SS『Dance in the sky』
※ミストが消える間際に見た幻。ハドラーも登場。
遥か昔、影は疑問を抱いた。
他者を乗っ取ることしかできず、痛みを感じぬ忌まわしき体。彷徨い続けるだけの、死どころか生からも限りなく遠い存在。
そのような身を持つ者が自問する。
生とは、死とは何か。
生きているという実感はどのようなものなのか。どうすれば得られるのか。存在の危機に瀕した時、何を想うのか。
答えは与えられた。
主と出会った時、疎んできた能力が――自分自身が存在する理由を知った。
鍛え上げた器の中で光に包まれた時、滅びをも知ったはずだった。
今、影はどことも知れぬ空間に佇んでいた。地を踏みしめているはずなのに何も見当たらない。青が広がるばかりで、空中に浮かんでいるかのようだ。
何者もいない虚空。
戦いに敗れ、命を落とした者が赴く場所があるとすれば、人間の言うあの世くらいだろう。
「バーン様……」
主が来ないことを祈るしかないと、自分の無力さを嘆きかけた影は目を見開いた。
地が鏡のように光り、己の姿を映したためだ。
目に入ったのは亡霊のような黒い影ではない。青白い衣と銀の髪が揺れ、手は金属製の籠手に包まれている。彼は長年預かってきた器と同じ姿へと変わっていた。
夢か現か判然としない浮遊感を噛み締める彼の前に、一人の男が現れた。
長い銀の髪をなびかせている、深い緑色の肌の持ち主は、静かに彼を見つめる。
男の名は、ハドラーという。
ハドラーの姿をした者は無言で手招きをする。相対する彼を戦いへと誘うように。
事態を飲み込めないながらも、ミストバーンは小さく頷き、地を蹴った。
拳を繰り出しぶつけ合う中で、ぎこちなかった動作が、次第に滑らかになっていく。
技の応酬を経て、所作は洗練されたものへと変わっていく。存在そのものが武器であるかのように。
いったん距離を取った両者の、長さの似ている髪が逆立った。
ミストバーンが掌圧を叩きつけるが、ハドラーは巨躯に似合わぬ敏捷さで跳躍し、両手で爆裂呪文を連発した。
ミストバーンは回避、防御、掌による反射を織り交ぜて鮮やかに捌ききる。煙を縫うようにして伸びた鎖を掴み、逆に引き寄せる。抵抗せず、加速して迫る体躯へと拳を叩きこんだが、ハドラーは右腕で受け止めていた。
地獄の爪が伸び連続攻撃を見舞うが、服や肌をかすめるばかりで捉えきれない。
飛翔していったん距離を取ったハドラーの両手に真紅の輝きが集う。
「極大閃熱呪文(ベギラゴン)!」
両手を組み合わせ勢いよく振りおろすと凄まじい熱線が奔った。
敵を焼き滅ぼす呪文を迎え撃つは、高速の掌撃。
不死鳥の羽ばたきのように炎を巻き上げながら振るわれた掌が、完全に魔法を弾く。
攻撃のぶつかりあう音が、歓喜の歌のように高らかに響く。
空を滑るように両者はステップを踏み、身を翻す。
舞踏が次の段階に移る。
ミストバーンの姿が、封印を解いた状態ではなく、闇の衣をまとう普段の格好へと変わったのだ。
同時に雲霞のごとく敵が湧く。
「行くぞっ!」
銀色の髪をなびかせ、覇者の剣を構えるハドラーにミストバーンは頷いてみせ、地を蹴った。
ハドラーの両手に魔力が集い、掌を黄金の光が彩る。気合いの叫びと共に無数の爆裂呪文が敵に叩きつけられ、煙が広がり視界をふさいだ。
連続する轟音、生じる爆風、断末魔の叫び、激しく振動する大地。
それらはミストバーンにとって何の障害にもならない。煙越しであろうと、敵の気配と、その動揺は手に取るようにはっきりとわかった。そちらへ攻撃を叩きこめば良いだけだ。
金属の爪が伸び、敵を穿っていく。
かろうじて爆裂呪文と爪から生き延びた魔物が得物を振りかざし、ハドラーへと斬りかかった。回避しようとしたハドラーの動きが止まる。
ミストバーンがその身を投げ出し、無数の斬撃を代わりに食らったためだ。全身を切り裂かれ、黒霧がしゅうしゅうと立ち上った。ミストバーンの身体が傾ぐが、すぐに体勢を立て直す。
敵の攻勢はなおも続く。悪魔のような翼と尾を持つ魔物の手から闘気の塊が放たれた。ミストバーンへ一直線に迫った弾丸をハドラーは右腕を突き出し、受け止めた。そのまま覇者の剣で斬りはらい、左手で握りつぶす。
その隙に押し寄せる敵の動きが止まった。蜘蛛の巣にかかった昆虫のように。
「闘魔滅砕陣」
抜け出そうともがく敵の目が恐怖に見開かれる。ハドラーの両手から立ち上る魔力は真紅。炎のように立ち上るそれは頭上でアーチを描き、彼は手を組み合わせ、前方へまっすぐ突き出した。
閃光が奔る。圧倒的な光と熱の放出に敵が吹き飛ばされた。
ハドラーは全身から放たれる魔炎気を操り、空高く敵を舞いあげる。無防備な体勢の彼らへ次々とミストバーンの爪が突き立てられる。
翼持つ者は空中から攻撃しようとしたが、ハドラーの左手から放たれた鎖が巻きついた。
脱出しようとしたその一瞬が致命的だった。ミストバーンが瞬時に至近距離に移動し、爪の剣で叩き斬ったのだ。
敵は見る間にその数を減らしていき、最後に残ったのは、分厚く巨大な盾で身を守る兵士。神秘的な輝きも、二人を阻むことはできない。
ミストバーンの眼が光り、掌に凄まじい量の暗黒闘気が集う。
「闘魔最終掌!」
全ての力を込めた一撃は、金属の塊を易々と砕き、捩じ切った。
ハドラーの口元に会心の笑みが浮かび、渦巻く力に髪が逆立った。
「超魔爆炎覇!」
敵が最期に見たものは、魔炎気を極限まで練り上げ、覇者の剣に伝わらせて突進するハドラーの姿だった。
首魁を討つと亡骸が消え失せ、激闘を感じさせるものは何も残らなかった。
一陣の風が吹くと、ハドラーの姿も消えていた。
独りに戻ったミストバーンは己の掌を眺めた。
遥か昔、彼が抱いた疑問は他にもあった。
闘争に魂を燃やし、身を焦がす感覚とはどのようなものか。
それを知る日は永遠に来ないと思っていた。
いかに強大な力を振るおうと、器が無ければ成り立たない、かりそめのものなのだから。
今、微かに何かを感じているのは、終焉を抵抗なく迎えるための幻か。
存在と消滅の狭間、肉体を持つ者と持たぬ者の境界が限りなくゼロに近い刹那だからこそ掴めたのか。
答えは定かではない。
舞踏が終わり、空は光に満たされた。