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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

響き渡らぬ協奏曲

ノクターンSS『響き渡らぬ協奏曲』



 これは、本来ありえぬ物語。
 少年達に託されず、冒険譚が綴られなかった時の結末。
 風の色の協奏曲が響くことなく、物語は終焉を迎える。

 古びた通路を、金色の髪の青年が進んでいく。人に打ち捨てられた塔はあちこちに埃が溜まっているだけでなく、瘴気が湧き、魔獣の溜まり場となっていた。眼鏡の奥の眼に映る景色はひたすら陰鬱だ。
 大抵の人間が回れ右をしたくなるような場所を黙々と歩む彼の足が止まった。
 薄暗い通路を照らす白い輝きをじっと見つめる。
 眼前に姿を現したのは、この世にいない、愛しい者の姿。
 最も大切な相手を前にしてもなお、表情は揺るがなかった。死という事実を覆そうとあがき、不可能だと思い知らされたのだから。
 映像の向こうの相手に、窘めるように語りかける。
「死者の幻を利用するのは、あまりいい趣味とは言えないと思いますよ」
 呼びかける間も、魔導師の性か、術の性質を分析する。
 光属性の魔術――扱いが難しい幻術に加え、結界で術者の気配を絶っている。
 会ったこともない相手を細かく再現するのは難しい。直接姿を変え、模倣するというより、見る者の心を映す鏡を展開しているのかもしれない。そこには心の重要な位置を占める相手――忘れがたい死者や、大切な仲間の姿が映る。
「戯言を」
 霧が消えるように人間の姿が消え、代わりに茶の髪の若者が現れた。黒い帽子を被り、神父が着るような服を身に纏っている。
 静かな言葉を鼻で笑い飛ばした若者は、指をゆっくりと曲げつつ語る。
「人間を、殺す。できる限り楽に。より楽しめるように。それだけのことです」
 獲物を前に、舌なめずりする獣のような顔。それを見ても、青年は動じない。
「……人間?」
「ああ、貴方は人間ではありませんからねぇ。敵と言うべきでした」
 訝しげに聞き返した青年に、若者は憎々しげに呟く。敵意を隠しもせず、思う存分ぶつけてくる。剥き出しの悪意に晒されながらも、青年は落ち着いて返答した。
「カオスという名前があります。シャロンさんによると、貴方は確か……カーディナルと言いましたか」
 帽子を被った若者――カーディナルは言葉を無視し、カオスの顔に人差し指を突きつけた。
「人間ではないのだから、なおさら先ほどの台詞は滑稽です」
 カーディナルの眼が苛立ちを宿して鋭く光った。
「人の尊厳を穢す? 死者を愚弄する? それが何だと言うのです。人間に害なす悪魔が、何を今さら」
 カーディナルの指が下に動き、心臓の辺りを指し示す。
「感じますよ。濃密ではなくとも、血の匂いを。我らと同じく、人間の命を奪ったはずだ」
 突きつけられた宣告に、カオスは反論しなかった。
「……私は、確かに。人を、死に追いやった。死者の躯を……使いました」
 感情の見えぬ声にカーディナルは気をよくした。それ見たことかと言いたげに笑みを深める。
「そんな貴方が。我らの行いを非難するのですか?」
 手を下ろしたカーディナルは片手を突き出した。
「……まあいい。計画を妨害する者は、排除するだけだ」

 カーディナルはくつくつと笑う。
 絶対の自信を持つ不可侵の結界を破られた時は、どれほど恐るべき力の持ち主かと驚愕した。『回帰せし者』をも上回る魔術の使い手に、畏怖に近い念すら抱いた。
 実際に目にして、予想は裏切られた。
(どんな化物かと思えば……)
 と、己を笑いたくなった。
 伝わってくる闇の気配は、絶望的な狂気も絶対的な恐怖も孕んでいない。相当な使い手らしいことは窺えるが、それだけだ。
 カーディナルの戦闘能力は高くないが、今ならば上回ることも可能だと思っていた。
「いくら力があろうと、六神結界を破ったことで疲弊しきっているはず。その上私と戦うとなると、どれほど消耗することか。その程度の計算はできるでしょう?」
「私が他の二人と戦うことは、ありえませんね」
 あっさりと認めたカオスに、カーディナルは唇を捻じ曲げ嘲笑した。
「ハハハッ、これは傑作だ! 力に驕り、突っ込んできただけですか。ここで私が、先へ行く労力を省いてあげましょう」
「それはありがたいですね。私が進む必要はありませんから」
 全く動揺を見せないカオスに、カーディナルは相手の正気を疑い始めた。カオスは薄く笑い、手を広げる。
「ご存知ですか? 最上位の闇の眷属ともなれば、魔の気配を感じさせぬと」
「……何が言いたいのです?」
「もう一人が、二人の相手をします。私の出る幕はありません」
 結界を通る際、己の気配を振りまく一方で、もう一人の気配を紛らせつつ進んだ。途中まで進み、カーディナルの接近を感知した時に上層へと転移させ、自身は普通に歩いていった。
「先に、行かせた? 私に気取らせず、あの二人と戦える悪魔を?」
「ええ。私は『彼』を進ませるだけでいい」
 塔に入る際、カオスはカーディナルに己が存在を誇示した。結界を破った悪魔だと知らせてプライドを刺激し、注意を引いたのだ。カーディナルが一人で己のもとに来るよう誘導し、成功した。現在「彼」はスカーウィズのもとに、神の卵の孵化を阻止しに行っている。
 単身で悪魔と魔剣使いの二人組と対峙させるなど、常識で考えればありえない判断だ。
 だがカオスは、「彼」ならば二対一でも成し遂げると確信していた。それどころか、三対一でも結果は変わらないとさえ思っている。ここでカーディナルと戦うのは、決死の分断ではなく、単なる分担に過ぎない。
 カーディナルは混乱している。
 目の前の悪魔は、六神結界を破るという、誰にもできぬはずのことをやってのけた。
 その彼が、絶対の信頼を見せる相手。おそらくは互角か、それ以上の強さを誇る悪魔がいる。

「さらなる力の持ち主など、いるわけが――」
 動揺が深まる一方のカーディナルは、体勢を立て直そうとして笑みを繕った。
「それほどの力を持つ悪魔が、何故人間を襲わずにいられるのやら。あまつさえ、こちらの邪魔までするとは……一体、制約はどうなっているのですか」
 カーディナルの頬はぴくぴくと動き、眉間にも皺が寄っている。形ばかりの笑みは、今にも剥がれ落ちてしまいそうだ。泰然と構えるカオスに、噛みつくように言葉を叩きつける。
「どうして貴方達は止めに来たのです!? ただの気まぐれゆえに制約が働かなかったか……そうだ、そうに決まっている!」
「違いますよ」
 諭すような物腰に、カーディナルの眉がぴくりと動いた。
(やはり。明確な意思の下に)
 その先を考えかけて、すぐに打ち消す。知らず知らずのうちに、低い、呻くような声が漏れる。
「馬鹿な……そんなはずはない」
 悪魔には精神的な制約がある。普通の人間とは比べ物にならぬ力も、用途は制限されている。例外など、あるはずがない。そんなものは、知らない。認めたくない。
「何故。何故、邪魔を。我らの、使命は」
「一つ、気になったのですが」
 うわごとのように喋るカーディナルに動じず、カオスは淡々と問う。
「貴方は何故、私に幻を見せたのですか? 人間ではないと知っていながら」
 人間を殺すことに何の感慨も抱かぬ悪魔ならば、死者の顔などいちいち覚えているはずがない。人間どころか、同族の生死すら気にとめない悪魔である可能性も大いにあった。
「貴方も、悩み、苦しんでいる。何の迷いもなく進める悪魔ばかりではないと知っている」
「な、にを……!」
「止めにきた理由が、制約からすり抜けただけの気まぐれか、否か。薄々わかっているからこそ、使ったのでは?」
 殺戮に何の疑問も持たぬ悪魔に使用したところで、たいした効果は望めない。
 止めに来たのが悪魔だと知り、破滅を防ぐ理由――人を守ろうとしていることも察したからこそ、行使した。実際に人間の姿を映し、当たってほしくない予想は確信へと変わった。

 痛いところをつかれたのか、カーディナルの顔がゆがんだ。
「う、るさい……うるさいうるさいうるさい! 黙れェェッ!」
 ヒステリックに叫んだ彼は側頭部の髪をかきむしる。打ち消そうとした考えが、口から転がり出てしまった。
「まさか、制約に縛られていないと言うのではないでしょうね……?」
 沈黙が肯定を示していた。
 カオスは何も語らず、例外――始祖が制約をかけられていない理由に思いを馳せる。
 漂白の状態で世に放たれたのは、手に負えなくなった悪魔と魔獣を滅ぼすための最終手段。いわば「共食い」を期待しての処置だ。
 作られた目的自体は、あくまでも人間を滅ぼすためで、他の悪魔達と変わらない。人を襲うことは強制されないが、渇きは存在し、苦しめられた。
 それらの事実を知るはずもないカーディナルは激高した。
「おのれ……おのれぇ! 存在するはずが無い……宿命から逃れ得た悪魔など!」
 真実を知った時、世界が崩れていく感覚を味わった。
 遥かに劣る獲物だと信じ切っていた種族が自分達を作り出し、道具として使っていた。意識も魂も全て仮初のもので、身を焦がす欲求も植え付けられたものにすぎなかった。
 疑いも無く本能に従い、嬉々として人間を襲っていた己が道化に思えた。今までの道程がくだらないと言われたかのようだ。
 事実を知って湧き上がった感覚も――心を浸す絶望すらも、作り物。
「認められる、ものか」
 人間ごときと馬鹿にしてきたが、その人間にも忘れ去られた存在だと。
 破壊や殺戮のためだけに生み出され、それすらも望まれていない悪魔達。果たしたところで何の意味も無い、虚しい使命。時の流れに取り残され、大人しく消えることを求められるだけの遺物。そんな事実を受け入れ、引き下がれるわけがない。
 もはや誰からも必要とされない存在ならば、衝動に従い力を振るうだけだと決めた。
 その生き方に迷いは無かった。否、抱いてはならなかった。他の道は存在しないのだから、これでいいと受け入れるしかない。

 目の前の悪魔は、自分やスカーウィズには不可能なことができる。壊すも守るも本人の意思で決められる。己の選んだ道を歩んでいけるのだ。
 カーディナルの眼には、青年は執着や苦悩とは縁が無いように映った。心をはばたかせ、自由に生きているように見えた。悪魔の宿命から解放されて。
「かつては同胞と同じく人間に死を与え。今は同族を狩りながら。誰かに必要とされ、満ち足りた生を送っていると? ……ふざけるな!」
 カオスは口を開きかけたが、再び沈黙を選んだ。今回も肯定を示していると解釈したカーディナルは、射殺さんばかりの眼光で睨みつける。
「初めてですよ。人間以外で、これほど殺したいと思った相手は」
 憎悪の滴る声に対し、カオスの眼差しに熱は無い。
「知りうる限りの手を尽くし。最も残酷な方法で」
 激情に身を震わせるカーディナルは、毒々しい笑みを浮かべた。先ほど出現した幻と、それに関するカオスの言葉を咀嚼し、侮蔑とともに吐き出す。
「あぁ、貴方の気にかけている相手が死者なのは残念だ。生きていれば、この上なく惨たらしく殺してやったのに。人間風情に相応しく、ねぇ」
 挑発に対し、カオスは微笑んだ。
 あっけにとられたカーディナルの表情を観察しつつ、言葉を紡ぐ。
「感情が風化してはいないのですね。憎悪すらこの身から失われて久しい私とは、違うようだ」
 カーディナルはますます悔しげに歯噛みする。醜く顔をゆがめ悪罵をぶつけてくれば溜飲も下がるというのに、一向に挑発に乗らない。
「……ハッ! 憎悪すら忘れるなど、あまりに情けない」
 嘲笑を浴びせたカーディナルに、穏やかな声が届いた。
「貴方も、憎むには値しない。心を揺らすことすらできないのですから」
 正負に関わらず何らかの感情を抱くには、相手への関心が無ければできない。特に憎悪は、相手の存在が己の中で大きくなければ、覚えようがない感情だ。深淵が「彼」を憎み、執着したように。
 憎悪だけでなく、激しい感情は彼の心から遠ざかっていた。形を成すにも、抱え続けるにも、それだけの力が湧かない。
 心を激しく燃え立たせるどころか、揺さぶることすらできぬ程度の、くだらない相手。そう告げられたも同然のカーディナルの顔にさっと朱が差し、反射的に魔術を繰り出した。
「貫け、銀の槍よ!」
 それがカオスの身に届くことはなかった。
 放たれた魔術を、彼は軽く捌き、受け流したのだから。やっとのことで逸らしたのではなく、流れを見極め、必要な魔力を正確に算出し、最小限の力で。
 顔をこわばらせたカーディナルに向けて、カオスの魔術が放たれた。
 倒れる悪魔を見ながら、彼は誰にともなく呟いた。
「“赦してくれ、などとは口が裂けても言えない。せいぜい……嘲笑ってやってくれ”、か」
 製作者が遺した言葉を口にする間も、彼の面は凪いでいた。
「……私は」
 製作者に恨みつらみをぶつける気にはならない。生み出された経緯も、世に放たれた目的も、どうでもよかった。
 重要なのは、もっと別のことだった。
「私は、ただ――」
 上方から異質な気配が伝わってきた。「彼」の戦いも終わったと知って、ひとりごちる。
「これで、終わったのですね」
 彼の表情は、苦いものを口に含んでいるかのようだった。
 世界の危機を阻止したというのに声に誇らしげな色は無く、疲労がにじんでいた。

 少年達の冒険が無ければ、悪魔が悪魔達を倒して終わる。
 スカーウィズが立ち向かう人間を認めることも無く、『回帰せし者』が世界に色彩を感じることも無く。
 幾つもの欠かせぬ出会いが、欠落したまま。
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