闘技場内で焦りの声が上がった。
月に一度、武術運動部の大会が行われる場所は灰色の生物に埋め尽くされていた。
突如闘技場に出現した謎の敵と意思の疎通はできず、襲いかかってくる。
彼らを撃退するため、武術運動部の教師や部員、公安委員会の者達が武器をとり、戦いに臨んでいた。
予兆は年が明ける前からあった。
十一月頃、シルフェイド島と外部の連絡が取れなくなり、大会は中止された。
十二月には、武術運動部内で動物を刀で殺す訓練が行われ、今後の鍛錬で真剣が使われることが決定した。
あくまで競技だったはずの力や技で、命を奪う未来が示唆されていた。
十二月も終わる頃、異変は謎の生物の姿を取って現れた。
闘技場に出現した彼らの身長は人間ほどで、巨大な虫のような外見をしている。槍の形状をした武器を携え、公安委員会が向かったところ攻撃を仕掛けてきた。
撃退したところ一匹は闘技場内で消え、異変は解決したはずだった。
しかし、一月に入って闘技場の中心から十匹が現れた。瞬間移動でもしたかのように空気中から出現したという。
立ち向かった公安委員会は負傷し、中には命を落とす者もいた。
ある程度駆除したが、残りはまた瞬時に消え去った。
彼らが瞬間移動に使っているものによってシルフェイド島の外に空間の壁ができ、そのせいで通信が途絶したというのが研究者の見解だ。
空間の壁は徐々に小さくなり、数か月以内に島が飲み込まれる。そうなれば五万人の命が潰える。
学院長が学院生に説明し、協力を要請している最中に凶報がもたらされた。闘技場に数十体の敵が現れ、外に出ようとしているのだ。
学院長も前線で指揮を執ると宣言し、志願者を募った。
九か月ほど前に島に降り立った若者は真っ先に志願した。
「……厳しい戦いになるだろうな」
相棒たるトーテムの呟きは確信に満ちている。
それでも、行くと決めた。
彼は、そのために生まれ、ここに来たのだから。
『災い』を食い止め世界を救う役目を与えられた若者は闘技場へと向かった。
皆で皆の命を守るために。
誰も死なせないために。
治安維持を担当する公安委員会は金属の弾丸は使えない。彼らはゴム弾を撃つしかないため、直接戦う力を持つ武術運動部が頼りにされていた。
普段ふざけてばかりいた男子が軽薄な笑みを引っ込め、真面目な顔をしている。戦いに忌避感を抱いている生徒も、でもやらないと、と呟く。
身は軽いが腕力が弱い女生徒は、自分が危なくなったら助けてくれるか不安そうに尋ねてきた。
強くなると決意した女子は改めて決意をにじませ、練習に付き合うよう頼んだ。
やらなければやられると呟く生徒に、隻眼の青年――アルバートも同意した。
「引き金を引くことを躊躇したら、自分が死ぬだけだ」
主将を務めている生徒は敵の強さ、数の多さに表情を険しくし、生きて帰るための準備を促した。
闘技場内に立てこもる敵に対し、こちらは外に陣を構えている。
三人一組でグループを作り、応戦するよう定められた。
「一度に大量の敵を相手にしようとするな」
三人で対処できるのはせいぜい二、三匹までだ。
公安委員会の援護射撃により、定期的に退却できるチャンスが生まれる。危険を悟った時はすぐに撤退を選ぶよう、慎重に振る舞うように念を押され、若者も頷く。
もし状況を見誤れば、救出のために他人の危険が増すのだから。
武術運動部のエースと目される若者は前線に立ち、謎の生命体を押し返そうとしていた。
仲間の攻撃で動きが鈍った敵に、一撃を加えて倒していく。
交代まであと一息というところで若者の顔がこわばった。
攻撃を続けていた仲間の動きが乱れ、体が揺れたのだ。
「ま、まだか? ちょっと、キツイ」
「焦るな。もう少しで退却だ」
時間を見れば大して長くは無い。単に体を動かすだけならば体力は十分に持つだろう。
だが、武術運動部では一対一の形式で試合が行われている。多数を相手に剣を振るう経験は少ない。
何より、安全が保障されている試合と、死と隣り合わせの実戦では強いられる負担は別物だ。
同じ時間戦っても精神が削り取られる度合いが違う。
状況の変化を察知したように敵の行動が活発化した。今までは対処できる量が出ようとしていたが、溢れるように出口に押し寄せる。
「何だ!? いきなり――」
勢いを止めることはできず、灰色の波が前方の人間を飲み込んだ。二、三体だけ相手にすることはできず、迫りくる刃から逃げるだけで精いっぱいだ。
限界に達し、ふらついた生徒に異界生命体の爪が迫る。
「ぐぁ……ッ!」
肉を貫く音とともに、血飛沫が舞った。
「お、お前っ!」
赤い色が弾け、若者の白い道着を彩った。肩から胸にかけて染みが広がっていく。
今にも凶刃を浴びようとしていた仲間の前に飛び出し、体を張って食い止めたのだ。
自分に対する攻撃だけならば防ぎきることができた。仲間を庇う行動が大怪我につながった。
(……!)
痛みは感じ無い体だ。すぐさま体勢を立て直し武器を振るおうとしたのに、手足が動かない。
若者が倒れた今、激化した攻撃を抑えきれなかった。負傷者などがいる後方にはまだ迫っていないが、このまま敵が止まらなければ彼らも危機に晒される。
倒れた彼を救う余裕は、仲間には無い。庇われた仲間は青ざめた顔で体を傾け、それをもう一人が支えながら必死で攻撃を払いのけている。
武術運動部の顧問は素早く声を上げ、突き進もうとした。
「彼らを死なせるな!」
「くそっ、間に合うか!?」
青い肌の竜人、ジュドが無駄の無い連撃を浴びせ、青い髪の男、エージスが力任せになぎ倒す。
かきわけるようにして進む二人の面に影がよぎる。
敵の数が多く、なかなか近づけない。
(近づいたとしても、これじゃあ――)
四方八方から攻撃されては、傷つき疲労している者達を抱えて無事に逃れられるとは思えない。
乱戦になっている以上、公安委員会の援護射撃で生じる隙は小さいだろう。
「私より先に死なせはしない。絶対に」
「我々、だろ?」
「……そうだな」
いざとなれば、己の身を盾としてでも後退しきらねばならない。覚悟を決めた二人の傍をすり抜けるように、一人の人間が突進した。
白い髪や紫のスーツは青い血に染まっている。全て敵の返り血だ。
「教頭!」
学院の中で最も強い剣士が動いた。
野獣のごとき身ごなしで若者の傍まで辿りついた男は刀を振るい、踏みにじろうとしていた個体を弾き飛ばした。
エージスとジュドが近づく間、敵を寄せ付けず、若者達の前に立ちはだかっている。
やっとのことで二人が辿りつくと、彼らの顔を見もせずに言い放つ。
「小僧達を連れて下がれ」
彼はしんがりをつとめようとしている。
ジュドとエージスは止めようとして、言葉を飲み込んだ。
問答している暇はない。
エージスとジュドが小さく頷き合い、若者を抱え上げた。かろうじて立っている生徒には肩を貸し、後退を始める。
戦闘できる体勢でなくなった二人に幾本も槍が振りかざされた。
教頭が間に割って入り得物で防ごうとしたが、全てを止めることはできなかった。
ある敵の刃を受け止めた瞬間、別の敵が横薙ぎに武器を払う。槍の柄が頭部を殴りつけ、鈍い音が響き、赤いものが飛び散った。
割れた額から血が流れ、白い髪と頬を染めていく。
揺れた体に刃が突き刺さった。自らそれを抜いて反撃を浴びせた刹那、袈裟切りが胴を通過する。二色の液体が混じり、異臭が立ち込めた。
「くッ!」
倒れそうになるのを踏みとどまった彼に、金色の敵――他の個体より強靭で、力も強い――が振りかぶる。
足を負傷し、後方で待機していたアルバートは隻眼を光らせた。
一角が崩れ敵が雪崩れ込んできた時、逃げることも忘れ、食い入るように見つめていた。
若者の危機に息を呑み、教師達が彼のもとにたどり着いた時は安堵したが、優れた剣士でも数の差はいかんともしがたい。
「アイツが……先生が……!」
このままでは助けに入った教師達も、彼らに連れられている仲間も、命を落としてしまうかもしれない。
彼がいる場と教頭達がいる最前線は離れている。
この距離では今から動き出しても間に合わない。足を怪我している状態ならばなおさらだ。
己の剣の腕が若者や顧問には遠く及ばないことを知っている。仮に接近できたとしても怪我人、あるいは死人が増えるだけだ。
(何とか、できないのか?)
見知った顔が失われていくのを看過することはできない。
何よりも、若者が死ぬのは耐え難かった。
「俺が、できることは」
アルバートは鷹の眼で周囲を見回した。
自分と同じく負傷し、前線から退いていた公安委員会の手から銃を取り、狙いを定める。
遠距離の射撃に適した種類ではない。
平時でも当てるのは難しい距離。ましてや今は負傷し、体力を失っている。
敵は人間ではなく、弱点がわかりにくい。仲間と敵が入り乱れ、一歩間違えれば味方を撃ってしまいかねない。
最悪の可能性を打ち消すように、己に言い聞かせる。
(得意だろう? 銃で殺すのは)
アルバートは慣れ親しんだ武器を構え、発砲した。
今にも槍が教頭の体を抉ろうとした瞬間、銃弾が直撃した敵は身を揺るがせた。致命的な一瞬を見逃すはずも無く、教頭の刃が胴を一閃した。
激しい混乱に陥ったものの壊滅は免れたため、一同は息を吐いた。
顔は疲労の色が濃かったが、生き延びることができ、致命的な被害は出なかった安堵も浮かんでいる。
病院に運ばれた若者と教頭は人間離れした回復力で医師を驚かせた。入院の必要は無く、治療を受けた後帰宅が許可された。
畳の上で二人は正座して向かい合っている。俯いている若者の肩が時折震え、苦しげな呼吸が唇を割った。
どれほどの間そうしていたのだろう。
顔を上げた若者の目に入るのは、師の頭部に巻かれた白い包帯だ。
「……すみませんでした」
状況の変化に対応しきれなかったこと。自分が倒れては仲間を守ることもできないのに、後先考えず身を投げ出したこと。その結果、役目を全うできなかったこと。
ジュドやエージスが危険を顧みず助けようと行動し、教頭も負傷した。
仲間の疲労は察知できていたし、退却するつもりだった。凌ぎきれなくなったのは予兆なしに敵の動きが活発化したせいだ。仲間を庇って倒れずとも、崩されてしまった可能性は高い。
しかし、それで済ませる気にはなれなかった。
「俺がもっと……!」
震える若者に厳しい声が飛ぶ。
「私が負傷したのは力が足りなかっただけのこと」
呵責を和らげようというより、叱責に近い口調だった。「自分一人で全てを決められる」という考えに陥りかねない若者を批判しているように。
「仲間が危機に陥った時、キサマは再び同じことをするだろう」
若者は、仲間を助けようとする意思自体が間違っていたとは思わない。
彼が悔いているのは戦況に対処しきれなかったことや、助けるための力が足りず他人を危険に晒したことだ。
あの場で自分の身を守ることを優先したとしても、持ちこたえられなかった。仲間が倒れる姿を見れば、彼の中で「何か」が壊れてしまっただろう。どちらにせよ剣は振るえなくなり、戦えなくなったはずだ。
教頭は理解しがたいと言いたげに目を細めた。
「情に流されて得る力などあるものか」
厳しさが体を持ち服を着て歩いているような男の言葉が若者の身を抉り、彼は血相を変えて首を横に振った。
「……ッ! それは――」
反論しかけてやめる弟子を教頭は見つめている。
彼は、一人でいればこそ強くなれると思っていた。ゆえに家庭を持たず、他者と深く関わることも無く、己を鍛えることのみに全てを費やしてきた。
他人は己の技を磨くための存在。師から技を教わり、弟子に自分の持つ技を伝える。力をぶつけ合い、雌雄を決する。その中で己の武に足りないものを見出し、身に付ける。
それだけの関係だと考えていた。
この若者にとっては違うのだろう。
「証明してみせよ」
道程が違おうと、最強を掴めば文句はない。彼なりのやり方で見せればいい。
「精進するのだ。よいな」
「はい。……ありがとうございます」
深々と頭を下げた若者は、ふと思いついたことを口にしてみた。
「あの。教頭先生も、飛び込んできてくれましたよね?」
「天から与えられた原石を失うのは惜しいと思った。……それだけだ」
若者と、彼の中のトーテムは笑みを漏らした。