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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

Blue Garnet

強制救済ゲーム シャングリラSS『Blue Garnet』
※吾牛の誕生日の話。


 十一月十一日の午後にその叫びは響いた。
「吾牛!」
 名前を呼ばれたのは茶髪の高校生だ。たくましい長身や鋭い目つきから威圧感が漂っている。髪もセットしているものの、薄緑の学生服は着崩さずにいる。
 猪熊吾牛は驚きとともに振り向いた。
 そこには、とあるゲームで出会った者達がいた。
 髪を逆立てているのは小森孔司。彼の隣にいる、人のよさそうな男は八木山兎だ。目が細く、ほとんど閉じているように見える今蛇犬丸や、丸い眼鏡と鉢巻を身に着けている猿飛三狼もいる。
「……どうした?」
 彼らは命懸けの助け合いを強いられ、試練を乗り越えて生還した。
 実験から解放された後、吾牛が小森達と会うのは初めてではない。己の名が呼ばれるのもようやく慣れてきた。
 だが、今日の小森の声はかなり大きい。何かを言おうとして言い出せずにいるような、落ち着きのない態度も彼らしくない。
 心当たりがない吾牛は軽く眉間にしわを寄せて説明を待つ。
 その間、原因を探るべく最近の出来事を振り返ることにした。
 小森から放課後に軽く遊ぶつもりだと連絡され、指定された日時を受け入れた。これは珍しくない。
 密かに心を弾ませながら待っていた。これもいつも通りだ。
 何度も小森達と遊びに行ったり食事したりしたが、喜びは色褪せることない。これからも飽きることなく思い出を積み重ねていくだろう。
 やはり小森の様子がおかしい理由が分からない。
 訝しげに見つめる吾牛に、小森から薄い青の紙袋が差し出された。
「その……誕生日おめでとう」
「おめでとうございます。吾牛さん」
 ぶっきらぼうな小森の言葉に今蛇が続く。
 十一月十一日は、吾牛の誕生日だった。

 反射的に紙袋を受け取った吾牛の口から出てきたのは、感謝の言葉ではなかった。
「あ……え?」
 吐き出されたのはそれだけだ。
 予想外の反応に小森はポカンと口を開けた。今蛇も戸惑っている。
 彼らが想定していたのは歓喜の表情だ。素直に見せるか、隠そうとしてぶっきらぼうになるかの違いはあれど、喜んでくれると思っていた。
 小森達の想像に反し、吾牛は呆けた表情をしている。いきなり刃物で刺されたような、現実を飲み込めない顔だ。
 吾牛は手元に視線を落とす。抱えている袋が危険物であるかのように、食い入るように見つめている。
 八木が念のため「それ、プレゼント……」と補足したが、吾牛は無言のままだ。
 スイッチを切られたように動かなくなった吾牛を、三狼が肘で軽くこづいた。
「おいボケっとすんな。誕生日、今日で合ってるよな?」
「あ、ああ」
 吾牛がやっと絞り出した言葉はそれだけだった。眼差しはまだ虚ろだ。
 声にも力が欠けており、夢か現実か確信が持てない、寝起きのような声音だ。
「日にち間違えたかと焦ったぞ」
「紛らわしいなァ、おい」
「体調が悪いのかと心配しましたよ」
 胸を撫で下ろした小森達を眺め、吾牛は苦笑しながら答えた。
「仕方ねーだろ。最後に誕生日祝ってもらったのいつだったか、覚えてねェんだからよ」
 当たり前のように告げられた台詞に小森達は黙った。彼らの反応に構わず、吾牛は腕の中の包みを眺めて頬を緩めている。
 普段見せない種類の笑みに今蛇も小森も口元を綻ばせた。
「喜んでもらえてよかったです」
「色々考えたかいがあったな」
 悪戯が成功した子供のような表情に、吾牛の記憶が触発された。小森や今蛇とは単純な連絡だけでなくとりとめのない雑談を交わすこともあった。
「しばらく前にアンタが星座占いがどうとか言ったのって、誕生日を聞き出すためか?」
「ええ」
 悪びれずに答えた今蛇に吾牛は呆れた視線を向けた。
「普通に訊けばよかっただろ」
 直接質問されても祝われることは予想できず、当日になっても思い出さなかっただろう。
 吾牛にとって誕生日とはただの数字。生年月日の欄を埋める情報にすぎないのだから。
 吾牛の顔が微かにゆがむ。
 幼い頃、クラスメートが誕生日について話すたびに心に泥が溜まっていった。
 小学校の教室で、自分の家庭との温度差を嫌でも思い知らされた。
『おれケーキのイチゴは先にくう派!』
『プレゼントかってもらったんだ~』
『ハンバーグおいしかったぁ! 毎日がたんじょうびにならないかなぁ』
 吾牛にとってはおとぎ話に等しい、別の世界の出来事だ。
 家で暴言や暴力が浴びせられたわけではない。
 その代わり、愛されていると実感する出来事も無かった。
『……何でだよ』
 現実味のない言葉の数々に心をかき乱されるたびに、吾牛の口からは小さな呟きが漏れた。続きは心の中にしまいこんで、その場にいない両親を暗い目つきで見つめる。
(愛さないなら、何で生んだんだ?)
 その質問を両親にぶつけることはしなかった。
 問いかけて、残酷な答えを突きつけられたら。
 現状を変えるために行動して、さらなる絶望に突き落とされてしまったら。
 そんな目に遭うくらいならば何もしない方がマシだと諦めていた。
「……い。おい、吾牛?」
 過去に飛んでいた意識を小森の声が引きずり戻した。
 吾牛の目の前で三狼が大きな掌を上下に動かしてみせる。
「目ェ開けたまま寝てんじゃね?」
「吾牛さん、大丈夫ですか?」
 仲間達が異なる台詞と表情で吾牛を見つめている。
 彼は普通に答えようと口を開きかけて思いとどまった。
 言うべき台詞をまだ告げていない。胸の内をあまさず表現したかったが、長い言葉を紡ぐのは難しい。見えない塊が喉からせり上がってくるようだ。
「……ありがとな」
 必死に声の震えを抑えて礼を述べる。今まで味わったことがない感情とともに。


 それからどこへ行き何をしたか、記憶が途切れている。
 帰宅する段階になってようやく周囲の景色がはっきりと見えてきた。
 腕の中の重みが、今日の出来事が現実だったと告げている。
 吾牛は包みを抱える腕に慎重に力を込めた。
 気を引き締めるよう己に言い聞かせて道路を踏みしめても、脚はふわふわとした感触を伝えてくる。どうにも思考がまとまらない。
 そのためだろう。己への害意に気づけなかったのは。
 突然吾牛の腕に痛みが走り、紙袋が弾き飛ばされた。
「ぐっ!」
 吾牛は痛みに呻きながらも紙袋を掴もうとしたが、自分のものではない手が捕えてしまった。
 素早く身を翻し、追撃を躱す。
 攻撃が来た方向を確認した彼の目に映ったのは、軽薄な笑みを浮かべている不良達だ。火のついた煙草を手にしている。
 以前叩きのめした連中だということは薄っすらと覚えているが、どこの学校の者かは思い出せない。思い出す気も無い。
 男達はにやにや笑いながら挑発的な台詞を口にするが、彼らの言葉は吾牛の心の表面を滑り落ち、内側には届かない。
 彼らは吾牛に気づき、お礼参りをすることにした。何食わぬ顔で近づき、すれ違いざまに肘のあたりを下から上に殴り、荷物を弾き飛ばしたらしい。
 吾牛にとってはどうでもよかった。
 彼らが自分に攻撃を仕掛け、友人からの贈り物を奪った。
 必要な情報はそれだけだ。
 不良達はようやく獲物の反応が鈍い理由に思い至った。紙袋への食い入るような視線を見れば、答えは明らかだ。
「そんなに大事かよ、これが」
 プレゼントを持っている男は、嘲笑とともに煙草を紙袋に押し付けようとした。
 咄嗟に吾牛の手が動いた。
 じゅっ、と音がした。
 男達が目を見開き、息を呑む。
 吾牛は紙袋と煙草の間に己の手を割り込ませたのだ。
 煙草を押し付けられた箇所が色を変えるが、悲鳴も、悪態さえも吾牛の口からは漏れなかった。
 面倒だ。
「こいつ……!」
 相手が怯んだ隙に吾牛は指を折り曲げ、煙草を掴んで投げ捨てる。すぐさま腕を動かし、包みをもぎ取った。
 手が塞がり無防備になった彼へと拳が飛んでくる。
 吾牛は、避けなかった。
 身を守るのも、受ける苦痛を予測するのも、労力がもったいない。
 ガツンという鈍い音が響く。
 頬に拳がめり込むが、彼の体は揺らがない。
 敵の手を払いのけようともせず、無言で睨みつける。
 睨まれた男は後ずさり、別の人間が距離を詰めた。
「野郎ォ!」
 ローキックが放たれるのを目にした吾牛はあえて前に出た。
 素早く踏み込み、自ら当たりに行く。
 脚に衝撃が走ったが、痛みは深刻ではない。直撃のタイミングをずらすことで速度と威力を殺したのだ。
 そのまま己の足を大きく横に動かし、足払いをかける。無様に転んだ相手に目もくれず、残っている相手を見据える。
 動きの正確さに反比例するかのように吾牛の心は荒れていた。
 プレゼントを贈った小森達の顔がちらつき、頭を煮えたぎらせる。内部で真っ赤な炎が暴れている。
(……駄目だ!)
 頭を冷やすのも、小森達の顔だ。
 心の奥で青い炎が燃えている。静かに輝くそれは、怒りに身を任せようとする吾牛を押し留めてくれる。
 いつもの彼ならば、喧嘩を売られても適度に買って終わるはずだった。不良であることをやめていない以上、相手が襲ってくるならばやり過ぎない程度に反撃するだけだ。
 今日は違う。
 本格的に攻撃すれば歯止めが利かなくなるという予感があった。
 吾牛は歯を食いしばり、凶暴な衝動を抑え込もうとする。腕に抱えたプレゼントが、彼の正気を支えている。
 闇雲に暴れるわけにはいかない。衝動に身をゆだねた結果どうなったか、己に言い聞かせる。
 以前彼は何もしなかった。諦めに浸り、思考を停止させ、少しずつ悪化していく状況に流されるだけだった。
 積もり積もった鬱憤が爆発し、両親に大怪我を負わせて、命がけの実験に参加させられた。
 考えることも行動することも面倒だからと避け続けた挙句、最悪の結末を迎えるところだったのだ。
「失せろ」
 吾牛は怒りを堪えながら不良達を睥睨する。
 彼の思考に自分が負うであろう傷は含まれていない。それより優先して考えるべきことがある。
 大切な存在とのつながりを断ち切られぬように。

 身体を張った警告が功を奏し、大喧嘩には発展しなかった。
 プレゼントを抱え鬼気迫る形相ですごむ吾牛に集団は気圧され、その間に吾牛は去った。
 自宅へと向かう彼の足取りは重かった。
 過剰な攻撃は控えたとはいえ、何もなかったと誤魔化すことはできない。普通の喧嘩ならばたいしたことではないように振舞うことができただろうが、今回はそんな気力も湧かなかった。
 家のドアを開け、自分の部屋まで行く力もなく玄関に座り込む。靴を脱ごうとして止めた中途半端な格好で。
 ひどく疲れた。
 殴られた頬と煙草を防いだ掌が熱を帯びている。
 舞い上がった気持ちは地面に叩きつけられてしまった。
 両親はまだ仕事から帰っていない。
 家の中の静かな空気には慣れているはずなのに、全身を押し潰してくるようだ。
 帰りを待つ間、不安が募る。
 吾牛はかつて父と母に暴力を振るった。二人は病院に送られ、吾牛は完全に親子の縁が切れることを覚悟した。
 信じられないことに、彼らは吾牛を許した。頭を撫でる手と肩に乗せられた手の温かさを、彼は覚えている。
 酷い目に遭わせた息子を受け入れた以上、両親が自分を愛していないというのは思い込みだったと知った。
 だが、全てのわだかまりが解消されたわけではない。長年悩んできた問題を綺麗に忘れて、いきなり距離を詰められるわけがない。
 やはり愛されていないのではないかという恐れは心につきまとっている。
「……はあ……」
 口から深々と溜息が漏れた。
 裁きを待つ心地でいる吾牛の前で、ドアが開いた。
 手から白い箱を提げている母親が目を丸くした。
 我が子の腫れた頬と、大事そうに抱えている包みに交互に視線を移している。
 吾牛は息を吸い、吐き出した。説明をしなければならない。
「その、誕生日ってことで、友達にもらった。取られそうになったから、追い返して……」
 吾牛は目を逸らしたままぽつりぽつりと語る。言葉を重ねるほど自信がなくなり、俯いた。何も言わない母親が恐ろしい。
「ごめん」
 迷惑をかけた。
 そう続けようとした吾牛を優しい感触が包む。
 母親が身をかがめて抱きしめたと理解するまでに、わずかに間があった。
「大怪我しなくてよかった」
「あ……」
 吾牛の顔がゆがんだ。
「お誕生日おめでとう。ケーキ、買ってきたの」
 そっと身を離した母親が箱を持ち上げる様を、吾牛はまともに見られなかった。
 視界がゆがむ。目頭が熱い。
 双眸から零れた涙が、包みに落ちて色を変えた。
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