二人の人物が廊下の窓から校庭を眺めていた。
頭にはえらのような部分が見え、青い肌には鱗が生えている。体格は大人と若者で全く違うが、榛色の瞳には同じ光が浮かんでいる。
父親は高級地区、娘は放棄地区に住まい、それぞれ教師と学生として同じ学院に通っている。
娘は竜人の子を守るため父親の元を離れ、気を張って生きていた。
廊下で出会ったところ、娘の方が呼び止めて質問を投げかけたのだ。
「私は、人間と歩み寄ることはできないと考えていました」
職を求めても人間でないゆえに叶えられず、幼い子ごと住居を追われそうになり、暴力を振るわれそうになったことが何度もある。
学院は入学する意思のある者を拒まず、出自を問わない。種族を問わず評価する学院長の方針によって学院に通うことはできた。しかし、学校外では著しく制限されていた。
怒りと諦めが募っていき、爆発しそうになった時、ある若者と出会ったのだ。
荒っぽい相手に詰め寄られているところを庇われ、仕事を紹介してくれた。
最初は捨てられた動物にエサを投げ与えるように、気まぐれに手を差し伸べただけかと思った。だが、仲間が増えていくにしたがって疑いは消えていった。
自分と同じように住むところが無かった少女は、居場所を与えられた。もし彼がいなければ飢えに苦しみのたれ死んでいたかもしれない、とは本人の談だ。
月の女神までパーティーに誘い、当たり前のように受け入れている若者の姿を見た以上、種族が原因で態度を変えることはないと悟らざるを得なかった。
若者は冒険の主力となった。時には野生動物の狼とも果敢に戦い、時には先行して足場を作ったり開錠したり補助をした。
ストレスを解消できるコーヒーをがぶ飲みしつつアロマを焚き、ニワトリの置物を大量に持ち込んではメンバーに配り、余った生肉や魚のエサを「せっかくだから」とかじり始めるなど奇行も多いが、退屈はしない。
仲間も壁を作り遠ざけることはせず、チームの一員として力を貸しあってきた。純粋な人間ではない者が多いのだから、自然なことだと言えたかもしれない。
冒険の日々を彼女は目を細めて語り、娘を見守る父も同じ表情をしていた。
「同じような経験をしたことはありますか?」
彼女の中で築かれていた壁は少しずつ溶けていった。
ならば、父はどうなのか。
生徒の指導に励む様を見ていれば、人間に対して絶望していることはないだろう。
元から心の壁など作っていなかったのか、自分と同じように誰かがきっかけで解消されたのか、知りたかった。
「セタ……」
娘の名を呼び、父――ジュドはしばし黙考した。
真っ先に浮かんだのは青い髪と無精ひげの目立つ中年男の顔だった。
同じ武術運動部の顧問であり、最も接する機会が多い人間だ。
面倒なことはジュドに丸投げし、気に留めた生徒以外は適当に扱う。才能の多寡に関わらず丁寧に指導するジュドのやり方とは正反対だ。
仕事を任せるわりに感謝せず、そっけない態度を見せることも多い。
顧問は自分一人でいい、ジュドがいるのはお偉方の厚意だと言った時は、温厚な彼も穏やかではない気持ちになった。波風ひとつ立たぬ間柄とは到底呼べない。
「堅苦しくて息が詰まるってんだ。細けぇことにイチイチこだわんなって」
と、首の骨を鳴らしながら文句を言われたこともある。
口うるさく注意されるのが嫌なのは理解できるが、ジュドも好きで口出ししているのではない。他の教師にとっては当たり前のことを怠けようとするのが目に余り、窘めるのである。
それでも、家族の相談をする程度に心を許してはいる。
剣の道を進み、娘がいるという共通点が距離を縮めていた。
「良くも悪くも昔から変わっていないな。あの男は」
ジュドは面白がるように大きな口を緩めた。
二十年以上も昔、シルフェイド学院の入学式が行われた。
その数日後、教室内で人間の生徒に混じって、ジュドは未来を想像しようと試みていた。
この世界には純粋な人間ではない、ネオ・ジーンという者達がいる。大戦の際、遺伝子を改造された戦士だ。
戦争が終わり、「用済み」になった彼らは居場所を失ってしまった。
シルフェイド島においてネオ・ジーンが表立って弾圧されることはないものの、冷遇されているのは今も昔も変わらない。
卒業しても、その後どうなるのかわからない。
(今は学業と武術の双方を吸収することを考えよう)
普通の人間と違い、周囲からの目は厳しくなるだろう。同じことをしても、良いものであれば疑いの眼で見られ、悪いものであればそれみたことかと指差される。
(それでも……)
己を磨き、結果を出せば。
名声までは求めない。
認められ、居場所を作ることができれば。
厳しい道のりになるのは確実だが、ジュドは真っ直ぐ顔を上げていた。
帰り道、ジュドは学生生活のことを考えていた。
文武両道を目指すならば武術運動部が最適だろう。どちらかに偏ることなく学んでいこうと改めて決心した彼の目に、集団が目に入った。
二人の女生徒が数人の男子生徒に囲まれるようにして立ち尽くしている。男子生徒の方は制服の崩れ具合などから上級生だろう。木刀が入っているらしい包みは、武術運動部の証か。
「いいだろォ? ちょっとぐらい」
「こ、困り、ます……」
男子生徒は六人もいる。囲まれた女子は目に涙をうっすらと浮かべ、震えている。
下手に逆らって機嫌を害すれば。暴力を振るわれたら。
恐怖が枷となり、声にも力が無い。
「何でそんな怯えんのよー、俺らワルモノみたいじゃん」
へらへら笑いながら一人が女生徒の方を掴んだ。
息を呑み、反射的に振り払おうとするが、逃げられない。
見かねたジュドは割って入った。横から手を掴み、離させる。
「嫌がっているだろう。見てわからないのか?」
「ああ!?」
声を荒げた男にかまわず、背後に庇った女子に呟く。
「行くんだ」
「ひっ……!」
漏れたのは小さな悲鳴。
怯えているのは絡んできた男たちに対してか、助けに入った相手へのものか。
腹は立たない。
しかし、何も感じないと言えば嘘になる。
二人は後ずさるようにして距離をとった。礼も言わないまま震える足を叱咤して去っていく。
追おうとした男の前にジュドが立ちはだかり、黙って見据える。
新入生とは思えない立ち振る舞いに一瞬怯んだが、数を頼みに嘲笑を浴びせる。
「トカゲ人が優等生ぶってんじゃねえぞ」
「助けて恩を売ろうってか?」
「しつけが必要だなァ」
中には木刀を取り出し、構える者もいる。
対するこちらは一人、素手である。
だが、六人がかりで一人を襲うような連中に頭を垂れる必要は感じない。
殴りかかってきた男の動きを観察し、掌で拳を払う。今度は側方から木刀が振りかざされたが、身を捌きつつ腕で受け流す。
痺れが走ったが、衝撃を殺していたため大怪我には至らなかった。
この人数が相手では、無傷で、触れさせもせずに切り抜けられるとは思っていない。
獲物の抵抗にいきりたった男達が殺到しようとした瞬間、陽気な声が響いた。
「楽しそうなことしてんじゃねぇか。オレも混ぜろよ」
青い髪が揺れた。夕日に染まった顔には、この場に不釣り合いな笑み。
ジュドと違い学生服をだらしなく着ている彼は、躊躇せず歩み寄り、手招きをした。
「構えろよ。素手でも、このエージス様のが強ぇんだからな」
「てめぇっ……!」
木刀を構え直し、襲いかかろうとした刹那、顔に拳が吸い込まれた。綺麗にのけぞり、地面に倒れた男は白目を剥いてのびている。
鞄を投げ捨て、エージスは地を蹴った。集団に飛び込んだ彼に四方から攻撃が浴びせられようとしたが、ジュドが掌で止め、鋭い眼差しで見つめる。
ジュドが防ぎ、エージスが攻める。二人が揃えば、並大抵の者では崩せない。
「く――くそっ!」
「覚えてやがれッ!」
残った生徒は乱暴に吐き捨て、身を翻した。脱兎のごとく駆け出していく。
「もう終わりかよ、つまんねーな……捨て台詞まで無個性ときたもんだ」
興ざめだと言いたげに溜息を吐いたエージスにジュドは鞄を渡し、低い声で告げた。
「助かった。礼を言う」
「助けたつもりはねーよ。面白そうだから首突っ込んだだけ。大体、助けなんか必要あったか?」
木刀を持っていたが、数にまかせて襲いかかってくるだけの人間が相手ならばそうそう遅れはとらない。守るべき対象が自分だけならば気を取られることもなく、油断もしない。
「それでも、だ」
「あ? 変なヤツ」
鞄を受け取ったエージスは立ち去りかけて質問を投げかけた。
「そういや、どこに入るつもりなんだ? やっぱ武術運動部か」
「ああ。勉学にも鍛錬にも励むつもりだ」
「へえ。おめえみたいなのがいると息詰まりそうだわ」
遠慮なしに言い放ったエージスに、ジュドは呆れた眼を向けた。
逃げ出した男達はようやく速度を落とし、呼吸を整えながら、目にぎらつく光を浮かべていた。
「あいつら、許さねえ……!」
「徹底的に潰して――」
語気荒く企みを吐き出していた男達は、前方に目をとめた。
すっかり平静さを失っている自分達を嘲笑うかのように、目もくれずに横切っていく青年がいる。
背はさほど高くない。先ほどの生徒――ジュドに比べると体格は見劣りする。余分な肉は一切ないだろう。
曇りの無い眼鏡、しわひとつ無い服といった、いかにも真面目そうな風貌が、恥をかかせた相手を連想させて気に障る。
「おい!」
「何だ」
答えから恐怖の色は感じられなかった。先刻の出来事を思い出し、頭に血を上らせた男達は、目の前の人間で憂さを晴らそうとした。
年齢に似合わぬ白い髪を掴もうとしたが、あっけなく払われる。
「てめえ!」
逆上して得物を握った男は目を見開いた。
相手は木刀を構えていた。
いつの間に。
それよりも、どこから取り出したのか。
気にする余裕も無かった。
眼鏡の下の紅い瞳は鋭い光を帯びている。
男達の背に悪寒が走ったが、もう遅い。
後に最強の白虎と呼ばれることになる剣士の技を叩きこまれ、復讐する意思が潰えたことを、ジュドとエージスは知らない。