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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

クウガ感想 8

クウガ感想 8



EPISODE47 決意

冒頭からショッキングな映像が流れます。
ダグバの明るい微笑と変身した姿、燃え盛る炎、傷ついたアマダム、焼かれる人々。
不鮮明な映像がかえって凄惨さを想像させます。
戦いの様子をまともに流さなかったのは
・想像を促すため
・日曜の朝流せる内容ではないため
などの理由が考えられます。
主人公が早々と惨敗を喫して目の前で人々が生きながら焼かれていく光景を流すのはまずい。
映像が流れる間、五代の呻きとダグバの楽しそうな笑い声が響いてきます。この笑い声が印象的。爽やかボイスとやってることの差が激しい。
そうか、これがギャップ燃えか。自然発火的な意味で。

ダグバの無邪気さは遊びに興じる児童そのもの。
壮大な野望や目的があるわけではなく、憎悪や怨恨に囚われているわけでもなく、楽しいから、やりたいからやっている。ゲーム感覚で。
「どうしたの? もっと強くなって、もっと僕を笑顔にしてよ」
人々の笑顔を守るために戦ってきた五代に対し、この言葉は残酷だ。
相手の信条を皮肉る言葉をぶつけて侮辱・挑発しようというのではなく、思ったことをそのまま言っているだけ。
まったく歯が立たず人々の笑顔を守れなかった五代の心を抉る。

一つ気になったのは一条さんの安否についてです。
一条さんがあれほどの強敵を五代一人に任せるとは考えにくい。バベルの時のように援護したと思うのですが、どうやって生き延びたのでしょう?
一条さんが駆けつける前にやられたのかな。
彼の呼びかけが遠い所からにじむように聞こえてきます。
倒れた状態、もしくは眠っている時の言葉なのか。
「一条さん。俺……なります」
五代の出した答えはシンプルでした。
言葉を省略することによって重みを増す。
この台詞はどのような状況、表情で出てきたか気になります。
自分の意思で心臓を止めてまで手に入れようとし、椿や桜子さんの苦悩と決意の果てに得た力でも敵わず、完膚なきまでに打ち負かされた。
できればなってほしくないと思いますが、このままでは絶対に敵わない。

ポレポレで奈々の読んでいる新聞の見出しから、被害者は三万人を越えたことがわかります。
自衛隊など軍隊は動かないのかと思いましたが、許可を出す出さないで揉めそうですね。
仮に出動させたとしても、相手の行動は読めず、動きも早い。瞬間移動みたいなことまでやっていますし。
それに、ダグバだと切り抜けてしまいそうです。とにかく倒せる気がしない底知れなさがあります。
四号は死亡したのではないかと囁かれ、絶望が漂っている。
延々と被害者の名前を読み上げるテレビを見つめ、拳を握りしめる五代。
神崎先生に対し笑みを見せたものの、いつもの笑みとは雰囲気が違う。
黒の金の四号がひどくやられたと聞いて心配する恩師に、最高に強くなる方法を考えたから大丈夫だと宣言する。
「これ以上強くならなくていいやって感じ」と言っていた五代が「最高に強くなる」と言うのも不条理だ。
第零号を倒したら冒険に出る。今度はいつ会えるかわからないから言いに来た。
そんなこと言わないでほしい。二度と会えないみたいじゃないですか。
二千番目の技を知る神崎先生は五代の赴く先も知っていて、その上で笑う。五代の笑顔を見たら笑うことしかできない。

バルバからクウガを殺さないのか訊かれたダグバは楽しげに答える。
「殺して楽しいくらいに強くなったらね。そしたら、あの時のお返しをしてやるんだ」
これは古代のクウガのことでしょうか?
恨み骨髄に徹すというわけではなく、自分を封印して楽しい遊びの邪魔をしたことにプンプンしているだけに見える。負の感情は見られず、それが逆に怖ろしい。
悪意はなく、純粋に楽しんでいるから。

今度は五代は榎田さんに会いに行く。
さゆる君と上手くいってると聞いて安心したようです。
強化型神経断裂弾を作った榎田さんは疲れをにじませる。
ずっと前から強い武器を作り続けてきたが、必ずそれよりも強い敵が出てきて、またそれを殺すために新しい武器を作る。
五代も同じ心境なのでしょうが、励ましてみせます。
「大丈夫! もうじき零号いなくなりますから。そしたら今度作るのは、さゆる君と思う存分ホットケーキですよ。ね?」
この状況で榎田さんの心を軽くする彼に何と言えばいいのか。
彼の心も押し潰されそうなほど苦しいだろうに。

椿に会いに行くと、「俺は山より海が好きだ」「(お前と)行くなら、冬でも泳げる海にしてくれ」と言い出す。
何とも言えない顔で見つめ合った後、二人は笑い出す。
いつもの空気が戻って来たようで少し和みました。冗談という流れになりましが、本音が含まれていた気がします。
「お前のその体に関しては、俺が世界でただ一人の、かかりつけの医者だぞ」
「はい。ほんっとに感謝してます」
というやりとりが特に。
明るいけれど空気が重く、椿の調子が少し変わる。
「まあ、俺はいいさ。あいつがな。……不器用なんだよ、あいつ」
誰のことかすぐにわかる。彼らの友情も熱い。
アマダムは完全には修復されておらず、変身はできるが弱点になる。
「この一年、奴らに殺された人の遺体を数え切れないぐらい見た。夢や希望や可能性に満ちていたその人たちの命が、もう戻らないと思うと……どうしようもなく腹が立った。だから――」
五代まで死ぬのは見たくないということか?
「大丈夫です。椿さん、本当に色々ありがとうございました」
頭を下げる彼に言葉が出なくなった様子の椿。これじゃ何にも言えないよ……。

移動の最中にもダグバの残した爪痕が彼の心を苛む。
いよいよ次話、大事な人達に別れを告げた後、ダグバとの戦いへ。

EPISODE48 空我

「空我」と書いてクウガ。
漢字二字の法則が最大限に発揮された回だと思います。

おやっさんや奈々と穏やかな一時を過ごす五代。
これから他の人のところも回ってそのまま冒険に行くという彼を心配し、奈々は食ってかかる。
「何でこんな時に行くんですか!」
「ホントにごめんね。でも俺、クウガだから」
飛び出すように出ていったのは、これ以上いると決心が鈍ってしまうためかも知れない。
「今度こそ零号を倒す」と最後に五代が告げたことでようやくおやっさんと奈々は四号の正体に気づいたらしい。
五代が去った後、どんな会話が交わされたのか知りたかった。

アジトに乗り込んだ一条さんとバルバが再び相まみえる。
銃を突きつけ、発見した文書を手に持ちながら問い詰める。
究極の闇の目的は何か。書かれていることと関係があるのか。
険しい表情の一条さんと違い、バルバはどこまでも落ち着いている。
「リントも、我々と等しくなる」
「お前達と我々は違う! お前達のような存在がいなければ――!」
「だがお前は、リントを狩るための、リントの戦士のはずだ」
バルバが幾度も一条さんと対峙し、命を奪わなかった理由が何となくわかる。
それでも一条さん達とグロンギを一緒にするなと言いたい。
答えろと一条さんが詰め寄るが、バルバに突き飛ばされる。
建物から出た相手を追い、降りしきる雨の中を走り、彼女を撃つ。
背後から二発。振り返ったところに残りの弾丸を撃ち尽くす。
相手が人間の女性の姿であっても躊躇わず撃った彼は、非情と思えるほどに覚悟を決めている。
口から血を流しながらバルバは微笑み、何事かを言い残して海へ落ちる。
彼女の退場の仕方は余韻があって好きです。
ダグバと同じく、底を見せることなく舞台から去ったキャラクターでした。
彼女は最後に、
「気に入った。お前とはまた会いたいものだ」
と告げたらしいです。
人間の行く末を見届ける観察者にも、怪人を死の遊戯に向かわせる残酷な審判にも見える、不思議なキャラクターでした。

五代はみのりのもとを訪れ、園児達と語り合う。
「この雨だって絶対止むよ。そしたら青空になる。今だってこの雨を降らせている雲の向こうには、どこまでも青空が広がってるんだ」
今回のサブタイトルや最終話の彼の向かった先、エンディング曲の歌詞を合わせて考えると味が出てきます。
彼は「青空」になって皆を笑顔にしようとしたのか。

最後に五代は桜子さんのもとへ向かう。
バイクの音を聞きつけてたまらずに飛び出した桜子さんですが、五代の前に立った時には笑顔を見せます。相手を苦しませないように、いろいろなものを呑みこんで。五代と同じですね。
かつて身を案じて戦うことに反対した彼女ですが、悩みながらも答えを出し、五代を支えてきた。
凄まじき戦士になることも、ダグバを倒した後冒険に行くことも察していた。
五代の親友であり、理解者だと感じさせます。
聖なる泉を涸らさないよう、太陽を闇に葬らないよう伝えていく桜子さんと、大人しく頷く五代。本当はもっと言いたいことがあったのでしょうが、ゆっくり別れを告げる時間もない。
「行ってらっしゃい!」
「行ってきます」
「頑張ってね!」
「頑張る。じゃあね!」
そして五代は去ってしまった。
桜子さんは雨に濡れるのもかまわず、追いつけるはずはないのに走る。とうとう笑顔を崩し、後姿を見送る彼女が切ない。
彼の前で笑顔を保っていた心意気が胸に刺さる。
ポツリと呟いた、五代には聞こえていない台詞で桜子さんのヒロインぶりが爆発しました。
「窓の鍵……開けとくから」
今まで男前な面の目立っていた彼女にグッときました。
こらえてこらえて最後の最後で本音を漏らすとは……やられた。
本編でただいまという言葉を聞くことはなかったのが残念です。

長野の松本市に到着した五代は周囲の惨状に息を呑む。
ダグバに焼かれ、命ある者はいなくなっていた。
「あそこで待ってるよ。思い出の、あの場所でね」
そう告げたダグバは姿を消す。
ダグバが始まりの場所で戦おうと言い出すのは意外でした。せっかくの、最高の獲物なんだから、最高のシチュエーションで狩りたいのだろうか。
合流した一条さんも惨状に動揺しますが、五代に呼びかけて、二人で九郎ヶ岳へ。
一条さんがトライチェイサーに乗っているのが因果を感じさせる。
中途半端はしないという五代の覚悟を知り、戦うことを認め、「五代雄介、俺についてこい」と告げてマシンを渡した時のことが思い出されます。

変身する前に五代は重要なことを伝える。
「ベルトの傷、やっぱまだ治ってませんでした。だから……狙う時はここをお願いします」
自分の腹部を軽く叩き、もしもの時は殺してくれと頼む。
一条さんならばできてしまう。中途半端はしない、が信条ですから。
悲しい信頼を見せないでくれ。
EPISODE5の「何かあったら私が射殺します」という台詞を思い出しました。
一条さんならば絶対に止める。そして、ここまで深い絆を築いた相手の命を奪った事実や罪の意識を背負って生きていくでしょう。
腹部を撃たれ命を落とすことになっても、人間の姿に戻ったら五代は微笑んで死んでいくんだろうな……。
一条さんの心の重荷を減らすため。そして、究極の闇をもたらさずに済んだことに安心して。
ここで一条さんの名台詞が。
「こんな寄り道はさせたくなかった」
常に明るい笑みを浮かべていた青年が笑顔を削り、暴力による解決を嫌っていた男が憎しみに燃えながら一方的に敵を攻撃してズタズタにした姿などを見れば、こう言いたくもなるだろう。
今までも、これからも、戦わせたくなかったと思うのだろうな。
「君には、冒険だけしていてほしかった」
五代が最後まで敵を殴る感触に慣れることがなかったのと同じく、一条さんも五代が戦う状況に慣れることはなかった。
それどころか、五代が戦えば戦うほど、強くなればなるほど、責任を感じたんじゃないかと思います。
自分がベルトを渡したことできっかけを与え、「中途半端に関わるな」と告げたせいでかえって戦う決意を固めさせたようなものですから。
五代が強くなり、体が変わっていく様も近くで見続けてきた。

五代が関わる事を認めてからは、彼に戦ってほしくないという気持ちを一条さんはギリギリまで出さなかった。
理由を改めて考えてみました。
・グロンギに対抗するには五代は欠かせない存在
これが最大の理由でしょう。彼がいなければ被害は膨れ上がる。警察だけで解決できるならばそうしたかっただろうが、五代が必要だった。
・言っても止められないとわかっている
自分と似ていると実感していますから、いたずらに不安を煽るより一刻も早く事件を解決すべきだと判断したのでしょう。巻き込んでしまった自分こそ頑張るべきと考えてひたすら突っ走ってきたのではないでしょうか。
→つまり、五代に決意させた以上、止めるのではなく少しでも力になることが己の務めだと考えた
替われるものならば替わりたかったでしょうが、できなかった。
・五代に余計な気を遣わせまいとした
途中で言われても五代は心配させないように明るく振舞うだけでしょうから、身を案じるに留めていた。

最初は五代のことを警察官として見ていましたが、次第に一人の人間として人となりに惹かれていったように思えます。
特に「冒険だけしていてほしかった」というのは、民間人だからではなく五代の夢を知ったからこそ出た言葉だと思います。
「本来守るべき対象に戦わせているのだから力を尽くす」から「五代の力になりたい」という決意へ。
「民間人を巻き込んでしまった」から「暴力を嫌う青年を引きずり込み、苦しませた」という悔いへ。
どちらの想いもあるにせよ、後者の割合が大きくなっていったと思います。
最後の最後まできて、二人きりになってようやく本音を漏らしたと思うと……不器用だ。
多くの人々を救うために五代を犠牲にしてしまったと感じているかもしれない。
一条さんの性格を考えると、自分が身を捧げるのは当然の義務だと割り切っているでしょうが、五代は元々ただの冒険家ですから。
「ここまで君を付き合わせてしまって……」
悔いや申し訳なさをにじませる一条さんに対し、五代の答えは――
「ありがとうございました」
笑顔とともに言われ、予想外の台詞に驚く一条さん。
「俺、良かったと思ってます。だって、一条さんと会えたから」
「五代……」
普段飄々としていて多くの相手と良好な関係を築ける五代には、広く浅く付き合うイメージがありました。
だからこそ、一条さんが特別な存在だと感じさせる台詞に心を打たれました。
激闘を重ねて何度も死にかけて、自分で心臓を止めてまで力を手に入れて、今まさに自分の存在を捨てる覚悟で戦おうとしている状況で、もしかすると自分の命を絶つかもしれない相手に送るのが、「感謝」。
心の底からそう思っていると確信できる。
戦いが辛く悲しかったのは紛れもない事実ですが、多くの人々、特に一条さんと出会えたことに深く感謝しているのも確かなのでしょう。
こんなことを言われては、何も言えなくなってしまう……。
一条さんはかえって辛そうな表情をしています。五代と出会えてよかったと思っていても、素直に表現できないだろうな。
もしクウガになったのが五代でなかったら。
五代と一条さんが出会っていなければ。
おそらくダグバと戦うことすらできなかった。
ふと一条さんがアマダムに選ばれなかった理由を考えてみました。
心清く体健やかな戦士であるのはどちらも同じ。最後まで戦い抜く意志の強さもある。
しかし、五代が春の穏やかな日差しとすると、一条さんは目を焼く鮮烈な光というイメージの違いがあります。
バルバへの攻撃など、思想が五代より戦いや敵を倒す行為に近いところにある。これは一条さんが冷酷なわけではなく、刑事としての意識が高いため。
また、優しくないなどということは決してないが、五代でないと黒い眼になってしまった可能性が高い。
最大の理由として、「五代にとっての一条さん」のような相棒がいないまま戦いぬくのは厳しい。
責任感の強さや己への厳しさゆえに凄まじき戦士になってしまいそうです。
やはり優しさを持ち続けた五代でなければダグバは倒せない。
拳を振るう感触に慣れなかった彼だからこそ、心を失わず、最強の力を使って戦えたというのは残酷です。心を保ったままだとその分苦しむことになるのですから。

最後のサムズアップに一条さんも応える。
「じゃあ……見ててください。俺の、変身」
二話と対応する台詞。
覚悟を決めてからの最初の変身と、最後の変身がここでつながった。
燃え盛る炎の中で力強く言い放たれたものと、白い雪の中で静かに告げたもの。
そのどちらも重いです。
最初の台詞は中途半端に関わるなと言われ、少女の涙で戦いを決意した。
最後は巻き込んでしまったと悔やむ相手に感謝してから告げる。
対比が効いている。

頷いた一条さんの前で五代は凄まじき戦士へと変貌する。
アルティメットが格好良すぎる。究極の名に相応しい風格があります。
一話だけの登場がもったいないとも、限られているからこそいっそう格好よく見えるとも思う。
作中では発火能力と殴り合いが主でしたが、調べてみると怖ろしい性能が備わっていました。
単純なスペックの高さに加え、各フォームの武器を使用可能。しかも、各フォームの性能を遥かに上回る。
各部にある棘は伸縮自在で攻撃とともに伸び、高い封印エネルギーを放出して敵を切断。同じ能力を持つダグバ相手には効かなかったものの、超自然発火能力は周囲の物質の原子・分子を操ることで物質をプラズマ化し標的を体内から発火させるようです。こんな凶悪な技を特別な手順や集中を必要とするわけでもなく普通に使える。
他にも能力が設定されていたらしいです。
五代が究極の闇になったら一条さんが止めるはずですが、どうすれば……。王道な展開ならば五代が一瞬自我を取り戻し体を押さえこんだ隙にベルトを破壊するのが一番可能性が高そうです。

ここから先の戦いは一条さんでも踏み込めない。
わずかに一条さんを振り返るも、何も言わないまま走り出すクウガ。
この間が絶妙。
雪の中待ち受けるダグバはクウガの姿を見、嬉しそうに微笑む。
「なれたんだね。究極の力を、持つ者に」
彼の姿が王者を思わせる荘厳なものへ変わる。
ダグバもまた格好いい。
クウガと対になる存在だと感じさせます。
人間体も変身した姿も白と黒で対極。
壊す者と守る者。
自分の笑顔のために他者を傷つける男と、他者の笑顔のために自分が傷つくことも厭わない男。
ダグバが浮かべる笑みはいかにも残忍・冷酷な微笑ではなく、温かく優しい。
残酷さにおいて純粋と言える存在で、五代も純粋な部分がありますから、似通っていたのではないかと思います。
「笑顔」がポイントとなるのはまさに五代と同じ。
ダグバと凄まじき戦士の関係について考えると、なったかもしれないもう一人の雄介の姿と思えてくる。

ゆっくりと歩み寄り、手をかざすと互いの体が燃え上がる。
普通ならば文字通り「必殺」技になる超自然発火能力も、同じ力を持つ者が相手では決定打にはならない。
他の技や武器を使用してもおそらく結果は同じでしょう。
だとすれば、決着をつける方法は一つしかない。
駆けより、殴りつける。
両者とも血を流しながら殴り合う。
腹部の石を壊され呻き声を漏らすダグバだが戦いをやめない。クウガの石も壊され、五代は苦痛の声を上げる。
変身が解けて人間の姿になっても、拳も顔も服も地面も血に染めてひたすら殴り合う。
ダグバは笑いながら。五代は泣きながら。
最強の力を持っている時に余裕のある悪役は大勢いる。しかし、力の源を攻撃され命を落とすほどの傷を負い、最強の力を失ってもなお笑える悪役はそういない。
眩しい笑顔、満ち足りた気持ちで絶命したと確信できるラスボスも簡単には浮かばない。
彼にとっては自分の命が失われることよりクウガと力をぶつけ合うことの方が遥かに重要で、最高に楽しい時間だった。
皮肉なことに、皆を笑顔にするため戦ってきた五代は最後に最大の敵をも笑顔にさせた。

どんなに辛くても皆を励ます表情を崩さなかった五代が、涙をこぼし顔をゆがめながら殴り続ける。
「怪人をクウガの形態で攻撃する」のではなく、「人間の姿をした若者を生身の拳で殴り殺す」のはいっそう辛いだろう。
涙と血でぐしゃぐしゃになっている顔が悲しい。
おそらく、戦っている間、仮面の下では、泣いていた。最初からではなかったにしても、途中から顔をゆがめて涙を流していた。
仮面ライダークウガの「仮面」の意味がここにきて明かされた。
戦いの後に笑っていたのも、皆の笑顔を守ることができたという安堵にくわえ、安心させるためという目的があったのでしょう。人間の姿に戻っても笑顔という仮面をかぶっていたと言えるかもしれません。
痛みや苦しみ、悲しみを仮面に隠し、人々を守るために戦う者。
人はそれを仮面ライダーと呼ぶのかもしれない。
一条さんは五代の痛みや仮面の下の表情まで知っていたんだろうな。

「愛憎」の時もそうですが、ヒーローの振るう力や拳は正義の一言で済ませられるのか、と思いました。
『ダイの大冒険』終盤で、大魔王バーンを圧倒的な力でぶちのめす際に涙を流したダイを連想しました。
優しさや絆の力では解決できず、相手の主張を肯定する形でしか止められない。
皆の未来を守るという立派な理由……それこそ正義と呼べるもので戦っているにも関わらず、本人は辛そうだった。
「これが正義の力だ!」で片づけられるならば五代もダイも涙を流しながら攻撃することはなかったと思います。
力についての考えがバランスがとれているため、ダイも五代も私にとっては大変好ましい主人公です。

最後は二人とも倒れ、倒れ伏す五代の姿を見た一条さんが絶叫する。
一条さんとの会話も、ダグバとの戦いも、本当に短い時間なのに強烈に印象に残る話でした。

EPISODE49 雄介

とうとう最終話。サブタイトルがシンプル。
一人の人間の名前を使ったのは、全てが終わって彼がクウガから戻ることができたことを表しているのでしょうか。
三ヶ月後から始まります。
未確認――特にクウガの写真を食い入るように見つめる一条さん。
事件が解決しても晴れやかな表情とは言いがたい。
警察の面々も、見始めると終わらない、つい見てしまうと語る。
「もし五代さんじゃない人が四号だったらどうなってたのかな」
五代でなければ最後まで戦えなかったという言葉には同意しますが、「いつも笑顔で頑張れる五代さん」「最後の最後まで」には引っかかりました。
最後の戦いで仮面の下の涙を見せたんですが、彼らは知らないんですね。
彼らを責めるべきではなく、そう思わせ安心させた五代の頑張りを称賛すべきなのでしょう。
「何でだよって言うくらいいい奴だったもんな」
ここで松倉本部長からのお言葉が。
五代ほどの男はそういないが君達も本当によく頑張ってくれた、それは誇りにしていいと語る。
その通りです!
クウガだけでなく、クウガを支えた人々の献身があって乗り越えることができたんですよ。

一条さんは榎田さんに挨拶する。
さゆる君の蹴ったサッカーボールを胸で受け、軽く蹴り返す。
サッカーも上手いのか?
榎田さんいわく、ホットケーキを焼いたりして明日はディズニーランドに行くとのこと。決戦前の五代との会話が活かされています。
普通の時の五代と一条さんの顔を見てみたかったと語る彼女に、心から同意しました。
事件が終わってから関係を絶たないでほしい。これからは関わらないとか考えずに。

一条さんは椿のもとを訪れる。
凄まじき戦士になった五代の体はさらに変わっているはず。それでも皆の笑顔のために戦った。
「未確認達が自分たちの笑顔のためだけにあんなことをしたおかげで、あいつは自分の笑顔を削らなきゃいけなくなった」
五代が冒険に出かけたのも、笑顔を失った自分の姿を見せたくなかったからでしょう。自分の苦しみや悲しみを見せれば周囲の人々は心を痛め、笑顔をなくしてしまうから。
それでも救いがないわけじゃない。
椿は蝶野からの手紙を出して見せる。
ナイフも入っていた。他人のことなんてどうでもいいと思っていた頃の自分との決別の証。
「確かに、他人のことなんて考えない方が楽かもしれない。だが、そんな奴らがいたから、五代はああなった」
グロンギが当てはまりますが、人間も無関係ではいられませんね。
「……なあ、五代は今笑顔でいると思うか?」
青空が好きで、見てると笑顔になれる気がしたと語る五代の最初の技は「笑顔」。
クウガ=空我という言葉に込められた意味がわかる気がします。

みのりのところでは、園児から四号がどこに行ったのか、やっぱりいい奴だったのか訊かれる。
「四号はホントはいちゃいけないって先生は思ってるの」
納得しない園児にさらに語りかける。
「四号なんかいなくてもいい世の中が一番いいと思うんだ」
勇者、英雄の活躍は胸が躍りますが、本当は彼らが戦わなくても済むような世界が一番なんですよね。
サブタイトルも「空我」から「雄介」となり、戦士が去る代わりに人間、五代雄介が戻ってきた。これからもそうでであり続けてほしい。

桜子さんのもとへ行くと、解読の結果が明かされる。
ゴウラムは、クウガが凄まじき戦士になったら悪用されないため砂になるはずだった。
だが、そうならなかった。
幻影で見た凄まじき戦士は黒眼だったが、五代がなったのは赤い眼の戦士だった。
憎しみでしかなれないはずの凄まじき戦士に優しさを持ったままなれたのは、伝説を塗り替えたという証。
ここでOPの歌詞とつながるのか。
「今度は私たちが頑張らなきゃ。すごく大変だけど、心の力で」
英雄一人に全部押し付けず、犠牲にさせず、各々が頑張るという姿勢が好ましい。
これまでも一条さんや桜子さん、榎田さんに椿とクウガ一人に任せきりにしなかった。今後もそうやっていくのでしょう。
「五代君、絶対笑顔を取り戻して帰ってきますよね」
「五代は信じていますからね。世界中の皆の笑顔を」

一条さんが締めたところでようやく五代の姿がはっきりと映されます。
遠い外国の地の砂浜でぼんやりしているとケンカしかけている子供達を発見し、ジャグリングで彼らを笑顔にして自分も笑ってみせる。
ただ、初期のようにひたすら明るい笑顔ではなくどこか曇っています。
皆が五代について語る場面では、一歩間違えればひたすら主人公を肯定し持ち上げるうすら寒さが漂うところでした。
そういったものを感じさせないのは、背負う物の重さ、手にした力やそれを振るった代償、守るために自身の存在を捨てる覚悟などが描かれてきたからでしょうね。
特に最終決戦が大きい。
力で相手をねじ伏せるのは間違っていると信じる主人公も、結局は力でしか相手を止めることはできなかった。
自分の唱えてきた信念を自らの手で叩き潰す現実に泣いていた。
どれほど周囲から認められ褒められても、自分の価値観を自分で否定することになったのだから、肯定や称賛が過剰とは感じないのかもしれない。
『ダイの大冒険』でもそう思いました。

最初の予定では五代は死ぬ結末だったと聞いたことがあります。
皆を守るためとはいえ、暴力を振るい命を奪った罰を受けるべきだという理由で。
彼がいる場所の青空の綺麗さもあり、この世にはいないように思えてきます。
さすがに救いがなさすぎるので生存エンドになったようですが。

五代のその後が気になります。
人間と同じ速度で年をとるという保証すらない。
古代のクウガは封印の礎となり、現代まで生き続けてきたのですから。
グロンギを封印するのではなく倒したならば、アマダムが判断して普通に年をとっていくといいなあ。
身体の特異性を考えると、笑顔を失っていなかったとしても、五代はいったん仲間の前から去ったかもしれません。
最後の未確認生命体として危険視され、また未確認が現れた時のためにも警察等から監視される可能性がある。一条さんの性格を考えると己の立場が危うくなっても反対し、どうしようもなければせめて自分が監視役を引き受けようとするでしょう。どれほど自身の心を裏切っても。
マスコミは四号の正体を探ろうとするでしょうし、もし普通の人間だったと知られたら厄介なことになる。
「今明かされる四号の真実!」や「四号の素顔に迫る!」といった見出しが乱舞するかもしれない。
五代本人は上手く切り抜けるとしても桜子さんやみのり達が心配です。押しかけられて質問責めにされたら大変だ。
五代に何か落ち度、過去の傷などがあればそれを大きく取り上げて批判し、特に欠点らしい欠点のない青年だとわかると過剰に英雄視した内容になりかねない。兵器扱いしたり散々バッシングしたことはなかったかのように掌を返して。
民間人に戦わせるなんて非道だと合同捜査本部の面々が嫌というほど噛みしめてきたことをほじくり返したり、一条さんの行動を責めたりしかねない。無責任な声だろうと一条さんは聞き流せそうになく、真正面から受け止めて辛い思いをしそうです。
四号も未確認の一員だからと憎む人や、もっと早く来てほしかった、何で助けてくれなかったんだと訴える人もいそうだ。
……やっぱりほとぼりが冷めるまでは海外で冒険していた方がいいな。
彼の掴んだ平穏が、守った人々の手によって脅かされるのはやりきれない。
そう考えると一条さんの表情も「笑顔を失った五代」に対してだけではなく、「無事でないことをにおわせて追及の手を伸ばさせないようにする」と解釈できるかもしれない。

それでも後味がいいのは、終わり方がよかったからです。
グロンギの脅威という試練に打ち勝っただけでなく、人間がグロンギに近づいているという繰り返し提示された可能性=敵の提示した問いに、そうならないよう皆で頑張るという答えを出している。
問題点をスルーして前向きな締めくくり方ではありません。
・古代のクウガとグロンギの戦い
・「愛憎」ラスト後の五代と一条さん
・「空我」から「雄介」までの五代と一条さん
・五代雄介の帰還、仲間との再会
などなど色々見たかったエピソードはありますが、きちんとまとまっていました。
一番見たいのは最後です。
五代が笑顔を取り戻して一条さんも心から笑えるのだと思います。
子供達の喧嘩を止め、彼らに笑顔を取り戻させて彼自身も笑えたので、「大丈夫!」だと信じたい。
最初は固い表情だった一条さんが次第に笑うようになり、最終話でも辛そうとはいえ笑みを浮かべることができたので。
主人公が消えたままで、守ったものを目にすることも出来ないなんて納得しきれない。
彼が守り抜いた笑顔を、今度は皆からわけてもらう番ではないでしょうか。

完成度が高く、非常に面白かったです。
見てよかったと心から思える作品でした。
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