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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

救いの手

ノクターンSS『救いの手』



 日も暮れようとしている刻限、宿の入り口近くで驚いた声が上がった。
 声の主は茶色の髪の娘で、その隣に立つ黒衣の美丈夫も、珍しく驚愕の色を双眸に浮かべている。
 彼らの前にいるのは、金髪で眼鏡をかけた青年だ。整った顔立ちだが、何の変哲もない旅人だ。
 傍からは、何故そこまでと思われそうな反応だった。思わぬところで再会を果たしたのだとしても、驚きようが大げさだ。
 二人に対し、眼鏡の若者に動揺は見られない。緑の両眼は喜びを湛えて光っている。
「久しぶりですね、レヴィエル。ルナさん」
 両腕を広げ、歓迎を示す。何事もなかったかのような姿こそが、二人にとっては異常だった。
「カオス……!」
「カオスさん、生きて――」
 レヴィエルは険しい視線で名を呼び、再会を喜ぼうとしたルナの声が消える。
 命を絶とうとした彼が、生きてここにいる。
 死を選ぼうとした彼にとって、祝福はかえって辛いかもしれない。
 彼女の危惧を吹き飛ばすかのように、彼は微笑んだ。
「お元気そうで何よりです。会えて嬉しいですよ」
 当たり障りのない言葉だが、誤魔化しで言っているわけではない。そう感じたルナは、素直に受け取った。
 ひとまず各々部屋を借り、荷物を置いてから再び顔を合わせて、落ち着いて話せる状況を作る。
「今まで、何のために……?」
 カオスの格好を見れば、長い間旅を続けてきたのだと見当がついた。
「探し物があって。どれほど時間がかかっても必ず見つけるつもりで、旅をしていました」
 前向きな返答に、ルナは憂慮と歓喜がない交ぜになった表情を浮かべる。
 どんなものであれ、カオスがそう表現するならば、辿りつくのは不可能に近いだろう。仮に到達できるとしても、気の遠くなるような時間がかかるはずだ。
 その間ずっと心が休まることはないのかと思うと、痛ましい。
 だが、虚しい望みでも、それに向かって歩み続ける意思があることは喜びたかった。
 もしかすると、道中で少しずつ傷も癒えて、楽しみを見出せるようになるかもしれない。
「見つかりますよ。カオスさんなら、きっと」
 ルナは拳を作り、宣言した。
 少しでも力づけることができればと思っての発言だが、無責任な気休めに聞こえるかもしれない。言った後でルナは慌てたが、カオスは気分を害した様子は無い。
「そうですね」
 感謝のにじむ声にルナは安堵し、胸を撫で下ろす。
「私のことよりも。貴方達の話を聞かせてくれませんか?」
 他人のことを知りたがるのは、世界に関心を抱いている証だ。
 ルナはますます表情を緩め、意気込んで語り始めた。
 レヴィエルが迎えに来るまでの三十年間。
 彼と旅立った後の軌跡を。
 もっぱら口を動かすのはルナで、レヴィエルは捕捉が必要な時に口を開く程度だ。その眼差しは鋭く、旧友との再会を喜んでいるようには見えなかった。

 一通り話し終える頃には、窓の外はすっかり暗く、静かになっていた。満月が夜空に浮かび、存在を主張している。
 ルナの顔にはそろそろ休む時間だと書いてある。夜の住人になったはずだが、楽しもうという様子は見られない。
 吸血鬼になった後も夜更かしすると母が叱ったため、その時の意識が残っているのかもしれない。
 彼女の顔色を見たカオスは休むよう促しつつ、レヴィエルを誘った。
「貴方はゆっくり休んでください。……少し話があります」
 レヴィエルは無言で従った。月夜の散歩と洒落こむには、表情は険しい。
 宿どころか町の外まで出て、森へと入っていく。深夜、人が踏み込まない場所に。
「良い夜ですね。レヴィエル」
 数歩先を歩くカオスの足取りは軽快だ。疲労が拭い去られたかのような上機嫌な声に対し、レヴィエルの声音は冷えている。
「探し続けるのか? 見つからないとわかっていても」
 厳しい問いに、弾むような声が返される。
「いえ。見つかったんですよ」
 先を歩んでいたカオスは、笑みを漂わせたまま振り向いた。
「頼みがあるんです。聞いてもらえませんか?」
 レヴィエルは返答しなかった。普段ならば、滅多に頼みごとをしない友人が何かを頼めば、とりあえず引き受けようとするはずだ。そうしないのは、内容の予想がついているためだろう。
「貴方なら。貴方なら、きっと」
「何を……言っている」
 絞り出すような苦い声も、カオスの言葉を止めることはできなかった。
「レヴィエル」
 親愛の情をこめて名を呼んだ後、ずっと抱えてきた想いを吐き出そうとする。
「私を――」
 大したことではないかのように、声は静かだった。

 笑顔のまま放たれた言葉を、レヴィエルは荒々しく否定した。
「私は誓った。カオス……お前を救うと!」
「救う?」
 不思議そうにカオスは聞き返す。
「貴方にもわかるはずです」
 彼にとって、「救う」とは何を意味するのか。
 誰から、どうやって、もたらされるものなのか。
 最も望む救済を与えられる者は、この世にいない。
 次に望む「救い」を与えられる者は限られている。
 自分の手で始末をつけようとしたが、できなかった。
 兵器として作られたため、己を攻撃することはできない。間接的な方法を選び、魔剣と契約して飛び降りても生き延びた。他のやり方も試したが、駄目だった。
 直接攻撃することができず、回りくどい方法では届かない。己に近い力を持つ者が、滅ぼすしかない。
 再会してから初めて、カオスの面に暗い色がにじむ。
「もう……疲れました。貴方も、休みたいと思ったことがあるでしょう」
 人の痛みや苦しみに敏感なルナが今回気づかず、レヴィエルだけが気づいたのも、同じ苦痛を知っているからだ。
 何千年も生きて、長い眠りから覚めて、ようやく面白いと思えるものに出会った。
 ただの退屈しのぎと言いつつかなり興味をそそられていたのだと、今ならば認められる。
 何かが変わることを期待したのだから。
 だが、その相手は到底理解できない言葉をぶつけて、一人で行ってしまった。
 結局、人間とは分かり合えない。彼らの考えに接しても、何も変わらない。代わり映えの無い世界で彷徨い続けるだけだ。
 結論付けた彼は疲労に襲われ、己を狙う刃を受け入れようとした。このまま満たされることなく放浪を続けるならば、いっそ歩みを止めてしまおうと思った。
 レヴィエルには、カオスの言う事も、感じている疲労も、理解し、共感できる。
 だが、頼みを聞く気はない。

 剣を抜こうとしないレヴィエルに、カオスは落ち着き払って提案した。
「抵抗した方がやりやすいですか? 貴方と戦うのはかなり骨が折れますが」
「ふざけるなッ!」
「冗談は言いませんよ、貴方に」
 レヴィエルは魂を凍てつかせるような眼光で睨みつける。
 性質が悪いことに、カオスは本気で言っている。
 レヴィエルの負担を軽減しようとは思っても、頼みを取り下げる気はまるでない。負担をかけたくなければ諦めるべきだとわかっていながら、譲るつもりはない。
 他人を巻き込み殺さざるを得ない状況を作ることも可能だろうが、それもしない。レヴィエルの決断を重視しているのかもしれないが、方向がずれている。あえてずらしているのだろう。相手の意思を尊重したければ、無茶な要求を引っ込めるのが一番だとわかっているのだから。
 ただの気の迷いならば、まだ気が楽だった。馬鹿なことを言うなと切り捨てて終わっただろう。
 カオスは、正常な思考、判断の下に答えを出した。
 レヴィエルの面は、苦虫を噛み潰したようだ。
 長い付き合いの友人ゆえに、性分はよく知っている。穏やかな物腰に隠れがちだが、根は頑固だということも。
 彼の使い魔も主によく似ていた。一度決めたことは覆さず、最期まで貫き通した。

「あまりに長く生きすぎた。私はもはや、亡霊だ」
 すでに死んだも同然なのだから、殺すことにはならないと訴えている。
 世界の敵となった時すら命を奪わなかった相手に手を下させるため、抵抗感を除こうとして。
「亡霊だと? ……馬鹿な」
 レヴィエルは口元をゆがめる。苦しげな声や表情を見れば、死んだも同然とは、到底思えない。
「貴様とて知らぬわけではあるまい。我らの特質を」
 悪魔は魔力の集合体だ。
 命を落としても、その自我、魔力は留まる。
 世界の魔力と干渉しあう存在であり、うねりが生じるとそれに触発されて復活するのだ。
 悪魔の頂点たる始祖ともなれば、人間に退治され命を奪われた経験はない。
 倒され死んだことが無いのだから、当然復活に関する経験もない。
 他の悪魔とも違う可能性は大いにあった。
 一般の悪魔より命を落としにくい代わりに、復活も難しいかもしれない。
 逆に特異点の発生といった要因すら無く、すぐに復活するかもしれない。
 カオスは、諸々の可能性を想定した上で言葉を重ねている。
 最強の魔神ならば完璧に滅ぼせると、希望を抱いて。
「可能性がある。それだけで十分です」
「貴様は何度、身勝手につき合わせるつもりだ」
 知らずこぼれた呟きに、カオスは冷たい視線を向ける。
 自分の言葉が相手の心に何をもたらすか知っていても、彼は退かない。
「忘れたのですか? 私が、何をしようとしたか。貴方が、何をしてきたか」
 自分の望みのために世界を滅ぼそうとした悪魔と、無数の人間の命を奪い、仲間との殺し合いを楽しんできた悪魔。
 それは変えようのない事実だ。
 勝手だと非難しても、今更だと言いたいのだろう。
 レヴィエルは瞼の裏に過去の己を描きながら、ゆっくりと首を横に振る。
「忘れてはいないさ。以前の私ならば、容易く叶えられただろうな」
 昔の彼ならば、悩むことなく引き受けた。仲間の頼みだからこそ、手は抜かずに実行したはずだ。

「今は?」
 呟くように問うたカオスだが、訊くまでもなく把握している。
「彼女ごと切り伏せるようなものだ」
「……成る程」
 カオスは困ったように小さく笑う。その返答だけで、どれほど抵抗があるか理解できる。
 彼女はこの場にいないのに、割って入って両手を広げる姿が目に浮かぶ。
 ルナを関わらせなくてよかったと、彼は改めて思った。彼女が願いを知ればどう感じるか、容易に想像がついた。
「アイツは己の身をもって、立ちはだかってでも止めるだろう。お前の使い魔の分も」
 カオスの面に動揺が走った。
 レヴィエルから消滅を告げられ、黙って瞼を閉ざす。
 シルフィールが主を替えることを拒んだ時、レヴィエル達は反対しなかった。
 彼女の意思を何よりも優先したわけではない。もし彼女が主のいない世界を嘆き、己を葬るよう要求したならば、受け入れはしなかった。
 選択を尊重したのは、カオスこそが主という信念を翻すのは、彼女にとって死と同義だからだ。彼女を「殺す」ことはしたくなかったから、無理に替えさせはしなかった。
 最期の瞬間ルナは傍にいなかったが、何を望んでいたかは察しがつく。
「お前の使い魔は――」
「わかっているんです、彼女が何を考え、望んだか」
 緑の眼の奥に感情がにじむ。呻くような声が軋んでいる。
 使い魔の性格は誰よりも知っている。
 最後に命令したが、主を替えず滅びを受け入れることは予想していた。
 彼女が何を望むかも、わからないはずがない。
 それを叶えられるならば――叶えようとする意思があれば、死のうとはしなかった。
「生前の彼女が、望むはずのことも」
 彼女が何のために戦い、命をも捧げたか、傍で見てきた。
 彼女ならばどう考え行動するかも、頭と心で答えを導き出せる。
 ならば、その答えをもとに生きるべきではないかという考えも浮かんだ。
 歩みを止める方法を求めるより、どう歩むか考えようとしたこともある。
 己の力は、愛した者が守ったものを壊されぬためにあるのだと、思おうとした。
 彼女の意思が受け継がれる様を見守るために永遠の時間があるのだと、己に言い聞かせた。
 どうしても、できなかった。
 時間が解決すると己を騙すことは不可能だった。時とともに重くなってゆく未来しか見えないのだから。
 世界にとっての異物。時の狭間に消える存在。そんな意識が付きまとい、離れない。
 前へ歩もうとしても、力は残されていない。
 心はただ休息を求めている。永遠の眠りを。

「……はは。悪魔一人殺せないとは、始祖が聞いて呆れる」
 レヴィエルに対してか、己に向けたのか、どちらともつかぬ台詞を口にしておかしそうに笑う。
 一度大きく息を吐いて顔を上げ、食い入るように見つめる。
「貴方には受け入れがたいかもしれません。それでも――」
 二人の話が噛み合うはずが無い。
 友人だからこそ、実行できない者。
 友人だからこそ期待し、頼む者。
 レヴィエルが拒絶し、立ち去ることは簡単だ。
 それでは何も解決しない。
 何もせずにこの場を去れば、彼が救うと誓った相手は苦痛を味わい続ける。
「お願いします」
 大抵の相手に丁重に接するカオスだが、決してプライドが低いわけではない。
 自分の問題ゆえに、自分一人で片づけたかったはずだ。それが果たせず、友の手を借りることを厭わしく思わないはずがない。
 その彼が、必死にさえ見える面持ちで頼んでいる。勝手さも、愚かさも、残酷さも、承知の上で。
「レヴィエル・ヴォン・ド・ラサート」
 まるで戦いを挑むかのように、カオスはレヴィエルの名を呼んだ。
「この……虚ろな世界に終止符を」
 レヴィエルの目には、真剣な表情に別の表情が重なって見えた。飛び降りる直前に浮かべていた、晴れやかな笑みが。
 あの時と同じように、伸ばした手は届かない。再びカオスは落ちていこうとしている。
 あの時と違って彼の刃は届く。今度は彼の手に押され、落ちていくことを望んでいる。
「貴方の手で。……全てを、終わらせてください」
 真っ直ぐに見つめながら吐き出されたのは、弱々しい懇願ではなく、明瞭で希望のこもった言葉。
 レヴィエルに、決断の時が迫っていた。
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