シャングリラ×ぼくとしSS『蝙蝠の舞』
※『強制救済ゲームシャングリラ』の小森と『僕らの都市伝説』の田畑が登場。
「だからこれは地毛で、染めたわけじゃ――」
人生で何度口にしたか覚えていない台詞を、田畑克明はうんざりしながら吐き出そうとした。
中学生である彼を囲んでいるのはガラの悪い高校生だ。ある者は髪を染め、ある者は派手な服をだらしない着方で見せびらかし、ある者は煙草を手にしている。
彼らは田畑の言葉を遮り下品な笑い声を上げた。
「なわけねェだろ!」
「いきがんなよ、チューガクセーが」
中学生をわざとらしく強調する喋り方に田畑は舌打ちを堪えた。
地毛の茶髪のせいで不良とみなされ、教師に注意されたことや他校の生徒に絡まれたことが何度もある。
そのたびに弁舌や逃走で切り抜けてきたが、今回は難しい。
相手は多数――六名だ。数人が田畑の左右に回り、逃げ道を塞いでいる。
誰かの助けを期待しようにも、彼らは人気のない細い道に田畑を引っ張り込んだ。邪魔が入りづらい状況を作ってから嘲笑を浴びせている。
助けを求めるか。逃げるか。
田畑の脳内で二択が点滅するが、どちらも実行できそうにない。
行動に移ろうとしても妨害されるだろう。
(くそ……)
田畑は手足が重くなる感覚に襲われていた。汗で濡れたシャツが肌にはりつき、鬱陶しい。
塾に行く途中だが、間に合いそうにない。
学校の無遅刻無欠席の記録も途絶えるかもしれない。
どうすればいいか考えても答えが出ない。下手に抵抗しても逆上を招くだけだが、無抵抗でいても軽傷で済む保証はない。
田畑が唇を噛みしめた時、のんびりとした声が場の緊迫した空気を砕いた。
「おーい、何してんだ」
殺気立った視線が一斉に田畑の後ろに向けられる。
田畑も首をひねって後方を窺った。
黒い髪を逆立てている男が一同を眺めている。不良達と同じく高校生のようだ。切れ長の目に恐怖や動揺はない。
「ケンカしたことなさそうな中坊一人を囲んでフクロにするってか? ダセーからやめとけよ」
田畑は思わず息を呑んだ。視界に捉えていなくても、不良達が色めき立つのが感じ取れる。
無謀な行動を諫めるべきだが声が出ない。
止めに入ったと思しき男は世間話のような口調で燃料を注いでいく。
「暇なら荷物のプチプチ潰しとかいいと思うぜ。ストレス解消になるし、怪我しなくて済む」
彼は散歩するように無造作に足を動かし、田畑と不良達の間に割って入った。肩越しに手をひらひらと振って田畑を追い払おうとする。
「俺がこいつらと話し合うから。とっとと行けよ」
「舐めてんのかテメエ!」
いきり立つ連中を前にしても彼は動じず、もう一度促した。
「ほら、行けって」
気負いのない声に押されるように田畑の体が動いた。
踵を返して走り出した瞬間、田畑の視界の端に殴りかかられている男の姿が映った。
路地から出た田畑は耳を塞ぎたくなった。背後から鈍い音が聞こえたのは気のせいではないかもしれない。自然と足が止まり、四肢から力が抜けていく。
人は意外とあっけなく死ぬ。
それを彼は知っている。
もし、止めに入った男が命を落としたら。
自分を助けるために殺されるとしたら。
田畑の視線が地面に落ちる。震える指が拳を形作る。
――俺は悪くない。
そう言い聞かせるのだろうか。
妹が死んだ時のように。
「つっ……!」
歩き出そうとした田畑の足がもつれ、体が揺れた。頼りない足取りを立て直すこともできず、壁に肩がぶつかる。
心がずしんと重くなる。足も地面に張り付いたようで、自由に動けない。
田畑は荒い呼吸を繰り返した。
たいしたことではないと言い聞かせても、心の奥に押し込められたものはふとした拍子に這い出してくる。
お前に責任があるのではないか、他にできたことがあるのではないかと問いかけてくる。
助けに入った男が悲惨な結末を迎えれば、そんな声がもう一つ増えるかもしれない。
(冗談じゃない)
恐ろしい仮定を振り払い、田畑は顔を上げた。意を決して振り返る。
心のおもりを増やさないために、できることがあるはずだ。
田畑は注意を払いながら路地を覗き込んだ。
速やかに警察を呼ぶために正確な情報を得ようとしたのだ。
「え……?」
田畑の目が大きく見開かれた。
彼の予想を裏切る光景が展開されていた。
助けに入った男は、日常の一場面のような表情で敵の攻撃をいなしている。
左右から幾つもの拳が飛来するが、彼はひらりひらりと身を躱す。
反撃に鋭く腕を振ると、相手はあっけなく崩れ落ちた。顎を掠めただけにしか見えない一撃が敵の意識を刈り取った。
男の足は地面に触れているのに、重さを感じさせない。敵と敵の間を縫うように身を運び、ある時は片方に近づき、ある時は離れ、どちらにも属さずどちらも倒す。
宙で踊っているように。
『話し合い』を開始してからさほど時間が経たないうちに集団は全員地を這った。
田畑が何も言えずにいると、男が気づいて声をかけてきた。
「まだいたのか。怪我してねえか?」
それはこっちの台詞だと言いたくなるのを堪えて田畑は首を横に振った。
目の前の人物を観察するが、傷を負っているようには見えない。
「大丈夫です。……あなたの方は」
「俺も何ともない。お互い怪我しなくてよかったな」
田畑は胸を撫で下ろしてスマートフォンをしまった。
切り抜けたならばわざわざ警察を呼ぶ気はない。これから塾に行かねばならず、目の前の人物も警察沙汰にすることは望んでいないようだ。
精神の糸が切れそうになった田畑の耳に、低い声が飛び込んだ。
「小森。心配したぞ」
声の方を向くと、茶色い髪をした体格のいい若者が立っている。助けに入った男の知り合いらしい。
身長が190cm近くある男は気だるげな表情をしている。威圧されたわけではないが、田畑は反射的に身をこわばらせた。
小森と呼ばれた男は心外だと言いたげに肩をすくめる。
「何言ってんだよ、吾牛。あの程度の連中にどうにかなるほど弱かねーよ」
「バカ。俺が心配したのは相手の方だ」
新たに現れた男――吾牛の冷めた返答に、小森は一瞬視線を泳がせてから答える。
「……俺は善良な少年を痛めつけようとした連中を止めただけだぜ」
「はっ、よく言う」
吾牛は呆れたように笑った。笑みが零れると厳つい印象が和らいだため、田畑は密かに息を吐き出した。
友人の反応が不服だったのか、小森は控えめに抗議する。
「殴りかかられたから反撃したまでだ。やり過ぎない程度にな」
「先に向こうに手を出させたのは今蛇の助言か?」
「まーな。あの部屋にぶち込まれる可能性は下げてえし」
「それには同感だ」
田畑には理解できないやり取りを繰り広げた後、吾牛は自分が来た方向を親指で指して告げた。
「行くぞ。八木が待ってる」
「おう」
短く答えて歩いていこうとする小森に、田畑は頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「んあ? ……どういたしまして」
瞬きをした後、頬をかいて小森は笑った。