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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

Diamond Crevasse

SS『Diamond Crevasse』
※ミストがバーン様の寝顔を眺めるだけの話。


 豪奢な寝台の枕元に人影が一つ。
 黒い霧が白い装束を纏ったような姿の持ち主が、広いベッド横たわる者を見下ろしていた。
 暗い視線を浴びるのは枯れた老人だ。
 もしかしたら、このまま目を覚まさないかもしれない。
 呼吸や鼓動が止まってしまうかもしれない。
 そういった仮定が浮かびそうなほど深く眠っている。
 異形が佇んでいるにも関わらず眠りが妨げられる気配はない。
 眼差しを注ぐ者に敵意が存在しないためだ。視線の中に害意や殺気が混じれば瞬時に目を覚まし、対処するだろう。
 標的を観察する暗殺者のような構図のまま、時間が経過していく。
 眠っている老爺の名は大魔王バーン。
 主の姿を飽くことなく眺め続けているのが大魔王の部下、ミストだ。
 ミストは大魔王と出会い、守り続けることを決意した。
 仕える相手――生きる意味を見出し、空虚が埋まった彼の眼光は陰っている。
 ミストにとって、今まで誰が殺されようがどうでもよかった。
 おそらく自身も例外ではない。
 器を取り換え続けたのも、戦い続けたのも、本能に衝き動かされたため。
 消滅することになっても溜息を吐いて終わったかもしれない。
 これからはそうはいかない。
 俯き加減のミストの眼の光が、自問によって微かに揺れる。
 自分の身を守ることすらろくに考えなかった者が、誰かを守り抜くことができるのか。
 彼は無言で拳を握りしめる。

 ミストの視線は主君の面から外れない。
「……ト。ミスト」
 主の眠りを妨げないように声を潜め、自分の名前を口内で転がしてみる。
 慣れない舌触りがこそばゆい。
 彼にとっては初めての経験だ。名を持ったのも。誰かに呼ばれるのも。
 主との出会いを振り返ったミストはわずかに目の光を瞬かせる。バーンが起きていれば、部下の双眸に喜色が宿ったことを見抜いただろう。
 天命を告げられた時、誰にもなれなかった影が、ようやく何者かになれた気がした。
 ミストという存在は、大魔王に出会って生まれたようなものかもしれない。
 希望もなく彷徨うだけの旅路が終わった瞬間を、心を照らした輝きを、彼は一生忘れない。
 思い出すたびに黒い霧の奥が温かくなる。何かが燃えるように。

 ミストが熱の高まりを感じると同時に、どこからか冷気が吹き込んでくる。
 今まで知らずに済んだ感情が心を浸食し、亀裂を生じさせる。
 主君を守れなければ、彼に残されるのは凍った体だけ。
 彼はぶるりと身を震わせた。衣の下に怪物じみた力を秘めているとは思えない、余裕のない所作を見ている者はいない。
 『大魔王バーンをも上回る最強の青年』は虚像だ。
 どこか暗い眼光は一点に据えられたままだ。食い入るように主の面を見つめている。
 希望の裏には絶望が潜んでいる。光が強まれば闇も深くなる。
 出会いの喜びを噛みしめるほど、彼は反対のものに怯えずにはいられない。
 主に全てを捧げると決めた瞬間、安らかな最期は喪われた。
 彼は主君より先に死ぬことも後に死ぬことも許されない。
 彼が求め、彼に求められるのは、主に尽くし、ともに生き続けることのみ。何千年も何万年も永久に。

 もし、このまま相手が目を覚まさなければ。
 呼吸や鼓動が止まってしまえば。
 他愛のない仮定も、ミストにとっては絶望の権化だ。
 喪失の瞬間目に映る世界がどのように変わるか、彼には容易に想像がつく。
 輝く世界は大きく裂けて、二度と元に戻らない。

 彼は、大魔王に仕えるのが天命だと受け入れた。滅びから遠く永遠に近い命はそのためにあるのだと、答えを見つけられた。
 それがなくなれば、彼が存在する理由は。能力の価値は。
「……私を、役立たずの――にしないでください」
 離別を遠ざけようとする祈りは誰にも届かない。
 ミストはようやく視線を外し、闇に浸る思考を止めようとした。
 彼が長い夜に慣れるには時間がかかりそうだ。
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