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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

見捨てられて

シル学SS『見捨てられて』



 色素の薄い少女が両目を閉ざし、意識の網を広げていた。
 病室のベッドで上体を起こし、神経をこの世界ならざる場所へ向け、常人には見えぬものを捉えようと目を凝らす。
 (世界に『災い』が起こる)
 普通の人間には無い能力を備えた彼女には、様々なことができる。
 多くの並列世界世界の自分と意識を共有し、情報を集めること。
 全てではないが、未来を知ること。
 かりそめの肉体を作り出し、意識の海から精神を呼び出すこと。
 その力をもってしてもシルフェイド島に起こる災厄を防ぐことはできない。
 正体を探ろうと力を振り絞った少女の目が見開かれた。
 学院の生徒達が顔を強張らせながら避難し、彼らを教師達が守る。襲いかかる不気味な塊。中心にいるのは扇動者だろう。
 人影は二つ。小さな――子供の大きさと、通う学生ほどのもの。
 彼女が生み出した若者の姿が、そこにあった。

 いつも通りの時間が流れていくはずだった。
 各自が昼食をとろうとしている中、生徒の一人が教室を出て行こうとした。
 黒髪に青い目の若者は学院ではちょっとした有名人である。いわく空から降ってきただの、武闘派教頭の無茶ぶりに嬉々として応えるだの、噂の種には事欠かない。
 彼の友人であるガゼルは首をかしげた。
 今日は一緒に学食で食べる予定だった。
 手洗いには先ほど行ったばかりである。
「忘れ物でもしたのか?」
「呼び出しだ」
 と、真面目な顔で答える。
「どの先生に? お前、何かやらかしたのか」
 全く意外そうな様子は見えない。彼ならば奇行に走り見咎められる可能性が非常に高い。
「いや女子」
「マジで?」
「うん。先食べててくれ」
 浮いた話は聞かなかったためガゼルは冷やかし、祝福や興味を込めて背中を見送った。
 学食で日替わり定食を注文し、若者の分の席も確保して座る。
「遅ぇな……」
 なかなか来ないため訝しく思いつつも、ガゼルは舌鼓を打っていた。
 呑気に食事を進めていたガゼルの耳に異音が飛び込んだ。胸騒ぎがしたため、手を止めて外に出る。
 そこにあったのは影。
 黒い霞に見えるそれは、形を持たずに彷徨っている。それだけならば奇妙な現象で済んだが、そんなものでは終わらない予感がした。
 影の中心にいるのは二人の人物。
 小さな方は後方に待機し、大きな方が指示に従って歩いていく。掌が女神の像に向けられ、破壊された。
 相手の顔を目撃したガゼルは息を呑んだ。食堂に来るはずの友人が完全に表情を無くし、人形のように動いている。
「……おい!」
 呼びかけても反応は無い。走り寄り、肩を掴むがそっけなく振り払われる。
 常の何を考えているかわからない表情とは違う。瞳に虚無を湛えていた。

 若者に来るよう告げたのは、本人ではなかった。
 クラスメートの一人が「あなたに会いたいって言う子がいるの」と伝えたのである。
「恥ずかしいから声をかけられない、伝えてほしいって言ってたけど」
「そうでゴザルか」
「じゃ、確かに伝えたから」
 言葉遣いに突っ込まず、相手は去って行った。
 女子からの呼び出しにもいつもの無表情で応じた若者だが、口調が変わる程度には意識しているらしい。
 指定された通り学院の片隅を訪れた彼は、わずかに目を見開いた。
 彼に体を与えた少女が立っていた。
 薄い金色の髪に白い肌。華奢な体を黒い服に包んでいる。
 名はサラ。常人には見えぬものを見、考えられぬ力を操る。
 意識の海から呼ばれた時は閉じられていた双眸が、今は彼を睨みつけている。目は赤く、憎々しげに細められていた。協力を頼んできた時の彼女とは違う。
『サラ、なのか?』
 彼に宿ったトーテムも異変を感じ、名を呼ぶ。
 黒い服を着たサラは声を絞り出す。
「お前が、あの忌々しい……!」
 問い詰めようとした若者の体が動かなくなった。
 視界が白く染まり、力が抜けていく。
 切れ切れに聞こえるのは眼前の少女ではない、誕生の際に会ったサラの声。
『心と体を……つなぐ糸が……』
 彼の考える脳、精神は世界の外にある。
 何を思おうとつながりがなければ体を動かせない。何もできない。
「私もサラだ。サラが作った人形に干渉できる!」
 抵抗も虚しく、押し流されそうになる中でトーテムが叫ぶ。
『それだけでは完全に支配権を奪うことは不可能なはずだ!』
 協力者のサラの加護を黒服のサラが打ち消しても、本人の意思がある以上簡単につながりを消すことはできない。目の前のサラは若者のよく知るサラと同じ力を持っているように見える。
 サラ同士の力がぶつかっているところに当人の意思が合わされば、一方的に支配権が移るとは考えにくい。
 必死に体を奪われまいとあがく若者の目に黒い霧が映った。それはサラの周囲を漂い、己の体に少しずつ侵入している。
「見捨てられた者達の恨み思い知るがいい! ぬくぬくと暮らしてきたサラどもとともに、地獄に叩き落としてやる!」
 糸が切れたように体が地に倒れた。眼から光が消えた若者が身を起こし、盾となるかのように彼女の前に立った。

 女神の像を破壊した若者はガゼルに目もくれず校舎に向かっていく。後ろをついていく少女は可憐な面を喜悦にゆがめている。
 どちらの表情もガゼルの不安を煽るものだ。
 予感はすぐに的中した。二人を中心として渦巻いていた影が無数の塊として結びついた。
 異質な存在が具現化する。
 飢えた狼の姿をとるものもいれば、スーツを着た人相の悪い男になるもの、虫のような外見の体をとるものなど様々だ。実体を得た彼らが何をしようとしているか、嫌でもわかる。
(こりゃまずいな……!)
 二人を自分が止める、という選択肢もあったが、正気を失っている若者と謎の少女では辛い。さらに、この数が加わっては自分一人で対処することは難しい。
 校舎の外に出ていた教師に連絡しに行く。
 校庭には短い時間も鍛錬に励む武術運動部の生徒、それを監督する教師、他にも球技などで遊んでいる集団などがいた。
 ガゼルの言葉を聞いた教師達は理解できないと言いたげに目を瞬かせたが、女神像――リクレール象の方から現れた集団を目にし、受け入れた。
 男達が生徒達に向けて銃を構えた。
「危ねぇっ!」
 覆いかぶさるようにしてガゼルが庇い、教師達が進み出る。生命体はもちろん、男達も意思を伝える気は無い。言葉を発さず、敵意をぶつけてくる。
 遠距離から攻撃している間に生命体が近づき、槍のような武器を振りかざす。
 武術運動部顧問の一人、エージスが木刀で食い止め叫ぶ。
「他の教師に伝えろ! 生徒を避難させるんだ!」
 紺の袴をはいている竜人ジュドも彼の傍らに立ち、襲撃者を睨む。
「中心にいる二人が首謀者か? しかし、彼がこのようなことをするとは思えん」
 謎の男達や生命体は攻撃を繰り出しているが、若者は別人のような眼差しで見つめている。
 中身が書き換えられたかのように、教師の顔を見ても表情は動かない。
「明らかに様子がオカシイからな。怪しいのは金髪の方だ」
 湧き出すように現れた狼が飛びかかろうとするのを、主将を務める女生徒が打ち払う。
 打撃を受けて零れたのは深紅の血ではなく暗い色の霧だ。手ごたえはあるが、本物の動物とは違う感触である。あくまで狼や人間を模して造られた体らしい。
 本物と同様に攻撃を繰り出せるし、一撃で倒されるほど脆くも無いが、戦闘不能になれば崩れ去ってしまう。作り物の器に燃料を入れて動かしているような眺めだった。

 一連の流れを見てエージスはほっと息を吐く。
(本物じゃなくてよかったぜ)
 野犬や狼ならばともかく、人間の命を奪うとなると荷が重すぎる。
 主将やそれに次ぐ力の持ち主は未熟な生徒達を防衛しつつ誘導し、避難させている。
 実戦を経験していない生徒達にこれ以上戦わせるのは難しいと判断し、後退を命じる。
 公安委員会が駆け付けるまで、集団を食い止めるのがエージス達の役目だ。
「しっかし、どうやって出てきてんのかね」
 彼らは知らない。
 黒い服を着たもう一人の“サラ”――黒のサラがかりそめの肉体を与えていることを。
 若者ほど精巧にできているわけではない。数が多いかわりに個々の性能はさほど高くなかった。一つ一つ区別し用意しているのではなく、霧が未分化の器に入り込むことで、数種類の内から一つに変化しているようだ。
 学院の住人にとってはどのように発生するかではなく、どう立ち向かうかが問題だった。
 倒すそばから数は増えていくばかりだ。
 公安委員会が来るまで維持できるか、厳しい状況と言わざるを得ない。
 他の場所にも湧いていた場合、増援に大きな期待を寄せるわけにはいかなくなる。
 エージスらの予想は的中し、公安委員会はなかなか来ない。
 敵の数が減る様子はなく、少しずつ疲労が溜まっていく。
 戦う力を持たぬ者だけが避難し、戦闘の心得がある者、何らかの力を持つ生徒は留まり戦っていた。
 敵は主にグラウンドに出現し、交戦している。しかし学院の片隅や校舎の近くから出てくる時もあり、戦闘に加わっていなくても気が抜けない。
 肩で息をし始めたエージスは苦い顔で汗を拭った。いかに鍛錬しようと年齢は変えようがない。一対一ならばそこらの相手には引けを取らない自信があるが、多くの敵と、いつ終わるかわからぬ戦闘を続ける状況に消耗を強いられていた。
「あやつは何をしている」
 冷静な声がエージスの耳を打った。エージスはにやりと笑い、相手を呼ぶ。
「教頭!」
 白虎と評される男が、戦いに加わった。

 白髪の男が前進する。
 学院の危機に、シルフェイド島最強の剣士が参戦しないはずがない。
 手短にエージスが状況を伝える。
「正気を失っているみてえだから、ブン殴って目を覚まさせようかと」
 少女と若者は敵の中心にいるだけで、現在目立った動きは見せていない。二人は彼女が元凶らしいということはぼんやりとわかっている。何らかの手段を用いて若者を味方に付けたということも。
 エージスやジュド、武運部の生徒は何度か呼びかけたが返事が無かった。それで意識を染め変えられ、操られていると判断したのである。
 教頭も説得は無駄だと悟ったのか――あるいは考えもしなかったのか、まずは邪魔な雑兵を排除しにかかった。
 押されがちだった学院の者達が勢いを取り戻すのを見、黒のサラが唇を噛む。数の差にも負けず持ちこたえている人間に苛立っている。
「調子にのるな!」
 若者に合図し、瞬時に移動する。空間を自在に渡ったかのように一瞬の出来事だった。
 転移先の場所は至近距離ではない。方向こそ全く違い、気づくまでに隙が生じたものの、剣の届かぬ位置にいる。
 今まで動かなかった若者の手が上がる。
 狙うは一際動きの鋭い、白髪の男。
「ッ!」
 衝撃が全身に叩きつけられた。
 経験したことの無い感覚が走り抜け、体中を打ち据える。何が起こったかわからず、地の感触で自分が攻撃を浴びたのだと気付いた。かすむ意識を叱咤し、立ち上がる。
 エージスは若者の攻撃に驚愕を隠せない。
「あんなモンぶっぱなしてきやがるたぁ……本当にアイツなのかよ?」
 今まで剣の道を歩んできた若者が突如理力を使いこなすのは不自然だ。
 ニセモノと疑いたくなる状況だが、瓜二つどころか本人そのものにしか見えない。
 どちらにせよ止めねばならない相手だ。
 若者の体には黒い靄がまとわりついている。それのせいだろうと思っても、打ち倒すしか道は無い。
『つながりを、塗りつぶしている……を――』
「何だって!?」
『……を、体から』
 どこからともなく聞こえた少女の声にエージスは疲れた顔でぼやいた。
「もっとハッキリ言ってくれや」
『すみません』
 サラは声を届けられない己の無力さに歯噛みした。
 黒のサラはサラを憎んでいる。相手の作った道具を己の手駒とし、利用するのも復讐の一環なのだろう。
 若者の中に巣食う思念体を追い払えば、世界の外の精神とつながり、体の支配権を取り戻せる。黒のサラの干渉を跳ね除けようとしているが、現在は思念体と総合した相手の力の方が上回っている。
 自分が黒のサラを抑えている間に、彼らが攻撃を加え思念体を追い出す。今出現している敵も攻撃を受けた衝撃で内側から出てきた。若者の肉体を徹底的に傷つけるわけにはいかないため完全には追い出せないだろうが、隙が生じたところで若者が己を取り戻す。
 それしか方法は浮かばなかった。

 サラが必死に見守る中、エージスと教頭は並んで立っている。
「威力は高ぇが……」
 剣を使っていた若者は攻撃と防御のバランスを考え、攻防共に隙の少ない戦い方を披露していたが、今の彼は違う。
 力任せに叩きつけている。
 エージスの観察に教頭も頷き同意を示す。
「手数が少ない」
 彼の中のトーテムは沈黙している。そのためトーテムが司る力も発揮できず、戦闘中の動きが制限されていた。
 本来の彼ならば手数の多さで相手の防御を崩し、重い一撃を叩きこむ方法をとっていた。今の彼は単純な大技を繰り返すだけだ。
「だな。撃つ前に一瞬の溜めもいるみてえだ。範囲も狭い」
 今放っているフォースは威力こそ高いものの単体用だ。一度狙いを定められたら確実に当てられてしまうが、その間他の人間は標的にならない。
 ならば取るべき方法は一つ。
 二人は同時に突進した。
 彼が脅威と判断したのは教頭の方だった。実際に力量が上回っていることを、若者は二人との手合わせで確認しいている。
 衝撃が痩躯に吸い込まれた。地に叩きつけられる醜態はかろうじて避けられたが、後退は免れなかった。
 その隙にエージスが走り込んでいた。気合を込め、木刀を振りかざす。
「超打っ!」
 意志の力を全開にして打撃を叩きこむ。
 力を使い果たしてくずおれたエージスの笑みが引きつった。
 彼はまだ、倒れない。
(マジかよ)
 かつて別の世界で神をも葬った禁断の理力――『衝撃』が繰り出される。
 めり込むほど強く地面に叩きつけられた。
「が……っ!」
 骨が軋む。口内に血の味が広がり、溢れる。
 一撃で体力の大半を持って行かれた。一度ならばかろうじて耐えられたが、次くらえばどうなるかわかりきっている。
 立ち上がろうとするが、体に力が入らない。動いたとしても到底間に合わない。
(十年前なら違ったのかね)
 言っても詮無きことだと思いながらもそんな考えが心をかすめた。
 再び掌がかざされる。なすすべもなく見ていたエージスが絶句する。
 若者の体が揺らいだ。
 そうさせたのは、二度の『衝撃』を浴びた教頭だ。
 人間を相手に使うものではない技を食らいながらも、反撃の牙を剥いた。
 左腕が不自然な方向に曲がっているが、片腕とは思えぬ速度の斬撃が走る。
 若者の体から霧が立ち上ると同時に教頭の膝が折れる。
「教頭……!」
 エージスの視界が光に染まった。
 若者の勝利を確信し、傍観していた少女が理力を振るったのだ。
 十字の眩い光が教頭の身に吸い込まれ、若者に折り重なるように倒れる。
 エージスには正体がわからない。それが普通の理力使いが扱うような技でないことだけが見て取れた。
 とどめをさそうとした少女の前に体格のいい男――ジュドが立ちはだかる。若者と教頭達の戦いに気を取られ、接近に気付かなかった。
「ちぃっ!」
 少女が一度離れた場所に移動するのを確認し、再び出現しないか気を配りながら三人の傍へ寄る。
 彼は後方支援をしていた生徒と協力して運び出した。

 避難所と化した体育館では回復の理力――『治癒』を使える教員が待機していた。普段保険医として勤務している彼女は、エージスらの姿に驚愕しつつ理力を行使した。
 エージスは地面に叩きつけられたせいで全身の打撲がひどく、擦り傷も派手で見るからに痛々しい。口からも血を吐き、白い道着があちこち赤く染まっている。
 教頭は途中から己の足で歩いてきたものの、左腕は変な方向に垂れている。内側がひどい状況だと治療を担当している彼女にはわかった。意識を保ち、動けるのが不思議なくらいの傷である。
 若者は容赦なしに木刀で殴られてダメージを負っている。『治癒』で回復しやすい類の傷なのが幸いだが、操っていた存在が出ていったため目を覚まさない。
 若者の姿を発見したガゼルが駆け寄ってきたが、どのような言葉をかければいいかわからない。
 いくら名前を呼んでも答えない。
「そういやメシ食ってないよな。腹減ってるのか?」
 閃いたガゼルは若者の懐を探り、炊いていない米の入った袋と栄養ドリンクを取り出した。
 ジュドが止めるより早く、両方を口の中に注ぎ込む。
「帰って来い。お前の帰りを待ってんだからよ」
 熱い台詞とそれを裏切る燃料が功を奏したのか、若者は目を開けた。ちょうど接続が完了したところだと知らない保険医は「そんなに生米と栄養ドリンク命なの?」とあっけにとられている。
『サラのアドバイスにかまわずお前を打ち倒したぞ、二人とも』
「先生、らしいや」
 若者は体の支配権を奪取したことを喜ぶより、痛みをこらえるような顔になった。
 何が起こったか世界の外で把握していた。
 自分の意思でやったことではないとはいえ、体を渡さなければ――操られなければ、二人が傷つくことも無かった。
「俺は――」
「今項垂れている場合か?」
 低い声が若者の言葉を遮った。椅子に座っていた教頭が立ち上がり、若者の前まで歩み寄ろうとして体が傾いだ。慌てて保険医が支えようとする。
「教頭先生、大人しくしてください!」
 『治癒』をかけて最低限の処置はしたが、万全には程遠い。本来ならば今すぐ病院に運び込むべき状態だ。頑強な肉体ゆえに二度の『衝撃』にも耐えられたが、常人ならば一発で昏倒し、致命傷となっているだろう。
「骨はくっつけましたけどちょっと飛び跳ねただけで靭帯とか色々ちぎれそうなくらい体中ボロボロなんですよ!?」
「付け焼刃の理力など効くものか」
『ものすごく痛そうだが』
 全身に包帯を巻いた状態で言われても説得力は皆無だ。若者の宿すトーテム、ファングの指摘も尤もであった。
「先生……」
 なおも己の行いに震える若者に、教頭の右拳が動く。鉄拳が放たれるかと身構えた若者は、沈黙した。
 拳は若者の眼前に突き出されている。握られているのは彼が使ってきた木刀だ。
「キサマがなすべきことを、考えよ」
 エージスも首を鳴らしながら軽い口調で語りかける。
「動けるなら手ェ貸せ。やられた分ブチこんでやったからおあいこだ」
「で、でも」
「なら後で拳固をくれてやる。それでチャラにしてやるから感謝しろよ」
 若者は何かをこらえるように目を伏せた。
 そして、木刀を受け取った。

 スカートが翻った。細い足が地を蹴り、適した位置を確保しようと動く。
 紫がかった髪に左右色違いの目という、常人離れした相貌を持つ少女も戦いに加わっていた。
 彼女の名はアナスタシア。銃を携え、避難場所に接近する敵に銃弾を撃ち込んでいた。
 彼女は若者とともに剣を学んでいたが、視力の関係で接近戦が苦手である。そのため剣の腕は他の生徒とさほど変わらず、若者のような目覚ましい成長は見せていない。
 代わりに扱いに長けているのが銃器である。
 幼い頃からの経験が彼女の体を動かし、機械的に撃ち続けていた。
(何だ……この感覚)
 自分が感じた虚無を、彼らは抱えているようだった。
 このような気持ちになったのは戦場でのことだ。
(考えるな)
 どんな敵であろうとやることは一つ。
 守るべき相手がいる。
 体を作りかえることを決意させた人物が。
「……いや」
 正確に言うならば、場所だ。
 殺すか殺されるか、どちらかしかなかった人生に楽しみを与えてくれたこの地。
 空っぽだった己を少しずつ満たしてくれる居場所。
 そこにいる人々。
 自分を生かすだけではなく、何かを守るために戦う。
 そんな日が来るとは思わなかった。今こうして戦っていることが信じられない。心の一部が高揚している。それでも冷静さを保ったまま、引き金を引く。
 時折身が傷つくが、怯まずに戦い続ける。
(慣れている。俺――私は一人で)
 戦場では同じ年齢の子供とともに襲撃する機会があったが、彼らと心のつながりは無かった。使い捨ての駒同士、関係を深める前に離れ離れになった。単に遠くへ行くこともあったが、大抵は死んでいった。
 傷の痛みも気にせず新たな敵に狙いを定め、命中させる。
 刹那、痛みが和らいだ。
「『治癒』、です」
 傍らには、公安委員会所属の少年が柔らかな微笑みを湛えている。黒い髪と優しげな瞳の持ち主の名はシンといい、理力を使うことができる。
 シンの後を追うように顔立ちのよく似た少女が近づき、『火炎』で敵を食い止める。
「姉さん。か……この人は公安委員会の仲間の、アナスタシアさんです」
「一緒に戦いましょう」
 姉弟の言葉にアナスタシアは言葉に詰まり、無言で頷いた。

 同じ頃、霧の正体に近づいた者がいた。
 青い肌を持つ彼女は銃を構えて追い払おうとしていた。鱗や背びれは人間ではありえない。竜人と呼ばれる者の一人だ。
 彼女は昼休み、武術運動部の様子を遠くから眺めていた。剣の道を捨てたと言いつつも気になるのは、父がいるためか。
 ぼんやりと見ていたところ異変が発生したため、武術運動部の生徒と一緒に校庭で戦っている。
「何故こんなことをする!? やめてくれ!」
 必死に呼びかける彼女の傍に治療を終えた若者がやってくる。
「セタ! 何か分かったのか!?」
「彼らは、おそらく……ネオ・ジーンだ」
 遺伝子改良により戦いの道具として作られ、戦いが終われば用済みと見なされた者達。シルフェイド島では表立って迫害されることはないが、差別や偏見は根強く残っている。職や住居など人間よりも厳しい状況におかれ、居場所は限られていた。セタも理不尽な目に遭わされたことが何度もある。
 彼らの思念が集い、器を与えられ、人間に牙を剥いた。本来ならば害をなす力を持たぬ者達がこの世に現れてしまったのが、『災い』の引き金となったのかもしれない。
 セタに伝わった理由は、人でないからこそ疎まれ追い出された境遇に共鳴したのだろう。
 彼らは恨みを訴える。同じ思いを味わったセタに協力を呼び掛けている。
 彼女は横に首を振り、声をはり上げる。
「受け入れてくれる者もいる。少しずつ変わってきているんだ!」
 彼女の父は武術運動部の顧問として働き、丁寧な指導を認められている。バルト教授も地歴探究部の顧問を担当し、学生と協力して遺跡を探検している。
 異種族が職員として学院で働くことなど少し前までは考えられなかった。冷たい目で見る向きもあるが、評価もされている。
 セタの言葉に霧がゆらゆらと揺れたが、それを断ち切るような鋭い声が響いた。
「何を言っている!」
 わずかに色が薄れた彼らを叱咤するかのように、黒のサラが拳を振り上げ、睨みつける。
「放棄地区の現状は知っているだろう。人間でさえ見捨てられた者達が大勢いる。それなのに、他の連中が顧みられるものか!」
 激した少女と対照的に、セタはゆっくりと答える。
「私は子供達が安心して暮らせるような場所を作ろうと思っている。私たち自身の手で、居場所を作るんだ」
 今は人間の側から働きかけが無いと身動きが取れない状況だ。
 それを変えていくつもりだ。
 あの若者がしたように、今度は自分が苦境にある者に手を伸ばせるように。
 甘いと言われるであろう考えだと、道程は困難だと、知っている。それでも、何もせずにいるつもりは無い。
「もしや、君も似た思いを味わったのではないか? ならば私と――」
「黙れッ!」
 黒のサラが理力を放とうとしたため若者が前に出た。代わりに、セタの隣にバンダナを巻いた少年が立つ。
「口説いてんの? 天然たらしのセタ」
「なっ、ちがっ!」
 アーサがサバイバルナイフを手に笑う。危機と隣り合わせの場でも笑みを刻み、彼女に危害が加えられないよう目を光らせる。
「ここは危険だぞ、アーサ」
「それで尻込みしちゃ冒険はできないさ」
 霧が薄れたように見えたが、サラは血走った眼で思念体に手を伸ばした。
「私は……復讐するんだ!」
 憎悪。嫉妬。強い負の感情が共鳴し、膨れ上がる。
 不可視の波動が迸り、学院全体を震わせた。

 若者の体が震え、トーテムのファングが呆然として口を開けた。
 争いの続く荒廃した世界。衣服とも呼べぬ布を纏い、食物を求めて彷徨う子供。生き延びるために罪を犯し、殺し合う人間。
『あの“サラ”のいた世界か……?』
 見えたのはそれだけではなかった。
 謎の生命体が闘技場を埋め尽くし、出てこようとしている。それを武術運動部と公安委員会が押しとどめていた。
 別の光景では、遺跡の最深部で世界を滅ぼそうとしている男が動機を語っていた。
 無数の破片の一つ一つに世界の辿る道筋が見えた。
 膨大な情報量に、その場にいた者達の体から力が抜けた。夢の世界を泳ぐように体が上手く動かない。
 一瞬とも永劫とも思える時間が経過し、その間誰も――黒のサラも動かなかった。動けなかった。
「はぁ……はぁ……」
 原因となった黒のサラ本人も消耗した様子で息を吐く。
 彼女の持つ時空を超え、彼女自身と意識を共有する能力。それが思念の塊に触れ、互いの感情を共鳴させたことで暴走し、あらゆる可能性を、世界の光景を見せたのだろう。
 何分経ったかわからない。
 いち早く立ち直った少女が、動きの鈍っている若者に手を振りかざす。
「待ちたまえ」
 丁重な声音は、首謀者を相手にしているとは思えない。
 声の主は白い髪を後方に撫でつけ、皺の目立つ顔に笑みを浮かべている。
 シルフェイド学院に通うならば、誰でも彼を知っている。
 若者が彼の肩書を口にした。
「が……学院長!」
 彼は銃を手に持っている。憔悴した表情だが、足はしっかりと地を踏みしめ、視線も揺るがない。
「止めに来た」
 この場にいる生徒も職員も彼の行動を疑問に思っている。
 学院長は自分だけ危険から逃げ出すような臆病者ではない。脅威に立ち向かう際に指揮を執ると断言できる。いざとなれば危機に身を晒すことも厭わないだろう。
 だが、そう簡単に最も戦いの激しい場所に出てきていい人間でもない。
 もし彼が倒れれば指揮は乱れ、混乱に陥り、被害が増加する。それを把握しているはずだ。
「放っておけなくてね。別の“私”がやろうとしたことと似ているのだから」
 先ほどの波で、無数の映像の一つに、世界を滅ぼそうとした己の姿を見た。
 創り直すためという大義名分があったが、全てを消し飛ばそうとしたのは紛れもない事実。その世界では黒のサラは止める側に回っていたと思うと、皮肉というほかない。
「未来が無い世界に絶望したのだろう?」
 彼が凶行に走ったのは、自分一人でなく世界そのものが存在しなくなるという危機感に駆られてのことだったが、根底は同じだ。
「“私”の分も立ち向かわねばなるまい。学院の長として」
「邪魔するな……!」
 黒のサラは障害となる若者と男をまとめて倒そうと力を溜めた。
 その隙に学院長が動いたが、持っている銃を使おうとはしなかった。
 彼は何の工夫も無く突っ込み、迎撃を受けて少女にもたれかかるように倒れる。それを乱暴に跳ね除けた彼女の面ははっきりと苛立ちが浮かんでいる。
 とどめを刺そうとしている相手に、学院長は穏やかな眼差しのまま語りかける。
「何故、異なる世界の“私”が、未来を見ることができたのか……わからないのか?」
 理力を叩きつけようとした彼女の顔がこわばった。力が弱まっている。
 身を起こした学院長が不敵に笑う。
「“君”の力を奪ったからだよ」
 理力には、『火炎』や『治癒』といった資質を持つ者が学べば確実に身に付けられる一般的なものと、限られた者しか使えない特殊なものが存在する。
 黒のサラの時空に関する能力はもちろん後者だ。
 そして、学院長も。
 彼は触れるだけで力を吸収する能力の持ち主。
 別世界の“彼”と違い一部しか奪うことはできなかったが、十分だ。
 彼は片手を差し出した。
「君の話を聞きたい」
「何を――!」
「この学び舎は、受け入れることを学風としている。君が望むならば、ここで学ぶといい」
 学院長が語る間、若者は生まれる化物への対処に励んでいる。先ほどより勢いが減じたとはいえ、数が多い中で奮闘している。
「普段人生の先達を気取っているのだ。こんな時若者の声を聴かずして、いつ聞くと言うのか」
 黒のサラはよろよろと後ずさった。
 今まで誰に呼びかけようと届かなかったのに、学院長は真っ直ぐに彼女を見ている。
 彼女の言葉に耳を傾け、最後まで聞き届けようとしている。
 迷う彼女の心をいっそう揺らす声がした。
『サラ。聞いて。私は――私達は、あなたを見捨てたわけではありません』
「何を言う! 貴様らはぬくぬくと暮らしていたくせに!」
『私達はずっと呼びかけていました』
 手を伸ばしたけれど届かなかったとサラは語る。異変が起きた今だからこそ通じたのかもしれない。
「嘘だ……」
 黒のサラは否定するように頭を抱えた。
 物心ついて間もない頃は助けを求めた。伸ばされた手を掴む者がいると信じていた。そんな己を嘲笑うようになったのもやはり幼い頃だ。
 助けを呼ぶ声は嗄れ、身体は凍え、体中に傷が刻まれて諦念に支配された。目が濁るのにそう時間はかからなかった。
 己の能力を発見し、復讐を決心してから憎悪を糧に生きてきた。
 それは大人から見れば短い年月かもしれない。
 だが、彼女にとっては人生の大半を占める。
 それが失われた時、どうやって己を支えればいいのかわからない。
 憎悪を捨てた己の姿など浮かばない。
 途方に暮れる彼女の前で、若者が叫んだ。
 彼女ではなく、自分と同じく造られた存在に向かって。
「生み出した本人ではないけれど……おさまらない感情は全て、ぶつけてこい!」
 己を指し示し、受け入れるように両手を広げる。
 彼の行動は黒のサラの理解を超えていた。先ほど操られたというのに、己の身を差し出すような真似をしている。
「同じ轍を踏むのか?」
「今度は途切れさせない」
 攻撃を加え、衝撃を与えて器から追い出しても思念は消えない。
 肉体を与えられれば再び動き出し襲うだろう。黒のサラの力が尽きるまで待っていてはいつ終わるかわからず、被害も増える。
 その前に決着をつける。
 感情は暗いものばかりではない
 人々の想いを、彼らとのつながりを力に変えて呑み込まれないようにする。
「憎悪が簡単に消えるものか!」
 若者は答えず、己に飛び込んできた思念体に意識を凝らす。
 疎まれ声が届かず絶望していた者達の声を、向き合い、聴くことから始める。
「貴様は消える運命を受け入れるのか? 何の未練も無いというのか」
 声は思念体が発しているのか、サラが言っているのかわからない。どちらでもよかった。
「皆と一緒に暮らしたい」
 若者は言葉を続ける。素直な気持ちを言葉に替えてぶつける。
「学校に行って、喋って……屋上でお弁当食べたり、遊びに行ったり」
 人によっては意識すらしない生活。ありふれた光景。
 それは彼女が、思念体が望んだことだった。
 夢見て叶えられないことに絶望したのだ。
「誰にも顧みられないなんて、嫌に決まってる」
「ならば、何故!」
 彼がこの世界で暮らせるのは一年限り。
 どんな力を身に付けようと、人々と絆を深めようと、帰るべき場所も時期も変わらない。
 一旦手に入ったものは失われるとわかっている。
 彼が消えた後、悲しみに沈む者も思い出す者もいるだろう。だが結局は、彼はそこにはいない。存在していられない。
 それでも若者は投げ出さない。絶望に折れない。
「色々考えて……最後に思った」
 一つだけ残った想い。
 それこそが彼にとっての真実だ。
 彼の中の指針。
 行動すべき道。
「俺は――」
 彼の中に次々と飛び込んできていた思念体から色が抜けた。
 その瞬間をもって今回の異変は、島を滅ぼす『災い』へと発展する前に収束したのだった。
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