SS『Lord of the Castle』
※鬼眼王バーンが竜魔人ダイに勝利した時、何を告げるか。
巨大な爪が少年の腹部を抉った。
声も出さず落下した少年は動かない。
異形の持ち主は高らかに笑いかけたが、思い直して再度手を振り上げた。表情を引き締め、相手の胸に爪を突き立てる。奇跡が起きぬように。
彼は勝つためだけに全てを捨てた。油断も当然含まれる。
爪を回転させて傷口を抉ると、少年の血飛沫が床に飛び散った。相手の命が完全に尽きたのを確認し、男はようやく勝利を噛みしめる。
虚空に怪物の笑い声が響き渡った。
笑いの衝動が収まると、彼は少年に視線を落とした。
「さらばだ……! 竜の騎士、ダイ」
敗者に向けるものとは思えぬほど、重々しい声だった。
彼の名はバーン。大魔王の肩書を抱く者。
大魔王バーンと勇者ダイ。彼らは対極の立場でありながら、心は最も近かった。選んだ道も似通っていた。勝利のために封じた力を使う点も。本来の体を捨てる覚悟を決めた点も。
たとえ敗れようと、相手の意志は尊敬に値した。
おそらく勇者が勝ったとしても、大魔王に同じ言葉を贈っただろう。
男は静かな言葉を残して、少年の遺体に背を向ける。
これから何をするのか。
決まっている。
魔獣となったのだから、恐怖で三界を支配するのみ。
怪物が暁を背に地上へと舞い降りる。
勇者の帰還を信じ、待っていた者達から絶望の叫びが迸る。
悲痛な表情で大魔道士の少年が極大消滅呪文を放った。怪物――鬼眼王の右手に直撃し、手首から先を消し飛ばす。
それでも鬼眼王は止まらない。陸戦騎の槍も大勇者の剣も全く問題にならない。人々を虫けらのごとく蹴散らし、踏みつぶしながら思う。
もう肉体を分離し、秘法で若さを保つことはできない。
美しい城の主ではいられない。
酒も飲めない。
チェスもできない。
恐怖を与える以外に他者と関わることもない。
地上を破壊し、魔界に太陽をもたらすことは不可能となった。
永遠の命も娯楽も長年の悲願も失われた。
残されたのは、絶対の孤独。
「それもまた良し」
何よりも許せず、耐えがたいのは、逃走と敗北。
利を考えるならば竜魔人と化したダイと戦わず、魔界に撤退すればよかった。しばらく待ってさえいれば邪魔者は全て消える。それから改めて計画をやり直せばよい。本来の体も捨てずに済むのだから。
彼は逃げられなかった。竜魔人と化したダイからではなく、大魔王たる彼自身から。
矜持を守るため。己を裏切らぬために。
力が正義と信じて生きてきた。
神から示された、神の支配を覆すことも可能な、単純だが美しい真理。
己に跳ね返った時投げ出しては、今までの己の生き様をも否定することになる。自身の背負う大魔王という肩書も。
「悔いはせぬ」
魔獣と化した彼の新たなる城。それは贅を尽した宮殿でも堅牢な城塞でもない。
それはこの世界だ。敵う者も、臣下も、誰一人として存在しない住処。
気づけば動く者は誰もいなくなっていた。
彼は朝日に照らされながら笑っていた。
いつまでも。
いつまでも。