SS『L'impeto Oscuro』
※ハドラーが超魔生物と化した後、竜の騎士親子が乗り込む前の話。
ハドラーがミストバーンと手合わせする。
鈍い音が弾けた。
生じさせたのは、人に非ざる者二名。
片方は深緑の肌に堂々たる偉丈夫。片方は闇の霧を青白い衣装で包んだ者。
同じ陣営に属する彼らが戦っているのは、前者の「調整」のためだ。
ハドラーは超魔生物化の改造を終え、宿敵である勇者ダイと一戦を交えたばかりだ。
まだ馴染んでいない可能性を踏まえ、実戦形式の組手で体を慣らすことを大魔王が提案したのだ。
あくまで提案であって、強制ではない。発言者たるバーンはハドラーの仕上がりに満足げな表情をしている。
「余の目には、動きに違和感は見られなかった」
「はっ」
バーンの言葉に、ハドラーも否やはない。
技術者として見ればザボエラは非常に優れており、ほぼ完璧な状態に仕上げている。現時点で修正点らしい修正点は残していない。
戦闘中の心身の感覚、傷の回復など、改造された本人も全く問題を感じなかった。
座して待つだけでも責められるいわれはないが、ハドラーは提案を受け入れた。
彼としては、より馴染ませることができればありがたい。己の力を高める願ってもいない好機だ。
以前の彼ならば、手に入れた力に酔いしれるだけで終わっただろう。何のリスクも無く強くなったならば、磨きをかけようとは考えなかったかもしれない。
今の彼が出した答えは違う。
全てを捨てて得た強さを高めたい。
「その意気やよし」
目に純粋なまでの貪欲さを宿す戦士に、大魔王は鷹揚に笑った。
相手役としてバーンが指名したのが、ハドラーの代わりに軍の指揮を執ることとなったミストバーンだった。
全力の戦闘でなくとも、今のハドラーの相手が務まりそうな者など限られている。
ミストバーンは主からの命令に無言で従った。傍から見れば、快く引き受けたとも、仕事が一つ増えただけとも取れる、内心のわからぬ態度だった。
「はぁっ!」
空気が唸り、重い音が響く。
生身でくらえば胃液を吐きそうな蹴りにも、ミストバーンは後退しただけだ。
来い、と言いたげに視線を合わせる彼に立ち向かうべく、ハドラーは虚空を蹴った。
銀色の髪の煌めきが、流星のごとく尾を引く。
再度、重い音が生じた。
ハドラーが指を組み合わせ、拳を作って叩きつけたのだ。
重力の軛を忘れたかのような加速からの、体全体を使い、重さをのせた打撃。
単純だが力のこもった一撃は男の腰のあたりに突き刺さり、空に漂っていた影が地に引かれる。
そのまま落ちることをよしとせず、ミストバーンは空中で体勢を立て直し、反撃に転じる。
生じる音に金属の甲高い響きが混じり始める。
単純な打撃から、各々の得物を活かした攻撃へと移ったのだ。
両手の爪を伸ばした剣術。右腕に仕込まれた剣と体術を組み合わせた闘法。
どちらも我流だが、描く軌跡は無駄が無い。
元々違和感なくかみ合い動いていた、ハドラーの体の歯車。
無言で力をぶつけ合ううちに、それらがいっそう滑らかに時を刻み始める。
闇との激突に触発されたのか、戦士の奥底に眠っていた何かが目覚める。
ハドラーは大魔王から復活する度に強くなる肉体を与えられていた。超魔生物と化して失われたと思っていたが、特性は残っていた。
彼を死の淵から蘇らせた暗黒闘気も。
ハドラー自身も気づかぬほど静かに、血液のように全身を巡り、新たな肉体を武器の如く研ぎ澄ませていく。
彼自身の、より強くなりたいという闘志に応えて。
瞳に燃える炎が勢いを増し、それを目にしたミストバーンは拳に力を込める。
血塗られた争いから生まれ、どす黒い闘気で構成された彼の身体は、闘争を本能とする。戦いに心身を燃やすことを欲している。
それを阻むのも彼の体だ。
積み上げた力で戦っている実感を得られない。
戦うために存在するような体でありながら、戦いを重ねて得られるのは虚しさだけだった。
主と出会えなければ、己の能力も戦いも歩みも全てが無意味という諦念に心が塗り潰されていたかもしれない。
影には成しえぬ所業に挑むのが目の前の戦士だ。
心から認めた宿敵との戦いに力を尽くし、刹那に全てを懸けること。
それは、魔界最強の存在である主にすらできないかもしれない。
王であるがゆえに。
すでに頂点に立っているために。
(お前は……!)
ミストバーンの眼が眩しさに耐えるように細められる。
高みを目指し、強くなること。
大魔王から与えられた、滅びから遠い肉体を捨てること。
一人の戦士として戦いに臨み、ほんの一瞬に全ての力をぶつけること。
彼には不可能なことを成し遂げる男の姿に、平静ではいられない。
両者の意志に呼応したかのように、全身から力が、闘気が、噴き上がる。
暗黒闘気と魔炎気。
黒き霧と、紅き闇。
双方の勢いは激しく、相手を押し流さんとする。
弦楽器が音を奏でるように、激しく、優雅に空気を震わせる。
両者の響きは拮抗していた。
協奏曲はやがて終わりを迎えた。
「世話を掛けるな、ミストバーン」
「かまわぬ。お前がさらに強くなれば、大魔王さまもますますお喜びになる」
「さらに、強く……」
半ば独り言に近い呟きをハドラーが漏らすと、切り込むような返答が彼の耳に飛び込んできた。
「強靭な肉体を……大魔王様から与えられた不滅の体を捨てたのだ。満足し、歩みを止めるには早いだろう」
ミストバーン眼光は鋭く、声は圧力すら感じさせる。
時が凍ったかのような沈黙が二人の間に訪れる。
決めつけるような口ぶりのミストバーンに対し、ハドラーは気分を害さなかった。
台詞の内容は、ハドラーがさらに上へゆけると告げているのだから。
ハドラーはかつての己を振り返らずにはいられなかった。
立場に拘泥していた頃ならば、同じ陣営の者が強くなることを歓迎できなかっただろう。
いつ上回ってくるか。どれほど己の地位を脅かすのか。そんなことばかり意識していた。
侮っていた相手に気づかされ、己を見つめ直して、認める気になれた。
己より強い者が大勢いると。
彼らの領域に辿りつきたいのだと。
目の前の男は、ずっと前から強者を認めてきた。
敵であっても、強くなりたいという意思があれば、その想いだけは肯定するだろう。
(オレに対してもそうだった)
惨めな姿を目にしても蔑まず、引き受ける理由の薄い頼みを聞いて、魔王軍最強の戦士になれると激励さえしたのだ。
自分に同じことが可能か考えてみると、すぐに答えは出た。
隙を見せれば喰われる弱肉強食の世界で、妬まず、疎まず、相手が強くなっていく事実を歓迎し、称賛することはできるのか。
以前の彼ならば間違いなく不可能だ。覚悟を決めた現在であっても、全てを抵抗なく受け入れられるとは言い切れない。
(お前は……!)
ハドラーの眼が熱さを堪えるかのように細められる。
自分には困難なことをやってきた相手の姿に、平静ではいられない。
「まだまだ止まるつもりなどない。大魔王さまのためにもな」
ハドラーが口の端を持ち上げながら告げると、ミストバーンの眼光がわずかに細くなった。霧の下の表情は、おそらくはハドラーと同じだろう。
「ならば、その果てにあるものを見せてみろ」
命令じみた台詞にもハドラーは動じなかった。
傲岸な口調の奥に見え隠れするのは、願いに近い感情かもしれない。
地位や名誉、報酬といった見返りは期待できないのに、時間稼ぎに協力した理由。
大魔王が強力な戦士を欲しているという前提があっての行動なのは言うまでもない。
もし、主の満足以外にも理由があるならば。
(オレは、知りたい。オレがどこまでゆけるのか)
そう思っているのは、自分だけではないのかもしれない。
ハドラーは口元を綻ばせたまま、決意を込めて言葉を贈る。
「オレが今歩んでいる道は、お前の助けもあって拓けたのだ。……見届けるがいい。同じ道を歩むのだから」
「……同じ……」
間をおいて放たれた声からは圧力が薄れていた。遠くに思いを馳せるような呟きだった。
ミストバーンは肯定するでもなく、否定するでもなく、黙り込む。
再び沈黙を纏った男に背を向け、ハドラーは歩き出した。
背に当たる視線ににじむ感情が何色なのか、知ることはできなかった。