SS『Anothe Side』
※自分の持つ幾つもの顔についてミストが想う。
「私はお前達の名を忘れはしないだろう……。永遠に……!」
感慨深げに言葉を発したのは、魔王軍の幹部ミストバーン。
霧のベールに包まれていた素顔を晒した彼は、眼下の戦士を眺める。
竜の騎士バラン。
魔軍司令ハドラー。
主が認めた男達に一瞥を投げかけ、帰還する。
つい先ほどまでの動揺が嘘だったかのように、心の内は静かだ。
切り捨てられたかのように動くもののない心に湧き上がるのは、期待。
邪魔者は消え去り、主の大望が叶う。
間もなく新たな時代が始まる。
そのために、今まで戦ってきた。
そのために、迷いなく動いた。
なすべきことをなしたからこそ、平静でいる。
帰還した臣下へと大魔王は掌をかざした。
白い面が黒い霧に覆われるのを感じ、ミストバーンは密かに息を吐いた。
元の姿に戻った彼に、死神とその使い魔が声をかける。
「素顔の方がカッコイイのに……」
「カッコいいのにィ~ッ!」
真剣ではないものの、嘘や世辞などの、心にもないことを言っている口調ではない。
ストレートな称賛に対し、ミストバーンの返答は――
「……」
沈黙。
気の合う友人からの褒め言葉は、普通ならば悪い気はしない。
素直に喜べるはずだった。
素顔が自分のものならば。
彼は『自分』の顔を思い浮かべた。
彼には幾つもの貌がある。
黒い霧を纏い暗黒闘気を振るう、謎めいた男。
魔王軍最強の青年。
そして、もう一つ。
その顔を知るのは、大魔王バーンだけだ。
暗黒闘気の集合体たる性質や能力。自身の肉体への嫌悪から生じた思考や行動。
それらをこの世の誰よりも知悉している。
ミスト本人よりも理解しているとさえ言えるかもしれない。
そうでなければ、全盛期の肉体を預けることはできない。
影の男は、友人であるキルバーンの方を眺める。
主が影の全てを知る存在ならば、死神は知るかもしれない者だ。
肉体の秘密に――中に潜む霧の正体に気づく可能性が高い。
数百年の間声を聞き、封印の解除された姿を何度も目撃したからだが、それだけではない。
死神に対して感じる友情こそが、警鐘を鳴らしている。
(……あいつは、近いところにいるかもしれん)
対極の性格。協力を命じられているとはいえ、油断のならない暗殺者。
それでも出会った時から気に入ったのは――友情が破たんせずにいるのは、近しいものがあるからだろう。
死神の方も、同じように感じているかもしれない。気が合う理由を手繰っていった先に、辿りつくかもしれない。
すでに、音もなく、至近距離まで忍び寄っている可能性すらあった。
キルバーンが何を考え、どこまで知っているのか、ミストバーンには掴めない。
死神は、勘付いたとしても詳細を語ることはしないだろう。明かすとすれば、それは死の鎌を振るう時だ。
素知らぬ顔をしている彼を、ミストバーンも詮索しなかった。
(知られてはならん)
最大の理由は秘密を守るためだが、それは誰に対しても当てはまる。
死神(キル)に知られたくない理由は単純だ。
命以外の何かが終わるのを避けたい。
友情を感じるのも、何のてらいもなく友人だと言い切れるのも、極めて珍しい。特別と言い換えてもいいほどに。
少しでも長く。
いつか終わるのだとしても。
そこまで考えた彼は引っかかった。
似たようなことを願ったばかりだ。
先刻自らの手で葬ることを選んだ男に対して。
勝って、生きてほしい。
残された時間がわずかだとしても。
同じ陣営の人物にも躊躇なく死を与えてきた者が、主君以外の誰かの生を心から願う。
大魔王の右腕らしからぬ心の動きを知る者は、主と死神くらいだろう。
いつもならば、味方であっても華々しく散ることを望み、冷静に見守るだけだ。
(……たいした違いはなかったはずだ)
ハドラーに迫る死は覆せない。
敗北はほぼ決定しており、死因が斬首か爆死かの違いでしかない。
奇跡的に勝利したとしても、彼の肉体は限界が近く、近いうちに崩壊する。
もたらす結果を考えれば、邪魔者をまとめて始末できる爆破を望むのが筋だろう。
何故、敗死が決まっている状況で、核晶を爆発させることに抵抗感を抱いたのか。
先は短いと分かっていながら、勝利を願ったのか。
戦力になるから。
大魔王のために戦う意志が固いから。
むろんそれらの要素は大きいが、あれほど生を望む理由には弱い。
主は、影そのものの素顔を知る者。友は、知るかもしれず、知られたくない者。
ハドラーは、知るはずのない者だった。
ハドラー本人が遠ざけよう、遠ざかろうとしていたのだから。
大魔王の信厚き家臣であることと、底知れぬ力を秘めていることは魔軍司令時代から察していたものの、それだけだ。
地位に執着し、保身に拘泥する状態では、大きな秘密を抱えた部下など目に入れたくもないだろう。
こだわりを捨てたことで疎まなくなったとはいえ、隠された素顔とは別の、闇の貌には近づきようがない。影の方も相手に敬意を抱くようになったが、近しいと感じることはない。
そう、思っていた。
沈黙の仮面の下に触れられるまでは。
彼はどす黒い思念の集積した存在。
確かな肉体を持たず、魂だけが剥き出しで漂っているようなものだ。
誰かの体に入り込まなければまともに戦えない生物。他者に寄りかかることでやっと成り立つ、大きなものが欠けた生命体。
外と内の偏りを噛みしめてきた彼にとって、内面への言及と肯定は強く響いた。
魂に直接触れられたかのように。
闇の衣の姿を見、暗黒の力を操ると知っている者は大勢いる。
衣の下の素顔と、恐ろしく、圧倒的な力を知る者は少ない。大抵は葬られ、目撃しても無事でいるのは死神くらいだろう。
さらなる別の顔――忌まわしい姿を知る者はほぼいない。
(もしお前が知ったならば……)
蔑むか。哀れむか。
それとも、異なる表情(かお)を覗かせるだろうか。
遠かったはずなのに近づき、魂に触れ、知らぬ一面を引きずり出した男は。
今となっては虚しい仮定だ。
自らの手で終わらせたのだから。
それでも疑問は消えなかった。