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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

grope

ノクターンSS『grope』



 月は闇の住人達を照らしてきた。
 物語の断片がこぼれ、月明かりの下に姿を現す。
 深淵、皇帝、混沌の道程が。

業火

 燃えるように紅い髪の女が、よろめきながら走っていた。
 もつれるような足取りで木々に体をぶつけながら進む姿を、普段の彼女が見れば無様だと評しただろう。
 艶やかな笑みを浮かべる余裕も無く、少しでも遠ざかろうとしている。
 彼女は、同胞を止めようとして失敗した。
 殺戮に走る黒衣の男を、身をもって阻もうとした。人間を殺せば殺すほど、彼は闇に沈んでいくように見えたから。
 自信はあった。
 彼の前に立ち、心も力もぶつけ合えると思っていた。
 現実には、あっけなく敗れ、這う這うの体で逃げだした。彼の失望した視線が背に刺さり、心を惨めに抉っていった。
 足が止まり、地に掌をつく。長い髪がこぼれ、広がった。
 どれほどの間そうしていたかわからない。
 やがて頭が動き、身を震わせる。
「ふふ、ふふふふ……」
 笑い声は暗い木々の隙間に消える。
 彼女は面を上げ、唇を吊り上げた。真紅の目は愛情が反転した憎悪に染まっている。
「いいわ、レヴィエル。何年かかってでも必ず。……貴方を超えてみせる」
 その道のりは遠く、叶う可能性は遥か彼方だ。だからこそ、永遠に近い生命をかける価値がある。あらゆる労力を払ってでも、傷つけられた誇りを取り戻す。
 悪夢の化身。
 最強の魔神。
 そうでなければ、挑むかいもない。
 愛した男の心臓に刃を突き立てる瞬間を想像し、彼女の笑みが深くなった。
 血を血で塗りつぶすような戦いを求め、指がかきむしるように動く。
 感情が噴き上がり、体の奥に火を灯す。脳を痺れさせる激しい熱すらも心地よい。
「私の力を、存在を、認めさせて。貴方の身に、心に、刻んで。その時こそ、貴方を――殺してあげる」
 そう告げた彼女の貌は、妖艶さを漂わせていながらも、純真な子供のようだった。
 衝動は全て一人の男に向けられた。
 彼女は目的を見つけた。数千年の時が流れても、退屈に心が腐食されずに済むほどの。
 彼の渇きを癒そうとして果たせなかった彼女は、己を駆り立てた。
 何度も挑んだのは、一刻も早く己の力を認めさせたかったためか、少しでも相手の渇きを和らげようとしたのか。
 炎の色は判別できなかった。

業魔

 黒いコートを着た青年が、森の奥へ歩を進めていく。
 屋敷の外にたたずむ旧友を見て、彼――レヴィエルが面に載せる表情に、温かさは無い。
 同胞の一人、深淵のリスティルを下し、もはや相手になりそうなのは金色の髪の青年くらいしか心当たりがない。
「カオス」
 呼びかけられたカオスは眉を寄せ、困ったように呟く。
「貴方もわかっているはずです。私は――」
「貴様は我らを――人間をも攻撃しようとはしない」
 双剣の柄に触れたレヴィエルは腕を動かした。剣が抜き放たれ、刀身が月光を映した。
「何故だ? 力を持ちながら……衝動に苛まれようと、振るおうとはしないのは。その力は、何のためにある」
 レヴィエルの問いはもっともだと言えた。
 悪魔の本能として、闘争や血を求めているのは紛れもない事実。備わった力を存分に発揮したいと、望まないわけがない。
 渇きが癒えても、所詮一時しのぎだ。
 終わった時に何も残らない。どちらが勝利したとしても、得られるものはない。渇きはすぐに復活し、虚ろな穴も塞がらない。
 レヴィエルとてそれは承知しているが、譲れない。たとえ一時でも逃れられるのならば、躊躇わず刃を振るい続けるつもりだ。
「他者を傷つけるのが嫌か。随分と甘いことだな……まるで、ただの人間のようだ」
 挑発を投げかけられてもカオスは動じない。
 彼は透明な表情を浮かべている。好戦的な口調の裏側の、友の心を見ているかのように。
 レヴィエルとて本心から侮蔑しているわけではない。カオスの力がもっと低ければ「珍しい奴もいるものだ」で終わっただろう。己に近い力を持つからこそ、感情を刺激して本気を引き出そうとしている。
 空気が鳴った。
 次の瞬間、レヴィエルはカオスの首筋に刃を触れさせた状態で静止していた。振るわれた軌跡も見えぬ、神速の動き。
 恐るべきは、それほどの速度で繰り出された刃を寸前で止めたレヴィエルの技量か、レヴィエルが止めると見越したカオスの洞察力か。
 カオスの表情は動かない。
 レヴィエルはようやく理解した。旧友の心が、己以上に虚無に蝕まれていることを。
 解放されることの無かった牙が内に向き、少しずつ削ってきたかのように。
 対等な力の持ち主と戦ってみたいという欲求も、無いわけではないのだろう。それを凌駕するほど、無関心が精神に根を張り、呪縛している。
 カオスは扉の前に転移し、何事も無かったかのように客人を招いた。
「そういえば、先日珍しい書物を見つけました。読んでみませんか?」
 望みに応えることはできないが、気を紛らす方法は提示する。まだレヴィエルの心は虚無に支配されていないと言うように。
 剣を収めつつレヴィエルは考えた。たとえ刃を止めずとも、カオスは頓着しなかっただろう。
 レヴィエルにとっては、自分が殺されうる状況は歓迎だ。追い詰められるほどの相手と出会うことを求めている。力を振り絞り、叩き潰せば、暇つぶしにはなるからだ。
 カオスにはそれを望む気持ちもない。
「……残念だな」
 カオスが全ての力を解放すれば、自分といい戦いができるかもしれない。
 己以上に虚無に囚われている友人の背を見、世界が変わる日は来るのかと彼は嘆息した。
 変わるべきは自分達だという考えは浮かばなかった。

業罪

 金髪の青年が、夢の中のように頼りなく歩く。
 ふらふらと体が揺れながらも、目指す方向は決まっている。
 目的地まで辿りついた彼は、焼け焦げた死体を前に膝をつく。
 灰になるまで焼かれなかったのを幸運と呼べばいいのか。原型を留めているからこそ残酷なのか。
 壊さないよう細心の注意を払いながら、躯をそっと抱きしめる。
 名を呼ぼうと答える声は無い。
 奇跡は起こらない。
 神に祈りを捧げようと、届きはしないだろう。
 悪魔に魂を売ろうにも、彼が悪魔なのだから力を借りる相手はいない。魂も作られたものだから、取引には使えない。
 悪魔の中でも高位の力を持つ彼すら、命を呼び戻す方法は見つからずにいる。
「……何が。何が、賢者だ」
 人間から与えられた肩書が、重く、苦い響きを伴って心に広がる。
 彼女が焼け死ぬのを見ていることしかできなかった己に、相応しいとは思えない。
 牢から脱出させることも、磔から救い出すことも簡単に成し遂げる力がある。豊富な知識と魔術の才を持つと自負している。肝心な時にそれらは役に立たなかった。助けを拒まれた時も、説得の言葉は浮かばなかった。
 法を打ちたてようと戦ってきた彼女は、最後まで法に従った。
 たとえそれが、「悪魔と関わった者は火あぶりの刑に処される」という、迷信に近いものでも。
 革命直後の混乱期では、暴君の専横を防ぐ法を打ち出すだけで精一杯だった。もう少し時間が経てば、昔からあった、法とも呼べぬような決まりも見直され、整備されるはずだった。
 彼女を救う方法があったとすれば、ただ一つ。正式な手順に則って法を無くすか、内容を修正することだけだ。変更も、公正だと認められる形でなければならない。法に沿って解放されなければ、彼女の歩んできた道を裏切ってしまう。
 悪魔だと知られた彼が人の中で動き、実現できるはずがない。彼女の仲間達も働きかけたが、間に合わなかった。
(時間が、不足していた?)
 浮かんだ考えを鼻で笑う。
 己の持つ時間は永遠だと嘯き、無為に過ごしてきたのは誰だったか。
 他でもない、自分だ。
 彼女と生きた時間はあまりに短く、もう戻らない。
 彼は長い間うずくまっていた。緑の目は虚ろで、感情を映していない。
 死体を抱く、一目で異常だとわかる姿を見咎める者はいない。結界を張り、邪魔は入らないようにしている。
 首筋に顔を埋めるように身をかがめ、彼はぽつりと呟いた。
「……絶対に」
 ゆっくりと顔が上がる。
 レヴィエルやリスティルが見れば驚愕するであろう光を、双眸に宿しながら。
「絶対に、もう一度――」
 愛する者の死骸を抱え上げ、彼は姿を消した。
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