまえば彼の行動は速かった。レヴィエルとリックス達で役割を分担し、協力を要請する。
 働きかける側がどれほど力を消費するか未知数だ。中途半端に引きずり出したあげく完遂できないようではまずい。そのため、力が不足するようならばレヴィエルが補うことになった。吸魔の結界を敷いた時と違い、カオスは丁重に頼み、レヴィエルも承諾した。
 シルフィールの方は、神術を扱えるリックス達が担当する。体に影響が出るならば、変化を診て対処する手はずになっていた。
「混沌とした世界に、終止符を」
 恐ろしい結末も覚悟しながら、彼は宣言した。

 白い手に己の掌を重ね、そこから魔力を注ぎ込む。瞼を閉ざしたシルフィールが息を呑んだ。カオスも眼を閉じ、意識を彼女の内部に集中させ、少しずつ探っていく。魔力の塊となって融け合う様を描きながら、彼女の中へ入っていく。
 目を閉じたままの二人は、体を傾け合うようにして動きを止めている。
 時間が経過するにつれて、カオスの貌に辛そうな色が浮かび上がる。レヴィエルが力を注ぐとわずかに瞼が動いた。苦痛を噛み殺すような息が漏れるが、中断せずに続ける。
 いつしか薄緑色の淡い光が二人の体を包んでいた。
 苦しげに眉を寄せたシルフィールに向かって、リックスの手が上がった。苦痛を和らげようという半ば無意識の所作は、まるで誰かが手を取ったかのようだった。
 リックスの全身から鮮やかな水色の波動が迸り、リスティルが訝しげに眉をひそめ、ルナが目を瞬かせた。神術に精通している彼女らだが、リックスが行使する術に心当たりはない。
 疑問を突き止める暇は無い。リックスの行動を助けるため、互いに目配せして補佐に回る。
 リックスの術が完成し、緑の光と融け合った。
 静寂の後、カオスの瞼が開く。消耗を隠せず頭を垂れたが、力を振り絞るようにして顔を上げる。
 固唾を呑んで見守っていた一同の表情が動いた。
 一拍遅れてシルフィールが目を開けた時、その場にいる者達の心に、馬鹿げた問いが浮かんでしまったのだから。
(――誰だ?)
 と。
 レヴィエルが思わず親友の顔を窺い、愕然とする。
 普段、内心を窺わせない笑みを浮かべている友の顔。今彼の面から、泰然とした色は剥がれ落ちていた。表情が凍りつき、翠の瞳が驚愕に揺れている。
「ッ! どうした?」
 呼びかけが耳に入らないかのように、カオスの口からかすれた声が零れた。
「何故……?」
 声も、体も震えている。彼を知る誰もが「らしくない」と評する姿だった。
「カオスさん?」
「カオス!?」
 レヴィエルに肩を掴まれても、カオスは気づいていない。皆の声も届かぬように、彼は呆然と呟いた。
「“シルフィール”」
 微笑んだ顔は、今までの彼女とは違っていた。
 「彼女」は糸が切れたように頭を垂れ、そのまま眠りに落ちた。健やかな寝息が唇の隙間から聞こえてくる。
 見守るカオスは、レヴィエルが今までに見たことがない、激しい光を瞳に浮かべている。無事を確認するまでは、他のものは目に入らないだろう。
 ルナとリスティルがレヴィエルを促し、その後ろにリックスも続き、密やかに退室した。

 屋敷の外に出た始祖達は、顔を見合わせた。
「どういうこと? 宿っていたのは記憶の残滓でしかなかったのに」
「年月によって失われゆくものばかりではない、ということだろう」
 深い傷が少しずつ癒えていくように、「彼女」は使い魔の中でゆっくりとつなぎ合わされていった。
 年月は風化を招くが、築き上げるものもある。誰かが作り始めたものを、意思を継いだ人間が完成させるように。
 使い魔のシルフィールがカオスと過ごした日々が、育む力になったのだろう。カオスとともに暮らす中で幸福を覚えた彼女の心が、「シルフィール」と共鳴したのかもしれない。
 目の前でカオスが飛び降りた光景がきっかけとなって浮上し、年月を経て表層に出てきたのだ。
 リスティルの質問に答えたレヴィエルが、弟子に向き直る。
「お前の協力があればこそ、だな。……友に代わり、礼を言う」
 レヴィエルは穏やかな微笑とともに弟子を見つめた。
 リックスは子供のように目を丸くした。厳しい師から素直に認められるなど、全く予想していなかった。照れたように口元を綻ばせて、胸元に手を当てる。
「きっと、彼女が力を貸してくれたんです」
 彼は特異な経験をしている。彼の姉は、生きながらにして吸血鬼となった稀有な人間だ。自我を保つ姉の姿を見、闇に堕ちぬよう尽力した。
 リックス自身も魔力の集合体たる悪魔――それも強大な力を持つ存在と融合し、命を救われた経験がある。
 彼の中でその悪魔は息づき、確かに生きている。
 闇の魔力に苦しむ家族を救いたいという強い想い。それが原点となり形成された、神術師になるという夢。己と融け合い、内に留まっている存在。
 それらが一つになり、実を結んだ。内で生きる者同士、カオスが解き放ち形を得たものを定着させたのだ。
「彼女は……伝えようとしたのかもしれない」
 短い間しか生きられなかったが、ありふれた光景をも鮮明に感じていた悪魔。世界を滅ぼすために生み出された彼女は、新たな道を見せた人間を救うために身を捧げた。
 彼女は、色彩を感じられなくなっている悪魔に、世界は鮮やかだと言おうとしたのかもしれない。
「今度は僕に、道を見せてくれた」
 カオスから人と関わった結末を聞いた時、己に何ができるのかと自問した。
 使命に苦しむ悪魔と対峙した時も、剣をもってしか語ることができなかった。人を滅ぼすという制約に縛られ苦悩する相手と戦うしかなかった。
 人と悪魔は相容れない。人間と悪魔が関われば破滅を迎える。そう語るかのような悪魔達の姿に、己の無力さを思い知らされた。
 世界を滅ぼそうとしていた悪魔に助けられ、分かり合えたと感じた後も、彼らに対するやりきれない思いは残っていた。
 今、自分と彼女の力が合わさって、人と悪魔が共に歩む助けとなった。それが確かな灯となって胸を照らしている。
 明るい表情のリックスはルナに視線を向けた。
「ルナさんの力もあったから」
 神術師として名を馳せる彼女にリックスは憧れ、目指す相手として尊敬してきた。シルフィールの苦痛を和らげるため別行動をとっていたルナと出会い、事情を知って協力を申し出た。剣の師がともに旅していると知った時は驚いたものだ。
 ルナは幼い頃から医者になることを夢見て道を歩んできた。彼女もまた闇の魔力によって蘇った者だ。人間と悪魔は違うというカオスの言を否定し、レヴィエルに変化をもたらして証明した。虚無感に苛まれ血に飢えていた悪魔の心を、暖かな光で照らしたのだ。
 自我を失ったものの、取り戻した彼女は、信念を変えることなく貫き通した。今までも、今回も。
 リックスの言葉に対し、ルナは始祖達へ手を向けて示してみせる。
「それを言うなら、レヴィエルも、リスティルさんも。誰か一人でも欠けていれば、きっと――」
 レヴィエルは小さく頷き、リスティルは空とぼけた顔をした。
 リスティルの働きは大きいと言える。彼女が定期的に魔力を分け与えていなければ、再会することは絶対に叶わなかったのだから。
 ルナは知っている。屋敷を訪れた際は力を与えるに留まらず、相手の気分を引き立たせようとしていたことを。異変が生じてからは、解決手段を探し、熱心に研究していたことも。指摘されれば、本人は「世話になったから、借りを返しているだけ」と澄まして答えるだろう。

 死者の蘇生は不可能。
 それは厳然たる事実。誰にも覆せぬ絶対的な真実だ。
 現に、人間のシルフィールがそのまま蘇ったわけではない。ルナやリックスのように、悪魔の魔力と密接に関わり、異なる形で復活したのだ。元通りとは呼べない、不完全な状態で。
 それすらもカオス一人では辿りつけなかった。
 彼が心を捨て、仲間であるレヴィエル達とも完全に隔たっていれば。リックス達人間に背を向け、関わろうとしなければ。この結末はあり得なかった。
「使い魔の方は?」
「一緒に暮らすはずです」
 リスティルの疑問に、ルナは確信を持って答えた。
 使い魔のシルフィールは己が消えることも覚悟していただろうが、カオスも「シルフィール」もそれを望みはしない。本物が現れたからと言って、切り捨ててしまうような男ではない。もしそうならば、意識も魂も別の相手を育てることはしなかった。「彼女」の方も、今までカオスを支えてきた相手を押しのけようとはしないはずだ。
「もう命を奪われることも――」
 リスティルが腕を組み、祈るようなルナの言葉に続ける。
「また捕まえて処刑というわけにもいかないでしょうね」
 罪人として裁かれ命を落とした「シルフィール」は、人間として蘇ったわけではない。使い魔のシルフィールと同居するような形で生きている。カオスの魔力によって命を与えられている存在だ。
 生きていない人間を再び裁くことなどできない。
 そも、処刑の前提となる習わしはすでに無くなっている。
 革命戦争も処刑も数十年前の出来事だ。時が流れた結果、国の状況や法の内容など、あらゆる面で世界は変化している。
 革命戦争の中心人物の顔を知る者もほとんどいなくなった。処刑されたという認識が不動のものになっている以上、訝しみ声を上げる人間もいない。ひっそりと暮らすならば追及の手が及ぶ心配はない。
「あとは、本人がどう考えるかだけれど」
 人間として蘇ったわけではない。身体に馴染むまで、時間がかかるだろう。
 肉体だけではなく、心の問題もある。
 譲れぬもののために生き抜いた結果として、あの結末を迎えたのだ。本人の意思で死を選んだ以上、すぐさま無邪気に喜ぶ心境にはなれないかもしれない。
「現在の状況を知ってどう思うか、だな」
 望み通り、法を守る姿勢を見せて混乱を避けることができたが、それだけではない。
 「彼女」の死がきっかけとなり、法が整備されたのだ。
 魔女狩りを防ごうとした仲間だけでなく、処刑に疑問を抱いた人々が動いた。古い習わしである魔女狩りが無くなったことはもちろん、全体が見直され、改められた。
 命を懸けて守ろうとしたものは確かに残り、今もなお生活の中で息づいている。
「これからはきっと、穏やかに過ごしていくんだと思います。……カオスさんと一緒に」
 意識も魂も違う存在が記憶を感じられたのは、それほど深く身に刻まれていたからだろう。幸福だった頃の記憶はほぼ全て、彼と過ごした時のことだ。
 「彼女」が成し遂げたかったことは達成された。そうなれば、守ろうとするものも変わる。
 これから関わり、変えようとするのは、もう一つの世界だ。

 安心するには早いと言いたげに、リスティルはそっけなく呟く。
「まだ課題は山積みよ?」
 反論する者はいなかった。
 問題は多く残されている。
 まず、「彼女」を安定させることから始めなければならない。
 それができたとして、折り合いをつけていくべきものがある。
 信念に従った結果命を失い、生を与えられた本人の心。
 使い魔のシルフィールとの関係もだ。一つの体に二つの意識。それも、彼の心に吹く虚ろな風を止められなかった者と、止められる者という大きな違いがある。
 三者が向き合い、関係を築いていく必要がある。
「混沌の名を持つ賢者、だからな。アイツは」
 穏やかに微笑んだレヴィエルにルナも頷く。
 四人は確信していた。
 険しい道のりだが、彼らならば成し遂げる。今はまだ混沌とした状態だが、やがて彩りに満ちた世界を形作るだろうと。
 カオスは一人の人間と出会い、それまで抱いていた考えが変わった。大切な存在を喪い、絶望を味わった。取り戻そうとあがき、己の愚かさや無力さを噛みしめた。世界を作り直そうと考え、それが叶わぬならば命を絶とうとするほど追い詰められた。死ぬこともできず虚無に蝕まれていた。
 何より、誰かに深く心を向けることを知った。譲れぬもののために戦うことを、その身体で覚えた。
 出会い、喪ってからの数年で、心には大きな変化がもたらされた。その彼が、全く同じ過ちを繰り返すことはないはずだ。
 ルナが青い目に光を浮かべ、軽く拳を握る。
「私達も、力を合わせれば」
 どんな変化があったとしても、過ちを完全に無くすことはできない。道を見失うこともあるだろう。
 ならば、他の者が助ければいい。一人では届かずとも、他者が補えば結果は変わる。一人で抱え込み闇の中を歩んでいた数十年前と違い、今は彼に力を貸す者達がいるのだから。

「……そういえば、ある人が言っていました」
 村の宿屋で働いていた娘を思い出し、ルナが呟く。人の想いを見ることのできる少女は、リスティルの城から戻ってきたばかりのレヴィエル達にこう告げた。
『絶望しても、全てを諦めても。それでも人は再び立ち上がり、歩くことができる。人の想いが引き起こした必然。それを奇跡というのだと、私は思う』
 その言葉にレヴィエルも記憶を刺激され、心の光を見る少女に思いを馳せる。
 彼女の言葉は悪魔にも当てはまるかもしれない。
(お前にも……それだけの強さがあるだろう?)
 友は愚か者だったかもしれないが、心が弱いわけではない。
 人を信じ、人のために戦い、人に裏切られて大切な者を奪われてもなお、人を恨まずにいた。相手の望みだからといって、容易くできることではない。
 今の世界を捨てて取り戻す道も見えていたのに踏みとどまったのも、おそらく同じだろう。迷い、躊躇い、仲間に明かしたのは、意思や想いの弱さゆえではないはずだ。
 かつてレヴィエルはカオスを、始祖の中で一番甘いと評したことがある。今ならば別の言葉を――ルナと同じ言葉を用いるつもりだった。
 そんな彼の想いが引き起こした現象は、必然か、奇跡と呼ばれるものか。
 どちらにせよ、立ち上がるには十分なきっかけが与えられた。
 レヴィエルは懐から宝石を取り出し見つめた。大きな涙の雫が固形化したかのような宝玉を、黄金の台座が支えている。持つ者の心に感応して輝くそれは、カオスとの戦いにおいて身を守ってくれた。
『貴方ならきっと、彼も救ってくれると……思ってる』
 渡された時はわからなかったが、今ならば誰を指しているのか明らかだ。
 親友を救うと決意し、ロシュールにも託された。
 戦いの果てに計画を阻止することはできた。実行してはカオスが苦しむことになっただろうから、救われた部分はあっただろう。
 それでも、カオスの心に空いた大きな穴を埋めることはできなかった。
 目の前で飛び降りた友の姿が、絶望しきった悲しい笑みが、レヴィエルの脳裏に焼き付いている。
 彼は宝石をしまい、己の掌を見つめる。
 届くことの無かった手を。
 掴めなかったのは彼も同じだ。カオス同様、かつてと同じ結末を迎える気は無い。
(今度こそ……!)
 誰かを救うのは簡単なことではないと実感した。それでも意思は変わらない。
 親友を救ってみせる。
 そう、誓ったのだから。

 レヴィエルは、己と同胞の歩んできた道程に思いを巡らせた。
 リスティルが彼の後を追い渇きを癒してきた理解者ならば、カオスは彼の先を行き、様々なものを見せてきた相手だ。戦いをもってレヴィエルの飢餓を和らげることはしなかったが、彼が披露した知識や考え、投げかけた言葉は糧になった。
 レヴィエルが変わった後も、過去をつきつけ、どう向き合うか考えさせた。
 村の焼き討ちという形で、端的に問いかけて。
 カオスによって引き起こされた、悪魔による襲撃。レヴィエルの心が満たされ、ルナが自我を取り戻し、全て片付いたと思われた矢先の出来事。それは二人にとって重要な転機となった。
 カオスのせいで村に危機が迫ったことは事実だ。復興し、傷が癒えたとはいえ、それで済む問題ではない。レヴィエル達が対処すると見越しての行動だろうが、村を傷つけられた者達は納得できなくて当然だ。村人にとっては理不尽で迷惑な、罪深い行い以外の何物でもない。
 だが、二人には異なる意味があった。
 レヴィエルが身を盾にしてでも立ち向かう姿を見せていなければ。ルナが他者を信じずに秘密を隠したままならば。最終的に、村人から受け入れられることはなかったかもしれない。
 レヴィエルにとってはさらなる意味がある。
 彼にはまだ見るべきものがあった。
 燃える村を目にし、命を落としかけた衛兵を前にして、己のやってきたことが恐ろしいものだったと気づかされた。己と関わった特定の人間だけでなく、他の人間も懸命に生きていることを知った。さほど関わりの無い人々も含めて、村人全員を体を張って守ろうとしたのもこの時だ。
 全てが終わった後、正体や過去を知っても受け入れようとする村人の姿に、強さとは何か教えられた。
 振り返っても、奪ってきたものが戻るわけではない。だが、重さを噛みしめることすらしなければ、どこかで破綻を招いただろう。目を向けないままでいることは許されなかった。
 リスティルの城から戻った直後、二人は何もかも解決したと安堵していた。
 指摘されなければ、どちらも抱える問題に気づかなかった。そのまま時を過ごし、取り返しのつかない事態に発展したかもしれない。
 カオスのエゴに付き合わされたが、その間の出来事は己の道を照らす灯となった。
 どこまで考えての行動かはわからない。確かなのは、彼から教わったことは多いということだ。
 思索に耽るレヴィエルの肩を軽く叩き、リスティルは悪戯っぽく笑う。
「今度はこちらが貸しを作っておいて。後々たっぷり返してもらいましょうか……ねえ?」
 彼女が扉に目を向けると、カオスが出てきた。容体が安定していることを確認し、眠りを邪魔せぬよう部屋を後にしたのだろう。
 彼は、四人に向けて笑みを見せた。
 飛び降りる直前に浮かべたものとよく似ているが、こめられた感情は正反対だとわかる笑みを。
 レヴィエル達も同じように晴れやかな表情を浮かべる。
 愛する人間を喪った時点で、彼にとっての幸せな結末(ハッピーエンド)は無くなった。
 ようやく掴みかけた希望は儚く、いつ消えてしまうかもわからない。たとえ叶っても、元通りの状態ではない。人間のシルフィールが命を落とした事実は変わらず、人間としての彼女が蘇ったわけではない。
 それでも、鮮やかな風を感じながら大切な存在とともに歩んでいく。
 彼が浮かべたのは、そんな笑顔だった。
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