忍者ブログ

ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

甘露の軌跡

SS『甘露の軌跡』
※地上破滅成功後。ミストがマァムに憑依。

 地上は滅んだ。
 太陽の光を遮っていた蓋は破壊され、魔界の大地は朝日に照らされている。
 宮殿も陽光を浴びて燦然と輝く中、玉座の間へと足を運ぶ者がいた。
 彼女が着ている黒いドレスは背中が開いたデザインをしており、肩甲骨が覗いている。桃色の髪がまとめられ、露になっているうなじには黒いチョーカーが巻かれている。手袋も黒いため、闇を纏ったような姿をしている。
 大魔王バーンが、恐ろしい存在が待つ場所へと、少女は堂々と歩む。
 彼女は扉を押し開き、歩を進め、王の御前で恭しく膝をついた。
 大魔王は青年の姿だ。勇者達との決戦で全盛期の肉体に戻った彼は、皆既日食が起こる数百年後までそのままの姿でいなければならない。
 傍らのテーブルには暗い色の瓶と、真紅の液体に満たされた杯が置かれている。
「ミストよ」
 バーンが呼んだのは少女の名ではない。
 黒いドレスが飾るのは闇を思わせる色の肌であり、本来の色とは違う。体の持ち主は魂を抑え込まれている。
 バーンが目で促したため彼女――ミストは立ち上がり、主へと静かに歩み寄る。
 姿が大きく変わった忠臣に面白がるような視線を向けつつ、大魔王は尋ねた。
「ヒュンケルはどうした」
 大魔王は、敵対した勇者達を殺さなかった。
 地上が破壊され、守るべきものがなくなった勇者達は戦意を失った。抵抗をやめた彼らをバーンは生かしておくことにした。武具のコレクションのように。
 現在ミストの器となっている少女、マァムも「戦利品」の一部だ。
 バーンが尋ねたのはヒュンケルも生きているためだ。器に相応しい方を使わない理由を訊いている。
 笑みを留めているバーンに対し、ミストは恐ろしいほど真剣な表情をしている。
「修復しています。丁寧に、時間をかけて」
 常のミストらしからぬ答えに、バーンは笑みを深くした。
「器はいくら傷んでも構わないのではなかったか?」
 予備の体ゆえに貴重だとみなしてはいるが、途中で幾度も殺そうとしたのだ。戦いに使うものであって、大事に扱うのはミストらしからぬ行動だ。
 ミストは慎重に口を開いた。
「……此度の戦い、私は追い詰められました」
 許可を得ずに真の姿を解放し、正体まで晒すこととなった。痛感したのは最高の力を発揮できる器――切り札の必要性だ。
「理想の器は温存し、強敵に備えるつもりです」
 いくら痛みを感じないといえど、損傷が激しければ動かせなくなる。乱暴に使いすぎて手足がちぎれでもすればそれ以上使えない。なるべく消耗を軽減する必要があった。
「普段使いはそちらというわけか」
「はい。これで加減を覚えようかと」
 力の調節は、温存にも、その反対にも活かせる。より上手く体を使えるようになれば、壊すつもりで戦った時の爆発力も上がるはずだ。
「ほう?」
 意気込む部下を眺め、バーンは悪戯を思いついたような笑みを浮かべた。

 大魔王は赤い液体がなみなみと注がれている杯を取り、部下に手渡した。
 怪訝そうな顔をするミストへ中身を干すよう促す。
 ミストは戸惑ったように瞬きをした後、主の命を果たそうと勢いよくグラスを傾けた。
 口の端から雫が零れた。飲み下せなかった液体は唇から顎へと線を描き、床に模様をつける。
「あっ……」
 間の抜けた声を漏らしたミストの表情に気まずさがにじむ。彼女の口元や床は血を吐いたような有様になっている。
 慌てて口を擦ろうとしたミストより先に、バーンがその唇に手を添えた。指でそっと雫を拭い取る。
 バーンは顔を近づけ、目と目を合わせる。
 距離が近いが、どちらの面にも陶然としている様子はない。
 大魔王は実験対象を観察する眼差しをしており、ミストは試験を受ける子供のような顔をしている。
 やがて顔が離れ、ミストは息を吐いた。
「申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしてしまい……」
 この数千年飲食の機会がなかったこともあって、ぎこちない。かしこまるミストにバーンは鷹揚に笑う。
「焦らずともよい。戦闘の方はどうだ?」
 勇者一行に勝利し、魔界に太陽をもたらしたとはいえ、全ての住人が大魔王に額づいたわけではない。いまだに反抗する輩を狩るのがミストの仕事だ。
「この調子ならば自壊せずに戦い続けることができるでしょう。人間の小娘相手だと油断するのか、あまり消耗せずに済みます」
 飲食では失態を見せたが、戦闘の成果は悪くない。闘い続けようとする習性によるものか、長持ちさせようとする戦い方に適応しつつある。少なくとも、本人はそう考えている。
 バーンの目が鋭く光り、少女の手を取った。するりと手袋を脱がすと、爪は割れ、指にも何箇所も裂けた跡がある。血は綺麗に洗い流されており、傷もふさがりかけてはいるが、すぐに開きそうな状態だ。
 ミストにとっては十分加減したものの、器の損傷を回避するには至っていない。軽微だと判断したため、回復呪文で「修復」することも考えていなかった。
 温存できていると――加減を会得したと胸を張るにはまだ早い。

 課題を突きつけられ、ミストの面持ちが沈んだ。
「この体は……とても、軽い」
 呟きは小さく、掠れていた。明かすつもりのない想いが溢れてしまった。
 人間の中でも上位の戦士の体で戦えるのに、焦りがミストの心に広がっていく。足は確かに床を踏みしめているのに、ひどく頼りない心地がする。
 今のミストは仮初の器に宿っているに過ぎない。魔界最強の片割れ、絶対の存在ではない。
 思う存分力を発揮することはできず、慎重に戦うことを強いられる。
 そうして時間を稼いだところでたかが知れている。しばらくすれば次を探さねばならず、強い体を求めて渡り歩くことになる。
 入り込むたびに姿が変わり、抜け出せば必ず力はゼロに戻る。何度憑依を繰り返しても、何も残らない。
「このままでは――」
 額の眼と少女の双眸、二種類の視線が床に落ちる。悄然とした呟きをバーンが遮った。
「ミスト」
 男の声に込められているのは、愛ではない。視線に宿るのは、情ではない。
 俯いていたミストがびくりと身を震わせる。叱責されるかもしれない恐怖が瞳を覆う。
 声に含まれる感情がどういったものか明かされることはないまま、暖かな光が少女の手を覆った。先ほどミストの手を取り、そのままの体勢でいたバーンが回復呪文を使ったのだ。
 俯いているミストが目を見開いた。
 傷を癒す行為が何を指すか気づいたのだ。
 体を労われと告げているのではない。
 注意を払うよう促している。
 長く戦えるように。
 戦い続けるために。
 おそるおそる顔を上げた彼女と大魔王の視線が絡んだ。大魔王の第三の眼――鬼眼と、少女の額に位置するミスト本体の目が合った。
 時が凍ったかのような空気が流れる中、両者の顔が近づく。
 大魔王が少女の耳元で囁いた。
「余のために、戦え」
 何千年も闘って、手を汚して、血と憎悪を浴び続けて、預かり物を返してなお戦うことを求められる。
 酷な命令を与えられたミストの拳に力がこもった。
 湧き上がる闘志によって。
「……はいっ!」
 背筋がぴんと伸びる。瞳に火が灯る。
 まるで美酒を飲み下したように、少女の頬が上気した。
 面から狼狽が消え、不敵な笑みが浮かぶ。
 怯えがにじんでいた表情が歓喜に塗り替えられていく様は、羽化か、開花か。
 血塗られた宿命を告げる呪縛のような言葉を、ミストは祝福のごとく受け入れた。
「貴方様の敵は、全て殺して御覧に入れます」
 冷酷な言葉は、とても穏やかに紡がれた。
 彼女は終わることのない戦いの日々に安らぎを感じている。
 真に能力を発揮できる数百年後まで必要とされることに。
 返り血を幻視させる笑みを目にして、大魔王は満足げに頷いた。

 二人は宮殿の外に出た。
 大魔王は太陽に照らされている大地を踏みしめる。腕を伸ばし、光を浴びている。
 ミストは主君から一歩下がった位置にいる。影の中に佇んでいる。
 黙して従うミストの顔には笑みが浮かんでいる。
 蜜を口に運んだような、満ち足りた微笑が。
 何度姿を変えようと、世界の姿が変わろうと、歩む道は変わらない。
 ミストは一度目を閉ざした。
 自身の歩みを振り返ると、道は暗く染まっている。
 数えきれないほどの人間と魔族、魔物の屍が敷き詰められ、血で塗り固められている。
 多くの体を、命を、魂までも踏みにじってきた。
 瞼を開けたミストの面はやはり晴れやかだ。視線の先には主がいる。
 彼は、彼女は、歩く、歩く。
 自身の手からも血を滴らせ、道しるべとして残しながら。
 世界は今日も輝いている。
PR

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

最新記事

(05/05)
(04/28)
(04/21)
(04/14)
(04/07)
(03/31)
(03/24)
(03/17)
(03/10)
(03/03)