ガッシュSS『未知』
戦闘が終わる直前に、それは起こった。
本に火が点き、魔物は魔界へと還るはずだった。
消えゆく中で大技を繰り出したのは、敵を倒そうという闘志の現れではなく、ただの悪あがき。
無数の光弾はでたらめに飛来するだけで、バリーの目には脅威には映らなかった。
自分と後方のパートナーに向かいそうなものを判別し、あるものは拳で弾き、あるものは体で止める。
明後日の方向へ飛んで反射した幾つかがグスタフに向かったのは、運が悪かったとしか言いようがない。
狙い澄まされたものならば、敵の視線などから対応できた。
偶然から生まれた、攻撃とも呼べぬような代物だからこそ、バリーの反応が遅れた。
振り返ると、複数の弾丸がグスタフへ迫るところだった。
「グスタフ!」
声は焦りに染まっていた。
もしかすると、己の本に当たるかもしれない。こんなところで脱落するなど冗談ではない。
彼が叫ぶより早く、グスタフは行動していた。
片足を引き、本を抱えた腕を背後に回す。もう片方の手が、盾のように突き出される。
鈍い音が響き、体がわずかに揺れた。
それでもグスタフの動きは止まらず、他の弾丸を躱す。
敵の姿が消えるのを視界の端で確認しつつ、バリーは慌てて駆け寄る。
グスタフはバリーに本を見せながら、短く呟いた。
「無事だ」
声は掠れても震えてもいないが、傷ついた腕はだらりと垂れている。
滴り落ちる血を眺め、バリーは顔をしかめた。
「悪い」
あっさりとした口調は、パートナーの身を案じているようには聞こえない。
荷物を落として傷つけたような、しくじったと言いたげな表情だ。
「何を謝る」
「魔物は人間を守らなきゃならねえだろ?」
台詞に込められているのは、情や信頼ではない。
温度の無い義務感だ。
人間は本を持ち、呪文を唱える。
魔物は己のパートナーに攻撃が届かないようにする。
術を使うために。本を燃やされぬように。
役割は分かれていて、各々の仕事をこなすだけ。
そのように捉えていたバリーは、グスタフからの叱責を予想した。
役割を果たせていないと責められても仕方ないが、グスタフは批判する様子はない。
「今ある術では防ぎきれなかっただろう。ワシの方で対処すべきだった」
魔物から直接攻撃されたわけでも、まともに狙われたわけでもない。身体能力や反射神経を働かせれば凌げる範囲だった。
反応が一瞬遅れたのは、戦い始めて間もないためかもしれない。
魔物の動きも攻撃も、人間の常識の埒外だ。
それは敵であれ、味方であれ、変わらない。
いきなり組むことになった相手との連携が一朝一夕で完成するはずもない。
それらは、ただの言い訳だ。
「お前の動きを――敵の行動を見誤った」
静かに言い放たれ、バリーは言葉に詰まった。
「だが……」
「お前に『お守り』を求めるつもりはない」
バリーは首をかしげた。
魔物が人間に求めるのは、本をしっかり持っていることと、呪文を唱えること。人間が魔物に対して期待するのは、己への攻撃を防いでもらうこと。
疑問の余地はない。
そう思っていたが、違うらしい。
腕の傷に簡単な手当てを施すグスタフを、バリーはしげしげと見つめる。
「人間は随分傷の治りが遅いんだな」
「魔物と比べるな」
命に関わる傷ではないが、痛みは軽くない。わずかに顔をしかめるグスタフを見て、バリーは考え込んだ。
人間が呪文を唱え、魔物が術を行使する。
今までそういうルールだからと疑問を持たずにいたが、引っかかった。
バリーは戦いを待ち望んでいる。強い相手と戦い、勝利すれば、その果てに王になれる。
人間の方には、特典はない。
魔物の力を利用して金儲けする輩もいるが、グスタフはそういった所業には手を出していない。
かといって、バリーを王にしてやりたいという情熱に駆られているわけではない。
たまにバリーの言動に疑問を差し挟む様子からは、王の器だと認めているようには見えないからだ。
純粋に戦いを望んでいるわけでもない。戦闘の最中、高揚や興奮は感じられない。強敵の予感に胸を高鳴らせる様子もない。
「……何故だ?」
危険を冒して戦う理由が、ない。
少なくとも、バリーには思いつかない。
そこまで考えて、気づく。
自分はパートナーのことを何も知らない。知ろうともしなかった。
バリーはグスタフの平静な面を観察する。
出会った時、煙突に頭を突っ込んだ魔物の姿を目にしても動じなかった。
魔界や魔物について説明された時、驚愕を見せずに受け入れた。
ともに戦うよう頼んだ時も、あっさり頷いた。
幾つか条件を付けたものの、「客人ではないのだから家事を分担すること。特に力仕事を任せる」といった、さほど厳しくもないものだ。
たまに指示された時は煩わしいと思ったが、内容は尤もだった。やるべき仕事をこなしていれば、グスタフはあまり口を挟まない。
べったり寄りかかる気はなく、体を動かすのも性に合っているから、方針に異論を唱えることなく過ごしてきた。
戦闘ではどうかというと、こちらも問題はなかった。
(意外なことに、な)
人間界での戦いがどのように行われるか知った時、面倒だと思った。
足手まといになる相手と組んで戦う――想像するだけで気が滅入る。
彼の予想は外れた。
グスタフは的確に呪文を唱えた。タイミングも心の力の配分も、初めて魔物と組んで戦うとは思えないほどで、文句を付けるところはなかった。
バリーは喜んだ。
足を引っ張られることなく戦える。「当たり」を引いた、と。
都合がいい。
動きやすい。
相手の行動に対して、その程度の感想しか抱いていなかった。
呪文を唱えるための道具とまでは思っていないが、自分一人で戦っているという意識があった。
パートナーを守らねばならないと思っていても、頭で考えていただけだ。だからこそ、容易く綻びが生じた。
グスタフの方は違う。
本を守る動作は滑らかだった。そうするのが当たり前であるかのように。
その結果負傷したが、当然のように受け止めている。
「戦いを、続けられるか?」
バリーの問いは、腕の傷だけを指しているのではない。
今後、より危険な目に遭う可能性に直面して、嫌気が差したのではないかと思った。戦いを降りると言い出されても、引き留める材料が浮かばない。
「ここでやめるなら、最初から家で大人しくしておるわ」
煙草に火をつけつつ平然と答えたグスタフに、バリーは沈黙した。
彼は、これからも戦っていこうとしている。突然現れ、戦いの場へ誘った魔物とともに。
バリーはしばらく考え込んでから口を開いた。
「……違うよな」
魔界時代、一人で戦う時と同じ感覚でいた。
頑強な肉体に任せて攻撃を捌きつつ、敵を殴り倒す。
王を決める戦いでは、このやり方では勝ち抜けないだろう。
パートナーの存在を意識しなければ、目の前の敵を倒していくことすら覚束ない。
「パートナー、か」
口に出してみると、いっそう分からなくなった。
今までは、術を使うために必要な存在としか思っていなかった。
戦いについていける人間ならば「当たり」で、運が悪ければ「外れ」と組む羽目になる。
パートナーが弱くても勝ち抜ける力があるか否か、試されるのだと思っていた。
もし他に理由があるならば。
パートナーの意味は――
「おぉっ!?」
コバルトブルー色の本が光った。
新たな呪文が頁に現れる。
バリーの視線を受け、グスタフが口を開く。
「ゾルシルド」
バリーの掌から現れたのは、中央に宝玉が埋め込まれた、青と金の二色からなる板。
グスタフがわずかに目を見開く。
盾が、形成された。
「守る呪文か。使いどころは――」
「ああ、守るのはあんただけじゃねえぜ」
グスタフの呟きに、バリーは不敵な笑みで応じる。
呪文を唱えさせるためだけに、パートナーを闇雲に庇うつもりもない。
それでは、一人で突っ込んで暴れるのと大差ない。
どちらもパートナーを見ていないのだから。
グスタフは、バリーがどう動くかを見て、全体の状況を考え、行動しようとした。
自分も倣おうと思ったまでだ。
目の前の敵をただ倒していくだけでも、工夫は必要だろう。
一人で戦っているつもりになってはいけない。
かといって、パートナーに注意を向けていればいいかと言うと、そうでもない。意識せねばならないのは確かだが、方向や程度を誤っては力を出しきれないだろう。
双方の力を発揮するにはどうすべきか考えて、実行に移すことが求められる。
二人で挑む、これからの戦いにおいて。
「活かさねえと。オレ達の戦いにな」
新たな呪文を活用するような戦いを望みつつ、彼は空を仰いだ。