SS『The Greatest Jubilee』
※鬼岩城が破壊された直後の話。
主の身体を預かった時のことをミストバーンが回顧する。
ミストバーン。
魔王軍の幹部にして、大魔王の右腕。
闇の具現化したようなその姿は異様、その力は異才。
誰もが脅威と見なす男は、無力な存在であるかのように平伏していた。己の失態を主君に報告するために。
「私がダイの剣の力を見抜くことができなかったばかりに……鬼岩城を破壊されてしまいました」
声も震えている。恐怖を抑えかねるかのように。
「そう気に病むな。ミストバーン」
応じたのは、ミストバーンが忠誠を捧げる相手――大魔王バーンだ。
「あれは玩具の一つ。ハドラーの改造が完了し、勇者達の被った痛手も踏まえれば悪くはない。……よほどのことがなければお前に罰を与えはせんよ」
穏やかな声に責める調子はない。
寛大な言葉に対し、ミストバーンの緊張は解けないままだ。その理由を知っていながら、死神キルバーンと使い魔の小人は茶化すように笑いかける。
「可愛がられてるんだね、ミストってば」
「よかったね、キャハハッ!」
二人の朗らかな声とは対照的な呻き声が、黒い霧の奥から響く。
「……それだけでは、ありません」
彼は躊躇うように言葉を切ってから、覚悟を決めて告げる。
「私は……許可無しにあの力を使おうと……!」
大魔王の目が細まり、ミストバーンは怯えたようにびくりと身を震わせる。
「ちゃんと報告するなんて律儀だねー」
「ねー」
死神と小人は感心したように囁き合った。
大魔王が口を開く前に、キルバーンは背を向ける。
ミストのしょげる姿をのんびり眺めるのも面白そうだが、当人は見られたくないだろう。
気の合う友人の心情には配慮し、尊重するつもりだ。仕事と趣味の邪魔にならない範囲で。
さほど時間が経たぬうちにミストバーンはキルバーンの前に姿を現した。
主従の間でどんな会話が交わされたのか、死神が知る由もない。
理不尽な罰や繰り言めいた説教などはなかっただろうとキルバーンは見ていた。
彼らの関係に今更そんなものは必要ない。
恐怖が抜けないのか、どこか頼りない足取りの友人に、キルバーンは呆れ混じりに呟く。
「……大変だね」
同僚の生活に改めて思いを馳せて、浮かんだ感想はそれだった。
主の言葉に従い、戦闘を繰り返す日々。
影の男は、強敵との戦いに楽しみを見出す性格ではない。戦闘の最中、殺意と憎悪を燃え立たせることはあっても、歓喜や高揚に浸っているようには見えない。主の敵を排除したことで達成感を得ても、己を高めることなどに喜びを見出してはいないだろう。
戦闘以外ではどうかというと、やはり娯楽に欠ける。
酒や食事は口にしない。
入浴や睡眠も必要ない。
大魔王の傍から長く離れることもない。
唯一気晴らしになりそうな会話すら制限されている。
「窮屈じゃない?」
死神が何の気なしに尋ねると、真面目な答えが返ってきた。
「彷徨うだけの自由とは、比べ物にならん」
興味をそそられたのか、死神は沈黙したまま視線を向ける。
問いかけるような目に触発されたのか、大魔王の影は己の過去を振り返る。
かつて、彼は自由だった。
様々な姿になれる。だが、誇りとともに自らの名を告げる何者かにはなれない。
どんな場所にも行ける。だが、留まりたいと思える場所には辿りつけない。
無限に広がる世界も、無数の選択肢も、彼にとっては大差ない。どこへ赴こうと、誰の体を乗っ取ろうと、満たされはしないのだから。
忌まわしい能力を使うだけの一本道。永劫の闇に閉ざされているそれは、牢獄に等しかった。
主と出会い、囚われたのではない。
逆だ。
自分でも肯定できなかった能力を認められたことで、心を縛る鎖が断ち切られ、解放された。
諦念と虚無感から成り立つ檻が砕かれたのだ。
「あの方と出会い、創生されたのかもしれん」
「キミが?」
「世界が」
目に映るものを一変させた、あまりに大きな存在を一言で表現するならば、『世界』になるだろう。
身に熱をもたらす太陽。進むべき道を照らす光。魂を安らげる闇。体を支える大地。心に溜まった澱を吹き飛ばす風。それらを包括する全てだと。
彼の中で世界は一度滅び、作り直されたようなものだ。
記憶を辿る彼は、邂逅を思い起こしたあとも追憶を続ける。
生まれ落ちてから初めて、嫌悪感を抱かず能力を使った時の光景が浮かび上がる。
人の形を成した暗黒が、青白い衣を纏った人物に近づく。
両目を閉ざした青年は、彫像のように、立ったまま身動き一つしない。
影と青年を見守るのは、後者によく似た姿の男だ。ほぼ同じ容貌でありながら印象が大きく異なるのは、角の有無や衣装だけでなく、苛烈な眼光を湛えているからだろう。
男が観察する前で、黒い手がそろそろと、静止した体に伸ばされる。敬虔な信徒が神聖な神殿に足を踏み入れるかのような、畏れすら感じさせる所作だった。
音もなく、闇が体に浸透した。
白と黒が絡み、混じり合い、融けてゆく。
夢のように幻想的で、悪夢のようにおぞましい光景は、やがて終わりを迎えた。
最強の器を得た影は、慣れないかのように右手を持ち上げ、軽く壁に向ける。
轟音が響き、静謐な空気が破られた。
壁に大穴を開けた影は、しまったと言いたげな顔をして、恐る恐る主の様子を窺う。
「素晴らしいな。ミストよ」
大魔王は、機嫌を害してはいない。それどころか、封印を施す表情は満足げだ。外見が老いるまでしばらくかかるが、中身はすでに弱体化しているという事実を感じさせないほどに。
「守り抜いて見せます。あなた様のお力で」
決意のにじむ宣言に、大魔王は冷静に答える。
「お前のものだ。……そのように振る舞え。最強の戦士として」
「しかし、この体は――」
ミストは言い淀んだ。
信頼されて預けられた力を我が物顔で振るいたくはない。誰の物かという自覚を失った瞬間に、かつて浴びせられた侮蔑に相応しい存在に堕ちてしまうだろう。
頷ききれない部下に、大魔王は薄く笑う。
「余の言葉に従えぬか?」
「ッ! そんな、滅相もないっ……!」
慌てて否定したミストに、大魔王は鷹揚に言葉を紡ぐ。
「忘れはしまい。己の役目を」
「ええ、それは勿論」
彼の役目。それは、任された肉体を管理し、いざという時はその力を活用し、主を守ること。
「己の力ではないと主張すれば正体に勘付く輩も現れよう。余の体を預かりながら大したものではないように振る舞うのは……謙虚ではなく傲慢と知れ」
天地魔界において最強という誇りを、部下に穢されてはたまらない。
秘密を守るため、そして自負を保つために、相応の態度を取ってもらわねばならない。
「は……はっ!」
己こそが最強だという顔をしなければならない――そう自分に言い聞かせる部下に、大魔王は命令を下した。
「今後は必要が無ければ沈黙してもらう」
「は――」
答えかけたミストはばつが悪そうに口をつぐんだ。
慣れるまで時間がかかりそうだな、と呟く主の前で、ミストは口元に手を当ててこくりと頷く。
「お前は余の影となるのだ。よいな?」
大魔王の真の姿を覆い隠し、守る者。影のように常に傍に控え、共に在る者に。
ミストは無言でひざまずいた。目に歓喜の光を浮かべながら。
地位も、名誉も、最初から不要。
戦闘に手ごたえを感じずともかまわない。もはや戦うたびに虚しさを抱くことはないのだから。
さらなる制限が課されようと、理不尽な命令が与えられようと、喜んで実行するだろう。
偉大なる主の言葉に従おうと決めたのだ。
彼にとって新たな世界が創られた時から。
「いずれ新たな世界が創造されるだろう」
かつては彼の目に映る世界が変わっただけだった。
今度の変革は世界全体に及ぶ。地上も魔界も巻き込み、全てを塗り替えるだろう。
友人の言葉に、キルバーンは祝杯を上げる仕草をした。
「かつてキミに訪れた、記念すべき日に」
「いずれ顕現する、偉大なる祝祭に」
返答は、祝福するような声音だった。