闇に閉ざされた世界――魔界にバーンは移動していた。
地上の空に浮かんだバーンパレスは激闘のせいで使い物にならなくなり、一度体勢を立て直す必要もあるため故郷に戻ったのだ。
腕を組み、空中を眺める様からすると、彼は何者かを待っている。
それに応えるかのように、扉の向こうから気配がした。
漆黒の鎧に身を包んだ騎士が絨毯の敷かれた廊下を歩く。兜で頭部が隠れているため表情は見えない。
騎士は頑丈そうな扉を軽々と押し開いた。主の姿を認め、膝をつく。
「新たな器を手に入れました。剣の技量、肉体の頑強さ、ともに恵まれています」
騎士――ミストは胸に手を添えながら報告した。
暗黒闘気の集合体たるミストは宿主がいなければ力を振るえない。だが、体を持たぬからと言って侮っていると、魂を砕かれ人形となり果ててしまう。鍛えられない己の体を嫌悪する彼だが、主のためならばその特性を存分に発揮する。
バーンは労いの言葉をかけた後、騎士の姿を観察する。正確に力を見極めようとする眼光は鋭い。
「……器に相応しい力はあるのだがな。以前には遠く及ばぬか」
「はっ。残念ながら」
前の器だったバーンの肉体は最強と呼べる力を誇っていた上に、凍れる時間の秘法のおかげで不死身だった。大魔王の全盛期の身体と一魔族の体を比較すれば、劣っていても仕方がない。ミストの特性たる暗黒闘気も、よほど扱いに長けた者でもない限り十分に振るえない。
主な攻撃手段は体の持ち主の剣技となってしまうため、今までと比べると格段に力が落ちたことは否定できない。
それは二人とも分かっているが、再び秘法を用いて体を預ける時が来るまでは、仮の器を使うしかない。
「お前には一つ呪文を覚えてもらう」
「かしこまりました。して、魔界の強者の方は」
「問題が山積みだ」
いくら大魔王個人の力が強くても、動かせる軍勢がいなければ大規模な戦闘は難しい。地上の魔王軍の強化に意識を向けていたため、勇者一行によって蹴散らされた今、魔界の住人を使うしかない。軍団を編成しているが、軌道に乗るには時間がかかるだろう。
このままだと神を殺すどころか天界へ行く方法すら見つからない。向こうが攻めてくるのを迎撃する「待ち」の戦法になる。待つこと自体はさほど苦ではないが、己が計画してそうするのと、相手から強いられるのでは精神的な消耗が違う。大魔王にとっては気に入らない状況だ。
今のうちに軍の編成に力を注ぐべきだと囁く理性と、早く戦いたいという衝動の板挟みに苦笑するバーンだった。
ミストの方も今後の動きを検討していたが、別のことが頭に浮かんできた。
己が消滅しかけた時に見えたハドラーの姿が、思考の片隅に引っかかったのだ。
論理的に説明しようと思えば簡単にできる。消滅に瀕した自らを鼓舞するため、尊敬する戦士の幻を生み出した。存在を維持すべく本能が働いただけだ。
悪とされる存在に奇跡は起こらないと、よく知っている。
ハドラーの死は主から情報として聞かされただけで、詳細は知らない。
(叶うことならば……)
無意識に溜息を吐く。
全てを懸けた戦いを目にすることができなかったのが、心残りだった。
神々の決断は勇者一行によって各国の王に知らされた。
対策を練るため会議を開いたはいいが、たいした案は出ない。大魔王との戦いでは、光の魔法円を作り、バーンパレスに少数精鋭を送り込むという作戦だったが、今回はそういうわけにもいかない。
まず天界への行き方がわからない。さらに、大魔王の場合は敵がバーン本人、キルバーン、ミストバーンと明確だったが、天界の戦力は未知数だ。
「それにしても、何故あのタイミングでわざわざ宣告したのでしょう」
神々がもう少し待てばダイ達かバーンのどちらかが死んでいたはずだ。労せず片方の戦力を削ることができただろう。
「神様のおかげでおれたちは救われたって言えるかもな。実は冗談で、大魔王から助けてあげましたーってオチは……あるわけねえよな」
自分で言ってがっくりと肩を落とすポップ。ダイは難しい顔で、レオナは険しい表情で、アバンは曇りがちな笑みを浮かべ、言葉を探している。
「唯一の救いはバーンも神々と戦うということですね。彼は神々についての知識を持っているでしょうから、手を組むことができれば心強かったのですが」
アバンは眼鏡を拭いて溜息を吐いた。バーンと協力関係を結ぶのが無茶な話だということはアバン自身承知している。
「とにかく今は少しでも多くの知識を集め、役に立つ情報を見つけ出すことですね」
アバンの言葉に皆が頷く。嘆いても仕方がないため、意見を出していく。
「太古より生きる存在……となると古文書を調べる者、各地の遺跡を調査する者など役割を決めておいた方がよいのでは?」
「天の軍勢が攻めてきた時のために避難場所や人員配置も考えんといけませんぞ」
「ダイ君たちには真っ先に戦ってもらうことになるけど」
「おれはもちろん大丈夫。だけど……」
言葉が途切れたものの、言いたいことは全員に伝わった。
ダイ、ポップ、マァム、クロコダイン、アバン、それに新しく仲間に加わったヒムやラーハルトは前線で戦える。レオナは直接戦闘よりも人を指示するのに向いているだろう。
だが、アバンの使徒の頼れる長兄、ヒュンケルは会議に出席していない。無茶を重ねてきたため全身の骨に無数のひびが入り、起き上がることもできないほど弱っている。ロン・ベルクは両腕が使えなくなり、ブロキーナとマトリフは寄る年波には勝てず、体力が続かない。
神々がもしバーンに近い力を持っていたら。それが複数だったら。
最悪の結末を予想する一同だった。
「バーンとの戦いの傷も癒えてないんだ。まずは態勢を整えないと」
少年の言葉に一同が頷く。
それまで部屋の片隅で黙っていたメルルが口を開いた。
「み……視えました! 翼を持つ者たちが地上と魔界に降りてきています」
銀の光が流星の如く大地に迫る、幻想的な光景。終焉を予感させる恐ろしい景色に彼女が身を震わせると、別の色が重なった。
「あ……」
こちらは今の景色でも未来の光景でもない。しばらく前に起こったことだ。
陽光を浴び、美しく煌めく白い宮殿。その一角に吸い寄せられるように視線が近づき、中を映し出す。
バン、と荒々しく円卓を叩く手が見えた。混乱と苛立ちに染まった叫びが心に響き渡る。
「何故地上を破壊するなどと――!」
「地上だけではない、魔界もだよ」
「過ちは正されねばならん、ということか」
そこから先は霧がかかったようにぼんやりとして、聴くことはできなかった。
薄れゆく意識の中で、彼女は皆が戦いに駆け出すのを感じた。
悲観的な者が見たらこの世の終わりだと嘆きそうな光景だった。
神との戦いが始まることをまだ知らされていない国民にとっては、悪い夢を見ているような心境だろう。
暁を背に、銀の翼をもつ無数の天使が舞い降りる。金属質の体は優美な曲線を描き、冷たい輝きを放っている。
彼らは天使という単語から連想される慈愛溢れる存在ではない。汚れた生命を断ち、裁くために遣わされた兵器だ。
感情のこもらぬ瞳が人々を睥睨する。
ギラリと銀光が翻る。
一斉に抜刀したのだ。
天使達が突進しつつ一刀を繰り出すが、弾かれる。人々の避難区域を決め、その周囲に結界を張ったのだ。長時間はもたず、実力者であれば簡単に打ち砕ける。
速やかに撃退しなければ、被害が出てしまう。
さっそくクロコダインが斧を構え、叫んだ。
「勇者、魔物、大魔王ときて今度は天使との戦いか! 相手が何者であろうと獣王の力を見せるのみ!」
轟音を上げながら斧が振り回された。烈風が巻き起こり、天使の飛行を妨害する。まるでバーンとの戦いでろくに動けなかったうっぷんを晴らすかのようだ。
「閃華烈光拳は効かない……力で砕くわ!」
マァムが俊敏に動き、天使の攻撃を回避する。
「うおおぉぉっ! オーラナックル!」
ヒムが渾身の力を込めて左拳を打ち込んだ。胸を貫かれ、落下した天使は動かなくなる。光の闘気を操る彼の攻撃を受けて無事でいられる者は少ない。
「ハーケンディストール!」
ラーハルトは槍を振り回し、衝撃波と真空波で敵を真っ二つに切り裂いた。彼の速度に反応できる者など魔族も含めてごく一部だ。
ダイも危なげなく戦っている。相手が機械だから戦いやすいようだ。
安定した戦いぶりを見せる一行の中で、ポップは一人慌てていた。
「何で魔法が効かねえんだよっ!?」
理力の杖による攻撃は敵には届かず、攻撃範囲の広い閃熱呪文や爆裂呪文、火炎呪文は体に弾かれ大した傷をつけることはできない。魔力を攻撃力に変換できるという点ではブラックロッドと同様だが、威力や変形機能の有無で、直接的な攻撃力は落ちてしまう。
「危ねえっ!」
バランスを崩したポップに向かって突き出された刃をヒムが飛び出して防いだ。ダイが跳躍の勢いをこめて叩き斬る。二人に礼を言うポップに対し、ラーハルトの声は冷たい。
「ダイ様の足手まといにはなるなよ」
「まずいな……魔法が効かないんじゃ大量に攻められるとヤバい」
メドローアなら効くだろうが、消耗が激しい。そう何度も放てるわけではないので何か策を考えないと戦力外になってしまう。敵も無力な獲物を狙うのか、ポップを優先して襲っている。
(おれは役立たずなのか?)
相手が人形では挑発して隙を作ることもできない。
焦りを感じたポップにダイは視線を向け、肩を叩いた。
「おれの力を最高に引き出せるのは……ポップ、おまえだけだよ」
不覚にも目頭が熱くなったが、そんな場合ではない。
杖に魔力を込め直し、アバンのしるしを光らせながらポップは天使へと突進した。
魔界では一方的な破壊が展開されていた。
魔族や魔物、知恵を持たぬ竜も、反撃するにはしている。
だが、彼らと比べものにならぬほどの勢いで、天使をゴミのように駆逐している男達がいた。
後から後から現れる天使を一睨みしただけで、無数の球体がその場に落ちる。戦う資格のない相手を宝玉に閉じ込める、バーン特有の力だ。
「次々と、まるで虫のようだな。目ざわりだ!」
高らかに宣言しながら右手に闘気を集中させ、一閃する。地面を抉りつつ衝撃波が巻き起こり、瞳をあっという間に粉砕していく。
「余と戦える者もろくにおらぬのか。興が削がれるわ」
「バーン様に群がるゴミどもめ……砕け散れっ!」
大魔王から少し離れたところで戦うのは黒い騎士だ。瞳化の範囲外にいる天使に接近し、剣を振るう。
二人は翼をもつかのように飛び回り、次々と敵を屠っていく。特に大魔王の姿は魔神のようだ。
バーンの戦いぶりを見ていた魔族達は圧倒されるのみだった。
「さ、さすがバーン様だな」
「オレ一生ついてくよ……」
乾いた笑い声をもらす彼らは、バーンが現在の姿になった経緯について詳しく知らない。
だが鬼神のような戦いぶりを見れば、全盛期の強さであることが感じ取れた。大魔王の名に相応しい姿に、彼らは戦いも忘れて見とれていた。
怒涛の勢いで攻撃している主従とは違い、周囲を天使に囲まれながらも静かに佇んでいる男がいた。
黒い装束に身を包む彼の表情は仮面で隠れている。面に張り付いた笑みを向け、早く来いと言わんばかりに手招きする。
同時に天使が一斉に襲いかかろうとして、止まる。
「まずは、スペードの4」
言葉に応えるかのように、四本の剣が虚空から生える。滑るような動きで舞い踊り、天使の首をはねる。
「お次はハートの7」
人が入れそうなほど大きな杯が天使達の頭上に出現した。金色の杯が傾き、紅い液体が降り注ぐ。美しい雫を浴びた天使の体は音を立てて溶けていく。
数を減らしていく天使のうち一体がかろうじて罠を回避し、接近した。
「うひゃああ!」
肩に乗った使い魔が叫ぶなか、彼は芝居がかった身振りで避けた。踊るように、相手を馬鹿にするように、ステップを踏みながら繰り出される刃を躱す。
降参するように両手を上げつつ、彼は呟いた。
「わ、危なっ」
物言わぬ人形達に躊躇などない。彼らは突進し、そのまま細切れになった。
「だから危ないって言ったのに」
奇術師を連想させる服装の主は、暗殺を仕事とする死神――キルバーンだ。アバンに首を斬り飛ばされ死んだはずだが、使い魔ピロロの力によって復活したらしい。
ピロロは無邪気にキルバーンに問いかけた。
「これからどうしよう」
「面白いことになってきたから、まずはヴェルザー様に報告かな」
「……って、あれ?」
「ヴェルザー様?」
いつもの場所に主の気配が感じられない。石化した状態で封印されている彼が、自力で動くことはないはずなのに。
キルバーンは天気でも語るようにのんびりと呟いた。
「封印、解けちゃったみたいだね」