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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

二人の世界

ノクターンSS『二人の世界』



 シルフィールは小さく息を吐いた。
 さほど大きくはない屋敷が広く感じられる。
 幾年もの時間が経ったはずなのに、馴染めない。
 どれほど時を経ても、主のいない屋敷に慣れることはできそうになかった。
 物憂げに見えるのは、精神の問題だけではない。
 最期の刻が近づいている。
 魔力が尽きかけていることを見て取ったルナは、何かを言いたそうにしていた。シルフィールが生き延びることを選べば、喜んで協力する。屋敷から出て多くの人々と関わることを望めば応援し、快く力を貸すつもりだ。
 ルナは、言いたいはずの言葉を呑み込んだ。シルフィールの心は絶対に変わることは無いと知っている。強く訴えたところで困らせるだけだ。
 以前新たな主となることを提案したリスティルも、改めて口にすることは無かった。残された時間の中で少しでも負担を軽減できるよう、書物を持って来たり、ルナと同じく話題の種を提供したりした。
「ありがとうございます。私などのために、ここまでしていただいて」
 屋敷に戻った時と同じ言葉を、この場にはいない相手に告げる。
 二人の気遣いに感謝しながらも、一人で過ごすと決めた。

 力の入らない手足を動かし、今まで通り屋敷の中を掃除する。日頃から行っているためたいして汚れてはいないが、細心の注意を払い、丁寧に行った。
 物品の位置など主がいた状態と変わっていないこと、過ぎ去った日々と同様に整理整頓がなされていることを確認し、納得したように頷く。
 主がいつ帰ってきてもいいように。
 そんな日は永遠に来ないと知っていながら、確認は怠らない。
 点検を終えて、屋敷の外に出る動きも緩慢だった。
 森を見つめようとしたが、めまいがして段に座り込んでしまった。
 白銀の髪が揺れ、金色の瞳が焦点を失う。
 視界がぼやけ、目に入るのは緑だけ。
 視界を埋める一色に、彼女は微笑みかけた。
 主の眼と同じ色に。
 混沌の魔導師は、邪眼の扱いに長けていた。
 心を支配し、魂を奪う魔眼。精神を呪縛し、瞬時に死に至らしめることすら可能な、恐ろしい眼。
 見つめるだけで碧の両眼に吸い込まれるような感覚は、まるで邪眼を使われたかのようだった。
 己に行使することはないと知っていても、そんな考えが浮かぶほどに魅入られた。
「……いいえ」
 否定するように、小さく笑いながら首を横に振る。
 あの目が邪眼だとは思えない。
 彼の目に浮かぶ光は、眼前に広がる景色と同じように暖かな色をしていたのだから。
 彼女の心は常に、彼という世界に在った。縛り付けられたのではなく、自らの意思で留まり、生きてきた。
 景色を眺める彼女の表情は、穏やかだった。視線の先に主がいるかのように。
 この場所で生まれ、育てられた。消えるのもこの場所以外考えられない。
 主と過ごし、全てを与えられた。
 ここが彼女の世界だった。
「どうか……」
 小さな呟きが漏れる。
 わずかに残った力すら失われる中で、願うことは変わらない。
「どうか、マスターが――」
 仮に主が生きていたとしても、希望を見出す可能性はゼロに等しい。
 それがわかっていても、どれほど小さな可能性だろうと、願わずにはいられない。
 可能ならば傍で支えたかったが、それが不可能ならば、主だけでも未来へと歩んでほしかった。
 意識が完全に消える瞬間まで、彼女は祈りを捧げていた。

 金色の髪の旅人が足を止めた。
 草原を貫くように道が伸びるだけで、辺りには何もない。
 気を留めるようなものも無いが、彼は蒼穹の彼方に目を向け、しばらくの間立っていた。
 風の音を聞いているかのように。
 やがて彼は歩みを再開した。
 どれほど歩いたかわからなくなった頃、廃墟を発見したため、中に入る。
 ここならば、誰の邪魔も入らない。
(長かった)
 世界中の遺跡を回り、罠や守護者を突破し、古文書や魔導書をかき集めた。情報の断片をつなぎ合わせて、空白は自分で埋めてゆく。
 幾度も繰り返した末に、とうとう完成させた。
 悪魔を生み出した帝国と、対抗すべく魔剣を鍛えた共和国。両国の知識や遺産を結集すれば望むものに手が届くと信じ、探し続けてきた。
 二つの国は遥か昔に滅び、役立つような資料はほとんど残っていない。それにも関わらず研究を進められたのは、決意の深さの証明に他ならない。
 床に魔法陣を描く動作に迷いは無い。
 指を鳴らして魔力の込められた道具を虚空から取り出し、配置する。
 後は発動させるだけという段階になって、ようやく彼の面に晴れやかな笑みが浮かんだ。
 これで、終わる。
 そう呟いて、何の躊躇いもなく作動させる。
 淡く緑に輝く光が彼の身を包み、風と化して辺りを巡る。
 全身の細胞が引きちぎられ砕かれるような痛みに襲われるが、表情は揺るがない。彼女のいない世界で生き続けることを思えば、楽に耐えられる。
 やがて光が収束し、弾けた。

 どれほど時間が経過したのかわからない。
 虚ろな声が、誰もいなくなったはずの空間に響く。
「……何故」
 彼は、生きていた。
 大幅に衰弱しているが、意識はあった。
「私は、何故」
 倒れていた身をのろのろと起こす。確かめるように掌を見つめたが、今までと同じ形をしている。
 震える指を曲げるだけで激痛が走るが、たいした問題ではなかった。
「何故――死ねると思ったのか」
 声にも、笑みにも、自嘲めいた色が宿っている。
 完璧に組み立てたはずの理論でも、理想に到達できないのは経験済みだ。
 どれほど知識を蓄えようと、魔術を磨こうと、生き死にばかりは自由にならない。彼女を蘇らせようとする過程で、散々思い知らされた。
 決して忘れたわけではない。
 薄々気づいていながら実行に移し、失敗した。分かりきっていた結果を突きつけられただけだ。
「はは。かなり期待したのですが、ね」
 笑う声に力はこもっていない。身を揺らしながら立ち上がる動作も鈍い。頼りない足取りで重い体を動かし、倒れるように廃墟から出て周囲を見回す。
 温かな光に照らされ、色鮮やかなはずの世界。
 壊そうとして果たせなかった世界。
 見ていると、苦しくなるばかりだ。
「この世界を滅ぼす方が……よほど容易い」
『誰よりも、この世界を愛しているのに』
 世界を滅ぼそうとしている時に言われ、妄言と一蹴した。その計画が潰えた今も、答えは変わらないはずだった。
 数十年前と同じように否定しようとして、言葉が消える。
 この世界に何の希望も抱いていなければ、とうに作り直したはずだった。
 だが、この世に希望を見出していると言うには、あまりに疲労が濃く、息苦しい。
 混沌としている心が、ひどく重い。
 完全に感情が死んでいないのが厄介だった。
 何も感じなくなれば苦痛も無いだろうが、いまだに消えぬ感情がのしかかっている。
 思考も、鈍っている気はするが、完全に止まってはくれない。
 辛さを招くばかりでも、考えるのをやめることはできないのだ。
 取り戻せぬ日々も鮮明に、彷徨い続ける未来も克明に、脳裏に映してしまう。忘れることも許されず、この先永遠に満たされることはないと告げている。
 感情や思考が消えることは無く、癒えぬ渇きを味わい続けるとわかっているからこそ、命を絶とうとした。それも叶わず、無力な人間のように身を震わせることしかできない。
 この世界を作り変えることができないならば、自分が変わるしかない。それができなければ、自分という世界を叩き壊すしかない。
 それすら不可能で、永遠に生き続けねばならないのならば――。
 体から力が抜け、地に両膝をつく。首を垂れた姿勢は、祈りを捧げているかのよう。強く拳を握る様は、鉄格子を掴む囚人のようだった。
 彼の前には、世界がどこまでも広がっていた。
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