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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

解放

強制救済ゲーム シャングリラSS『解放』
※END2で小森以外全滅した原因が今蛇の暴走だったら


 異臭が立ち込めていた。
 発生源は少し前まで人間だったもの。まともな形を留めていない『それ』は、その場にいる者達の視覚や嗅覚を責め苛み、吐き気を催させる。
 人が爆発するという予想だにしない展開に皆凍りついていた。
「嘘、だろ?」
「う……わあああ!」
 誰が発したかも分からない言葉につられるように悲鳴が上がった。ようやく彼らの脳が現実を受け入れ始めたのだ。
 一目で不良と分かる格好をしている彼らは全員高校生だ。人の形を留めていない死体を直視して平気でいられるはずもない。
 ある者は後ずさり、ある者は掌で口元を押さえて吐き気を堪える。彼の手には黄金に輝く金属がはめられている。
 全員の両手にある装置は指を通す形状になっており、ナックルダスターに似ている。
 現在部屋にいるのは小森孔司、八木山兎、猿飛三狼、猫俣狐宇介、豚田虎男、今蛇犬丸の六名。
 ほんのわずか前には猪熊吾牛という男もいた。
 彼は死亡した。この上なく無惨な形で。
 彼が屍と化した理由は、体内の薬が爆発したためだ。
 この場に集められた者達は罪を犯し、命懸けのゲームを強いられている。
 死が迫る『仏』を『救世主』が救うことで、脱出が近づくようになっている。
 猪熊吾牛が死を与えられた理由はルールに違反したためだ。『仏』自身が『仏』を救うスイッチを押したらどうなるか試した結果、処刑された。

 各々が感情に染まった声を上げる中、小さな呟きが今蛇犬丸――ヘビの口から零れた。
「なんで」
 普段閉じているも同然の細い眼は大きく見開かれている。声に負けず指も震えている。
「なんで」
 また、口から掠れた声が漏れる。食いしばった歯の隙間から押し出されるような声だった。
「なんで」
 拳が握られる。血管が浮き出るほど強く、強く。
「吾牛さんが」
 ヘビの人生を大きく変えた存在が。
 死んだ。
 あっけなく。虚しく。惨たらしく。
 己の生に意味を感じられないまま。
「そんなの……認められるかぁ!」
 こみ上げる衝動が絶叫となってヘビの口から放たれる。喉が裂けるような叫びも、彼の感情を鎮めるには到底足りない。
「ふざけんなああッ!」
 憤怒の声に呼応してシャッターの閉じるような音がした。何かが切り裂かれる音も。
「あぐぅあ、あああ……っ!」
 ヘビの手から鮮血が迸り、苦痛の呻きが絞り出される。彼の手にはめられている機械が作動し、暴言を吐いたペナルティを与えたのだ。
 この場所では暴言や暴力が禁じられている。破れば罰として指を切り落とされてしまう。

「ヘビ!」
 狂乱するヘビに金髪の男――豚田虎男が駆け寄り、宥めようとした。彼はヘビと同じ高校に通っており、西高のトラとヘビの名で不良達から恐れられている。
 肩を掴み軽く揺さぶろうとするトラの面を、ヘビの眼が射抜いた。
 大声で叫んでも、激烈な痛みを浴びせられても、ヘビの衝動はおさまらない。
 感情のうねりが声とは別の形を取って爆発した。
「落ち着――ぐがっ!」
 鈍い音と呻き声が響いた。顔をゆがめたトラの鼻と口から血が滴り落ち、床に赤い模様をつけた。
 ヘビの拳がトラの顔面に直撃したのだ。
 喧嘩慣れしているトラの反応が遅れたのは、ヘビが多くの時間を一緒に過ごしてきた仲間だからだ。性格を理解しているはずの相手の行動を読めなかった。
 理性の箍が外れたヘビの危険さはトラも知っている。
 だが、トラが目撃したのは敵にぶつけるケースばかりだった。己に牙を剥く可能性は考えていなかった。
 命懸けの助け合いを強制される異常な状況下でも落ち着いていたヘビならば、賢く立ち回ることができる。
 一時的に激情に呑まれても冷静さを取り戻すだろう。激痛という罰を与えられれば、嫌でも頭は冷えるに違いない。カッとなって暴言が飛び出したようだが、暴力を振るう愚は犯さないはず。
 そう、思っていた。
「ヘ……ヘビ……!」
 トラの声は揺れている。喧嘩になると獣のように暴れ回る男が瞳に怯えをにじませている。
 彼の予想は外れた。
 ヘビの暴走は止まらない。
 暴力行為に対するペナルティは重いが、即座に命を奪うわけではない。己の身を顧みない人間にとっては大した抑止力にならない。
 『救世主』以外がスイッチを押すなどのルール違反でもない限り、主催者は処刑しない。観察対象が暴走して潰し合いが始まったとしても、実験の一環として見守るだけだ。

 骨の砕ける音がした。
 シャッターの閉まる音がする。
 重いものが床に叩きつけられる音。
 シャッターの閉まる音。
 音がするたび赤い染みが増えていく。
「はっ……はぁっ……」
 ヘビは荒い呼吸とともに別の獲物に狙いを定める。相手は顔を引きつらせながら何か喚いているが、彼の耳には届かない。
 ヘビの視界は赤く染まっている。
 あまりにも強烈な感情に心が塗り潰され、世界が歪んで見えるのだろう。
 あるいは、彼の手も体も血に塗れているためかもしれない。べっとりとした感触のそれが、自分のものか他人のものか定かではない。
 今の彼にとってそんなことはどうでもよかった。重要なのは、血に飢えた獣のごとき衝動を発散することだけだ。
 何が犠牲になるかなど、意識の外にあった。
 親友が酷い目に遭わされた時、我を忘れて関係ない者達の車を叩き壊した。
 今回、壊す対象が人になっただけだ。
 目に映るモノ全てに、激情の牙を突き立てる――それだけが今の彼の望みだった。
 ヘビの血走った眼が小森を通り過ぎて別の人間に向く。
 ヘビにとって木偶のように突っ立っている男はどうでもよかった。手を下すまでもないと判断したのだ。
 小森はもう壊れかけている。彼はヘビの凶行が目に映っていないかのように表情を変えず、身動き一つしない。

 いつの間にかヘビの頬に冷たいものが触れていた。傾いた視界には、動かない何かが複数映っている。
 ヘビはようやく自分がうつぶせに倒れていることに気づいた。ひんやりとした床の感触が気持ちよく、名残惜しさを噛み締めながら起き上がろうとして、やめる。
 動く者はいなくなっていた。
 小森は生きているが、虚ろな目をして立っている様は人形にしか見えない。
 全てが終わったと判断したヘビは目を閉じた。
 猪熊吾牛の死に、暴走するほど衝撃を受けた理由。
 恩人が目の前で凄惨な死を遂げた悲嘆や憤怒、絶望が大きかったのは言うまでもない。
「はぁ……」
 それだけではないことを、ヘビは知っている。
 鉄の味に加えて苦い感覚が口内に広がっていく。
 我を忘れたのは、己の姿を突きつけられたからだ。認めたくない事実を吾牛の死が浮き彫りにした。
 吾牛の死の直接の原因は体内の薬と、それを仕込んだゲームの主催者だが、何もかも彼らのせいにする気は起きなかった。
 『救世主』になった者が救っていれば済む話だったのだ。『仏』自身がスイッチを押したらどうなるか吾牛が試す必要も無く、彼が処刑される事態も起こらなかった。
 会議の中で『救世主』に立候補したのは小森だ。できると宣言しておきながら土壇場で怖気づき、スイッチを押せなかった。
 ならば責められるべきは小森一人か。
 そうではないことを、ヘビは知っている。
 小森が吾牛の『救世主』をやり遂げる可能性が低いことは分かりきっていた。
 小森は吾牛と心を通わせたとはいえ、強い絆を結ぶには時間が絶望的に不足している。足りない時間を補う機会――劇的な出来事も訪れなかった。
 ただでさえ己の手を犠牲にするという高いハードルがある。そのうえ小森は、親友の八木を助けるために自身の手を焼いたばかりだ。
 彼にもう一度同じ痛みを味わえと要求するのは酷だろう。実行できなかった小森を責める資格がある者はそういない。
 ヘビの中に小森への怨嗟は確かにあるが、それ以上に矛先を向けるべき人間がいる。
「僕の、せいだ」
 自分がやると言えばよかった。
 ヘビがそうしなかったのは怖かったからだ。自分ではできるかどうか分からないと尻込みし、誰かがやってくれるならばと人任せにして、大切なものを喪った。

「何も……変わっちゃいない」
 苦々しげに吐き出された声は地を這うようだった。
 ヘビは、自分自身が嫌いだった。
 心も体も弱く、不良達から毎日のように殴られ、蹴られ、金を奪われる。
 そんな自分を嫌い、誰かに嫉妬し、己の醜さを嫌悪してますます他者を妬む。自らの尾を喰らう蛇のように、嫌悪と嫉妬の円環に囚われていた。
 不毛なループから抜け出そうとしても、虐げられて下を向いている状況で容易に変われるものではない。
 ある日、ヘビが不良達にリンチされていた時に助けに入ったのが吾牛だ。
 彼がくれた言葉によってヘビは前を向いて歩き出すことができた。
 強くなりたいという願いを胸に抱いて。吾牛のように、まだ弱い者を守れるような男になると誓って。
 それから彼は腕っぷしを磨き、西高のヘビと呼ばれるまでに名を上げ、不良達からも恐れられるようになった。
(……なのに)
 強くなったと思っていた。
 変わることができたと信じていた。
 だが、吾牛の死によって暴かれた。
 喧嘩の腕は上がっても、心の弱さは克服できていなかったということが。
 体が強くなっても嫉妬の炎は心に燃えていた。きっかけがあれば燃え上がり、まとわりついてきた。
 ある時は蛇のように自尊心に巻き付いてきつく締め上げる。ある時は犬のように自信を乱暴に食い荒らし、ズタズタにする。
 その苦しみに精神が揺さぶられ、限界を超えた時に彼は暴れた。
 それでも衝動が消えることはなく、今回最悪の形で爆発した。
 かつて暴力に苦しめられた男は、縋るかのように――許しを乞うかのように暴力を振るった。変わりたいと願った理由を置き去りにして。

 ヘビの視界が暗くなり、体が重くなる。あるはずのものがなくなった両手は灼熱の感覚に包まれていたが、それすら遠くなっていく。
 彼が全ての力を出し尽くしても、生き残るには足りなかった。
 己の死を悟った彼は頬を床につけたまま、ただ一人の生存者となる小森の方に視線を向ける。
 小森の唇は先ほどからずっと同じ動きを繰り返している。
 俺の、せいで。
 声にならない叫びを理解し、わずかにヘビの唇が綻んだ。
 ヘビは何も言わなかったが、彼の内心を形にするならば「僕も同じ気持ちですよ」になるかもしれない。
 小森に劣らず、ヘビも自分の弱さが招いた事態だと痛感していた。
 両者が同じ想いを抱いていても、もたらすものは正反対だ。

 自責の念は小森を戒める。お前のせいだと責め続け、心を捕らえて一生離さない。
 自責の念はヘビを解放する。お前は弱いままだと思い知らせて、変わりたいという望みを打ち砕く。

 ヘビは切れ切れに呟いた。
「これで、やっと――」
 己を呪縛する嫉妬の蛇がいなくなる。
 救いのない局面で、男の口元は微かにゆがんでいた。
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