SS『Apocalypsis Mysterium』
※バーンから逃げ延びたハドラーをミストバーンが始末しにくる。
瀑布の向こうで影が動いた。
水流が豪快な音を響かせる中、深緑の肌をした男が金属でできた戦士達と向かい合っていた。
雄大な光景が広がっていても、皆穏やかな一時を楽しんではいない。
その理由は彼らの置かれた状況にあった。
銀色の兵士達の主君、ハドラーは大魔王バーンに刃を向けた。
体内に爆弾を埋め込まれ、爆発させられたハドラーだが、死の淵から蘇った。
彼は大魔王に反逆するも敵わず、逃げ延びた。ハドラーを守護する兵士達――親衛騎団のうち一名が我が身を盾とし、犠牲となって。
現在は滝の裏の洞窟に身を潜めている。
生き長らえたハドラーだが、前途が希望に満ちているとは言えない。
自らの血肉と化した爆弾を毟り取られ、残された時間はごくわずか。
捨て駒として扱われた以上、今までのように大魔王に忠誠を捧げる意思はない。
だからといって、勇者側につくこともできない。人間を蔑み、踏みにじり、勇者達の師を葬ったという負い目があるためだ。
進退窮まった彼が選んだのは、勇者ダイと戦う道だった。
心に火を灯した者達に、己の生き様を証明するために。
兵士達も男の決断に賛同し、いっそう闘志を燃やす。
決戦に向けて時を待つ彼らのもとに、闇が訪れた。
「……ッ!」
ハドラーが息を呑み、一点を凝視した。
最も消耗しているはずの魔族が、音もなく迫る存在に真っ先に気づく。
最期が近づいていることにより、死の気配に敏感になっているためか。
かつて身に注がれた暗黒闘気が知らせたのか。
いずれにせよ、予感は的中した。
薄く青みがかった白衣が翻り、黒き者が姿を現す。
眼差しを険しくしながら、魔族は招かれざる客の名を呟いた。
「……ミストバーン」
影は言葉を発さない。
霧に音が吸い込まれるかのように無音で佇む。
「オレ達を消しに来たのか。手を下さずともじきに終わるが」
ミストバーンは反応を示さない。言葉を聞いていないような態度だ。
放置すれば標的は死を迎えるというのに、わざわざ処刑しに来た。
理由を考えたハドラーは低く呟く。
「あの時お前が見せた姿。……それが答えか」
やはり、無言。
ハドラーは肯定だと察した。
ミストバーンは、素顔を目撃した人物を始末しようとしている。
ダイ達との決着を優先していると告げたところで引き下がりはしないと確信できる眼光だった。
勇者一行と組む意思も、積極的に情報を提供して秘密を暴くつもりもないとはいえ、ダイ達と接触されては都合が悪いのだろう。
ハドラーとて大人しく処分される気はない。
「ここで終わるわけにはいかん」
諦めが悪いと呆れ、嘲笑しても不思議ではないが、ミストバーンは動じない。
渾身の力で抗うと予測していたようだ。
大魔王の名を冠する男は、相対する戦士に冴え冴えとした視線を向けている。
素顔を覆う霧のベール。心中を隠す沈黙の仮面。
それらは以前と同じだ。何もかもが謎に包まれていた頃と。
ハドラーが覚悟を決めてから交わした言葉の数々が、存在しなかったかのように。
親衛騎団がハドラーを守るように動くと同時に闇が膨れ上がり、爆ぜた。
暗黒の波動が集いかけた親衛騎団を吹き飛ばす。
部下達に構わずハドラーを仕留めようとしている。
淡々と。粛々と。
闇を纏いながら。
地を蹴り、滝の飛沫を浴びながら互いに攻撃を繰り出すこと数度。飛燕の速度に反した重い音が響く。
ミストバーンが右手の五指を突きつけると爪が銀の流星と化した。
ハドラーが右方へ回避したところへ左手の爪が襲いかかる。
ハドラーが咄嗟に立てた左腕に突き刺さり、鈍い音が連続した。
とうとう獲物が狩られたかに見えたが、戦士の動きは止まらない。血が流れたものの深くはない。
「ふっ!」
気合を息に載せて吐き出しつつ、ハドラーは伸びた爪を掴み、ぐいと引いた。
乱暴な動きに傷口が広がり、血に濡れた爪が抜けたが、その程度で怯む男ではない。
ミストバーンの体勢が崩れたのは一瞬。
その隙にハドラーは自由になった左手で爆裂呪文を放つ。
吸収や増幅が間に合わず、弾けた衝撃に圧されたミストバーンは目を見開いた。
ハドラーは右腕の剣に闘気を集中させつつ、疾駆していた。
光と闇が交差する。
一閃が、影を裂いた。
体が揺れたミストバーンに、どこか苦みを帯びた言葉が降り注ぐ。
「死期が近いオレなど労せず倒せる……そう思ったのか?」
「違う」
否定の声は鋭いものの、塗り込められた感情を知るには言葉が少なすぎた。
言葉の代わりに眼光が燃え上がり、真っ直ぐに戦士の面へと据えられる。
身を起こしながらミストバーンは手を胸元に持っていく。
ちゃり、と音が鳴った。
金属に包まれた指が触れているのは、真の姿を封じる首飾り。
装飾品を持ち上げ、掲げるようにして、指を強く握り込む。
空にある光を掴み、砕くように。
闇の帳が除かれる。
秘されていたものが、今再び晒される。
終末を告げるために。
この場にいる全員が直感した。
今から行われるのは、戦闘ではない。
処刑に過ぎないと。
「オオオォォッ!」
咆哮とともに飛び出したのは兵士ヒム。
何も考えず突っ込んだのではない。
相手の恐ろしさや危険さは承知の上。仲間や主のために敵の力を探ろうとしたのだ。
たとえ体を砕かれても、ハドラー達の勝利につながるならば本望だった。
無謀ともいえる突撃を、ミストバーンは受け止めた。
掌で、揺るぎもせず。
「なっ……!」
愕然としたヒムが次の行動に移るより早く、指を閉じる。
響いたのは、不快な音。
ミストバーンは、軽く指を曲げただけで、オリハルコンを握り潰したのだ。
面を驚愕に染めながらも戦意を失わずにいるハドラーに、静かな声が届く。
「誇るがいい。魔界最強の存在を相手にするのだから」
己の力を誇示する傲慢な台詞だが、声には驕りが欠けていた。
「その眼に刻め。そして――」
氷面のようだった声音がひび割れる。
「死ね」
仮面に綻びが生じていた。