ガッシュSS『宿敵』
キースは魔界西の地在住の、いも天好きな学生だった。
喧嘩の実力はなかなかのもので、クラス内どころか、学校の中で負けたことがなかった。
――無敵の子。
誰が彼をそう呼び始めたか分からない。
いつの間にか、そう呼ばれるのが当たり前になっていた。
転校生が来ると聞いた時、キースは嫌な予感がした。
二本の角を持つ目つきの悪い魔物と対面した時、不快な感覚が膨らんだ。
「ヴィンセント・バリーだ」
そう名乗った相手にいきなり「生意気な面だ」と言い放ったのは、反射的な行動だった。
普段はこれほど簡単に喧嘩を売ることはない。
即座に敵対心を露にしたのは、心のどこかで己を脅かす存在だと直感したためだろう。
予感は、的中した。
大人でも敵わぬ特別な数人を除けば、自分を打ち負かせる者などいない。
キースの自負を叩き壊したのが、突然現れた転校生だった。
敗北に腹が立ったが、より怒りが湧いたのは、その後のバリーの態度だった。
我こそが無敵なのだとふんぞり返れば、歯ぎしりしつつも納得しただろう。
バリーは、満足しなかった。
無敵の子という称号を取り上げておいて、不機嫌な顔をしている。
まるで、キースが見せびらかしてきた勲章(メダル)を、価値がないと告げているようだ。
「何だあいつは。……生意気な」
目障りなバリーを倒す。
王を決める戦いが迫る中で、なすべきことが増えた。
力を得られる呪文を即座に唱えた時も、脳裏に浮かんだのはライバルと見なす男の顔だった。
「これでバリーも一ひねりだ。ハハハハハ!」
上機嫌のキースに声をかけてきたのは、パートナーのベルンだった。
「……なあ、キースよ」
「何かね、ベルン」
「そのバリーという魔物が気にくわないのはよーく分かった。やり返す気満々みたいだが――」
「なんだ、道徳の授業でも始める気か?」
寛容さを持て。
そんな言葉を向けられても、引き下がれはしない。
少々刺のある視線に、ベルンは頬をぽりぽりかきながら答えた。
「いや、ものすごく酷い目に遭わせたいのかって思ってな」
「ん?」
「映画監督としていい絵を撮りたくて――いや、見たくてな。やり過ぎると観客も引くだろう?」
鼻毛を抜きながら呟くパートナーに、キースはふふんと笑ってみせる。
「あの生意気さが少しはなくなればいいんだよ。『負けたぜ』とか『敵わねえ』とか言わせればな! ……いも天を買いに行かせるくらいはするかもしれんが」
「そうか……」
若干の安堵と、それ以上に呆れがにじむ相槌を打ったベルンに、キースは拳を震わせる。
「腹立つことに、いも天の美味さを理解しておらんのだぞあいつ! 『ステーキのが美味いだろ』ってな! ムカつく野郎だ!」
「それでまた喧嘩したんだな」
そして負けたんだな、とは言わなかった。
「ああ!」
頭から湯気が出そうなキースに、ベルンは両掌を前に出して宥めるような身ぶりをする。
「もう送還されてるかもしれないぞ」
「いーや、しぶとく生き残っているはずだ。『憎まれっ子世にはばかる』って言うからな」
その予感も、的中した。
バリーとの再会にキースは喜んだ。
魔界時代からの因縁に、決着をつけることができる。
無敵の子の称号は、再び己のものになる。
彼を倒せばきっと、大きな何かが手に入り、満足感を得られるだろう。
興奮に胸を躍らせながら、久しぶりに会ったライバルを眺める。
バリーは、変わっていた。
自慢の角は片方が折れ、全身に深い傷が刻み込まれている。
何より、目が違う。
苛立ちを湛えてギラギラと光っていた目が、余裕を漂わせながらこちらを見据えている。
実力も、戦い方も、変貌を遂げていた。
「アラドム・ゴウゾニス!」
「な……!?」
強力な術も通じぬほど頑丈な魔物を素手で悶絶させ、術一発で倒してのけた。
ならば威力を増した攻撃で押してくるかと身構えたキースを、バリーは一蹴した。
弱い術を連発し、体術と組み合わせて体勢を崩す。
無数の光弾を四方八方から浴びせられても、全て受け止め跳ね返す。
荒々しかった戦い方は洗練され、ほぼ完成している。
(何だ? 何が起こっている!?)
人間界に来てバリーが強くなったとしても、勝てるはずだった。ファウードによって強大な力を得た、今の自分ならば。
現実には、ろくに手が出ず、追い詰められているのは自分の方だ。
卓抜した技巧を支えるのは観察力だ。
敵を見極め、己がどう動くべきかを導き出す、静かな目。
「何故だ……!?」
近づいたはずの距離が遠い。
絶望的なまでに離れてゆく。
混乱。
恐怖。
敗北の予感を打ち消すように、キースは最大術を放とうとする。
バリーの姿が消えたと思ったら、背後から声がした。
「言ったろ? お前が弱いだけだと」
無情な宣告とともに、強烈な一撃をくらった。
背に当てられたままの指先から、莫大な衝撃が迸った。
肉体だけでなく精神までも、バリーは揺さぶってくる。
彼は竜族の神童のうち一体、エルザドルと戦い、勝利した。
キースが戦わずして敵わないと諦めた、別格の連中の一人を倒したのだ。
手が届くと思っていた相手は、噂で語られるだけの、遠い存在の一員になっていた。
想像もつかぬような高みへと翔けていた。
「くそっ……!」
痛み。苦しみ。疲労。
それらを凌駕する、黒く煮えた感情が心を支配する。
『くだらねえ』
『いつまで一人の敵にこだわってんだ?』
『昔敗れた一人にこだわるなど、小さなことだ』
バリーの言葉が銃弾のごとく心を抉る。
「いつもいつも、お前は……!」
無敵の子という称号。
敗北を味わわせた相手の打倒。
キースがこだわるものを、バリーはことごとく否定する。キースが抱えているものを、ちっぽけだと切り捨てる。
「お前は、私を……!」
心のどこかで察しながらも目を背けていたことを、真っ向から突きつけてくる。
キースが依って立つ物を叩き壊し、弱さや小ささを思い知らせる存在。それがバリーだ。
「ふざ、けるな」
認めない。
認められない。
決着に対する関心――相手の存在の大きさは全然違ったかもしれない。
熱意を傾ける方向や、取った手段が間違っていたかもしれない。
対決にこだわるあまり、視野が狭くなっていたのは事実だ。
だが、彼を倒したい気持ちまでくだらないと言われるのは我慢ならない。
「私は、憎いお前を倒したいんだ……!」
さらなる力を求め、ファウードに呼びかける。こんなやり方ではいけないと薄々感じていても、今更止まれはしない。
膨大な力が体の中で渦巻き、精神を高揚させる。
頭のどこかで「危険だ」と声がするが、すぐに吹き飛んだ。
変貌にも、膨れ上がった力にも、バリーは動じない。
笑みさえ浮かべて、堂々と睥睨する。
圧倒的な力を前にしても。苛烈な攻撃をその身に受けても。眼光は一切揺るがない。
「何だ、その眼は!?」
自らの手で強さを積み上げた者だけが得られる、強者の目。
曇りのない双眸が、心底気にくわない。
目の中に映る自分が小さく感じられるのだから。
「まぶしい……見るな!」
これ以上力に満ちた視線に晒されれば、己が己でいられなくなる。
恐怖を振り払うべく、キースは手を前に突き出した。
彼の最大術――ディオガ・ギニスドン。
ファウードの力で通常の三倍以上もの威力を備えたこの術ならば、ディオガ級の術を圧倒し、バリーを倒せるはずだった。
すっとバリーの手が上がる。
指先が己へと向けられる。
「ディオガ・ゾニスドン!!」
力強い声が響く。
渦巻く光が術の弱所を食い破り、キースを吹き飛ばした。
バリーが狙いを定め、パートナーが呪文を唱える一連の流れは、同一人物が行っているかのようだった。いちいち指示を出さずとも、完璧に応えてみせた。
「バカ、な……!」
愕然とした呟きがキースの口から漏れた。
力で上回っていたはずなのに勝てなかった。
その理由を追究する暇すらない。
もう勝負はついたのに、傷ついた体は勝手に動く。
侵入者を排除する仕掛けを作動させるために。
(何をやってるんだ、私は?)
無粋な装置などでライバルとの対決を締めくくる気はなかった。
自分は力を得ても変わらないと思っていたが、影響を受けていた。危険な力に手を出した報いと言ってしまえばそれまでだが、苦いものがこみ上げてくる。
バリーが解除する方法を聞き出そうと、掴みかかる。被害を受けない位置にいるのに、必死の形相で止めようとする。
生意気な顔がゆがんでいるのに、全く嬉しくない。
(変わったな。バリー)
以前の彼ならば、他人がどうなろうと気に留めなかっただろう。
かつて、己と大差ない、狭い世界を見つめていた目は、今は様々なものを映している。
どんな言葉よりも雄弁に、彼の目と行動が成長を物語っていた。
(私に足りなかったのは――)
強くなった理由は、力が増しただけではない。
バリーが心臓を指差しながら告げた台詞を思い出す。
答えを得た手ごたえと、悔いが混ざり合った笑みが浮かぶ。
「最後にお前と戦えてよかった……それは……ちょっと思ってるぜ……」
憎く、倒したい宿敵だった。
目標でもあった。
方向は間違っていたかもしれないが、今まで己を駆り立ててきた。
こだわるのがくだらないと言われて苛立った理由が、今なら分かる。
気づくのが遅かったが、知らぬまま――知らない振りを続けたまま戦いを終えるよりはいいだろう。
「一応よ……なんつうか……ライバルだったから、な……」
悔いの残る結末だったが、どこかに清々しい感情を抱きながら、彼の意識は暗転した。