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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

死闘

ガッシュSS『死闘』



 鈍い音が木々を揺らした。
 緑深い山を連想させる巨躯が動き、剛腕を振るったのだ。
 その姿を一言で形容するならば、竜。
 神話に登場するのが似つかわしい威容と比較すれば、対峙する者はあまりにも小さい。
 燕尾服のような青い衣を纏う彼は、二本の角を備えている。筋肉のついた体躯と凶悪な顔つきを常人が見れば、大人でも怯えるに違いない。
 外見に相応しい強さを持つはずの魔物は、石ころのように吹き飛び、地に落ちた。
 長身といえど人間と大差なく、巨大な体の前ではちっぽけな人形のように見える。竜に挑んだことを誰もが無謀と言うだろう。
 胴から大量の血が迸り、雨に混じって大地を濡らした。
 竜の太い腕から繰り出される爪は、獲物の肢体をボロ布のように引き裂く。
 竜は動きを止めず追撃に移る。双眸に慢心はなく、勝利するという純然たる意志が宿っている。
「アギオ・ディスグルグ!」
 顎が光を帯び、牙が照り輝いた。
 凄まじい速度で噛み合わされた牙は、虚空から現れた盾を砕くのみならず、青い魔物の角をへし折った。
 鮮血が噴き出し、恐ろしい絶叫が魔物の口を割った。
「ぐ、があああぁッ!!」
 味わったことのない感覚が頭で弾け、視界が明滅した。
 あまりの痛みに吐き気がこみ上げる。
 雨に濡れた体を鮮血が染めていく。目に涙が溜まっているのは苦痛によるものか、恐怖のためか。
「あ、ああ……!」
 知らず、掠れた声が漏れる。かちかちと歯の鳴る音がする。全身が震えていることに彼自身気づいていない。
 魔剣のごとき爪牙。
 磨き抜かれた鎧にも匹敵する鱗。
 死が、彼の眼前にそびえていた。

 青き魔物は、ヴィンセント・バリーという。
 彼は、自身を強いと思っていた。
 事実、彼は強かった。
 膂力、敏捷性、動体視力、反射神経。光線を放つ術。
 諸々が優れているだけでなく、それらを組み合わせ、使いこなすセンスを備えていた。
 間違いなく、戦闘の素質に恵まれていると言えただろう。
 彼は勝利を収め続けた。
 苦戦することがあろうと、勝つのは己だと自負していた。
「はっ――は――!」
 吐息とともに血塊が零れる。
 角が折れた個所から、深々と斬られた胴から、血が溢れる。
 全身が激痛に塗り潰され、無事な個所を探す方が難しい。
 顔面も焼けるような熱さを訴えている。
 視界が霞むのは、両目を切り裂くように上から下へと傷が走っているからだ。もう少し深ければ視力を失っていたかもしれない。
 頬を抉るような傷も、唇の裂傷も、未だに血を流し続けている。
(ダメだ……!)
 今まで弱者を踏みにじる側だった。多少手こずっても、一方的に打ちのめされた経験はなかった。
 絶対的な差を思い知らされたのは初めてだ。
 冷たく重い波が心を飲み込み、思考を麻痺させる。

「バリーよ!」
 いつしか膝をついていた彼の意識を、力強い声が引き戻した。
 声の主は壮年の男。黒い髪の彼はひげを蓄え、精悍な顔をしている。王を決める戦いにおいて、バリーのパートナーである男だ。
 鋭い声は指摘する。
 攻撃が避けられないのは、力の差だけではないと。
「奴の目を見ろ! そしてそれを乗り越えろ!」
 導かれるようにバリーの視線が上がり、竜の目と交差する。
「そこにお前の探してるものはある!」
 顔を背けたい衝動に襲われるが、パートナーの声が背を押すように響く。
(何だ?)
 今まで見ようとしなかった、竜の双眸。
 宿る輝きは、攻撃の苛烈さを裏切るかのように静かだった。
 恐ろしいと思いながらも、若者は視線を逸らすことができない。
 バリーは身を震わせ、涙を零しながら、見つめ続ける。

 竜の目が、かつて戦った金髪の少年と似ていると気づいた時、彼の心に波紋が生じた。
(……ふざけるな)
 青い瞳に炎が生まれる。
 己より力が劣る子供に怯え、殴れなかった。
 ここで退けば、再び『あの』目に屈したことになる。
 今諦めれば、永遠に克服することはできないだろう。
(負けるか……)
 魂から噴き上がる炎が、全身を凍てつかせる波に抗い、押し返す。
 この場で戦いを降りて生き長らえても、無事ではいられない。
 恐怖に負けて逃げ出したという思いに囚われ、己が己ではいられなくなる。
(あいつには負けねえ……!)
 若者の拳に力がこもる。震えもいつしか止まっていた。
 どうせ敵わないという諦念に支配され、強き者の目に怯え続ける――そんな一生など死んだも同然だ。
「うおおおおッ!!」
 咆哮とともに大地を蹴る。
 死そのものを体現したかのような相手に肉迫する。
 以前怯んだ目を超えるという意地だけで。

 燃え上がった闘志に応えるように、バリーの腕に光が纏わりつく。
「ドルゾニス!」
 渦巻く力の奔流が指先に集中する。
 強固な盾をも砕く術は、光沢を帯びた鱗に弾かれた。
 ようやく体が動くようになったが、このままでは到底敵わない。
 がむしゃらに突撃したところで、痛痒を与えることはできないだろう。
 元々、力任せに殴り合う戦い方ではない。
 小技で敵の体勢を崩してから大技を叩きこむなど、攻撃のタイミングは工夫してきた。
(だが……!)
 竜族の神童が相手では、それだけでは足りない。
 多少体を揺るがせたところで、硬い鱗を貫くことはできない。
 全身が武器であり防具でもある肉体を削るには、隙――弱いところを発見し、そこを突かなくてはならない。
 今までも、漠然と考えていた。
 どう動けば敵の術の威力を殺せるか。どこを攻撃すれば、より深い傷を与えられるか。
 だが、生まれつきの反射神経や勘の鋭さに任せて、「何となく」動いていたに過ぎない。
 意識して行おうとすると話は別だ。
 最も効果を発揮する一点を見極める。要求される難しさは桁が違う。

 目に映る像がぼやける。
 音も遠い。
 四肢が軋み、悲鳴を上げる。
 指に力を込めるたびに、鮮血が溢れる。
 全身を紅に染めながら、若者は止まらない。
(手足は動く。戦える!)
 意識を失いかけているからこそ、痛苦を無視して動けるのかもしれない。
 視界が閉ざされぬよう、霞む両目に祈るように呟く。
(見ろ。感じろ!)
 敵の攻撃。
 戦い方。
 思考。
 感情。
 相手の全てを。
(考えて――見つけるんだ!)
 敵の弱所。
 攻撃の間隙。
 勝機を。
「おおおぉぉッ!」
 気合の叫びが口から迸る。己を鼓舞するように。
 さらに速く。
 より鋭く。
 烈しい一撃を。
 刹那が永劫にも思えるような時の狭間で探究を続ける。
 今にも切れそうなか細い可能性を辿り、好機を手繰り寄せ、勝利を掴むために。
 
 バリーの凄惨な姿からパートナーのグスタフは目を逸らさない。
 彼は集中を切らすことなく、心臓を凍らせる光景を直視する。
(目を背けるな)
 バリー。エルザドル。エルザドルのパートナー。全員の行動をひとかたまりの大きな流れとして把握しつつ、細かい挙動も見逃してはならない。
 視線の揺れ。指先の微かな動き。息を吸い込み、吐き出し、上下する胸。
 視野を広く保ちながら細部に注意を向け続ける。攻撃の前兆を察知し、対処するために。
 一手のミスが、若者を殺すのだから。
 わずかな時間で精神を大きく疲弊させる行為だが、グスタフの眼光は揺るがない。常人ならば気が狂いそうな重圧の中、堂々と立つ緑と躍動する青を観察する。
「ゾニス!」
 虚空に足場があるかのようにバリーが宙を蹴り、唸りを上げて振るわれた腕を回避する。
 バリーの視線が一点に据えられると同時に、グスタフの眼差しに閃光が瞬いた。
 グスタフの口が動き、詠唱を紡ぐ。
 貫手が目にもとまらぬ速さで繰り出される。
 巨竜渾身の攻撃直後の、わずかな停滞。隙とも呼べぬ空白にねじこむように、破壊の力の先端が突き刺さる。
 首筋の血肉が弾けた。初めて巨体が傾ぎ、苦痛の呻きが竜の口から漏れた。
 堅固な鎧の隙間に刃を刺しこむような妙技は、若者の荒々しい容貌に反して繊細さすら感じさせる。
 勝利を確信する一撃を浴びせても、バリー達の表情は張りつめたままだ。
 竜は、倒れない。
「オ、オオ……!」
 双眸には、己の体を傷つけた相手への怒りや憎しみはない。
 あるのは静かな興味。
 ただ倒されるだけの獲物ではなく、勇敢に立ち向かう戦士だと評価を改めたのだ。
 同時にそれは、エルザドルのさらなる猛攻を予告している。認めるべき敵として、全ての力を叩きつけようとしている。
 負傷して戦意を失うどころか、いっそう激しく闘志を燃やす相手にも、グスタフは怯まない。呼吸を落ち着け、心の力を掻き立てる。
 全ての力をぶつけるのはこちらも同じだ。
 バリーは諦めていない。限界を超えて立っている。
 ならば、全力で支えるのがパートナーの役目だ。
(よく見ろ)
 焦燥に目を曇らせ、判断を鈍らせてはならない。
(思考を止めるな!)
 道を拓き、先へ進むために。

 戦いが終わった時、どちらが勝者か分からない有様だった。
 立っている若者と地に伏した竜。だが、惨たらしい姿になっているのは前者だ。バリーの呼吸は荒く、今にも倒れそうだ。
 意識がもうろうとしている彼に、エルザドルは穏やかな口調で語りかける。
「よく……やったじゃねえか」
 消えゆく竜は満足げに微笑んでいた。
 称賛されたバリーは、何を言われたか分からぬかのように呆然とした。
 言葉が心に沁み込むにつれて、顔がゆがむ。こみ上げるものを抑えようとしてこらえきれず、雨に混じって頬を流れる。
「何、言ってんだ……っ!」
 力を振りかざしてきた乱暴者が、声を詰まらせ、子供のように泣いている。
 怪我の痛みや疲労。緊張から解放された反動。
 涙の理由にはそれらも含まれているだろうが、心の奥底から揺さぶられるような感覚は、それだけでは味わえない。
 自分を倒した相手への称賛など、バリーは今まで考えもしなかった。己の力に誇りを持ち、敵の強さを認める器があってこそできる行為だ。
 本物の強者が与えた衝撃は、大自然を前にして言葉を失う感覚に近いだろう。


「グスタフ!」
「何だ、騒々しい」
 大声で名を呼んだバリーに、グスタフは淡々と言葉を返した。
 バリーは傷が深いこともあり、宿の一室で身を休めていた。グスタフが買い物に出て、戻ってきたところだ。
 全身に包帯を巻いているバリーは、傷の痛みも忘れたかのように人差し指を突きつける。
「それ……!」
 バリーが指差す先には、ワインボトル。濃い茶色の、落ち着いた色合いのテーブルの上に載っている。
 グラスは二つ。間にコバルトブルー色の本が置かれている。
 赤ワインはバリーの好物だ。グスタフと出会って間もない頃、秘蔵のワインを勝手に飲んで怒らせたこともある。
 戦いが本格化してから飲む機会はなかった。
 たまにバリーが飲みたいと要求しても、すげなく却下された。
 グスタフいわく、苛立っているお前では味わうどころではないだろう、とのことだった。
 何度も断ってきたグスタフがわざわざワインを購入して、一緒に飲もうとしている。
「どんな風の吹き回しだ?」
「飲まんのか」
「いや、飲むけどよ!」
 気が変わって「やめるか」と言われては困る。バリーは追究を打ち切って、ごくりと唾を飲み込んだ。
 青い目を輝かせる。古びた椅子から身を乗り出す。注がれる液体をじっと見つめる。どれも、激闘を繰り広げたとは思えない、子供じみた行動だ。
 液体の動きが止まる。
 バリーは慎重にグラスを持ち上げてから、一気に飲み干した。
 じっくり味わうべきだと思いながらも、止まらなかった。
「っはあ……!」
 大きく息を吐き出し、頬を紅潮させるバリーとは対照的に、グスタフはゆっくりとグラスを傾ける。
 一杯だけ飲んだ後、十分だと言いたげに立ち上がり、窓辺で煙草をくゆらせる。
 静謐な時間が流れていく。

 沈黙を破ったのは、張りつめた声だった。
「グスタフ」
「ん?」
 グスタフが室内に目を向けると、真剣な表情のバリーと目が合った。彼は食い入るようにグスタフを見つめている。
「……ありがとう」
「酔っているのか」
 グスタフは反射的に返答してしまった。礼を言うとしても、ここまで厳かに告げるとは思っていなかったのだ。
「礼の一つも言えないようじゃ、強き王にはなれないだろ」
 言いづらいことを酒の力を借りて吐き出したのかと思ったが、違うようだ。
 頬は紅潮しているものの、眼光は鋭い。口調もしっかりしている。酔った勢いで口にしたわけではない。
「やっと分かった。あんたのしたことが」
 グスタフの言葉が無ければ、恐怖に心を折られ、立ち上がれずに終わっただろう。
 バリー一人が奮起したところで、パートナーが追いつけなければ、勝利まで届かなかった。
 グスタフの力が無ければ、バリーは今ここにはいない。
「ろくに見てなかった。あんたのことも。戦う相手も。自分のこともな」
 己の未熟さを語っているとは思えないほど、表情は晴れ晴れとしている。
 自分の小ささを悟ることができたのも、目が曇った状態から脱したからだ。戦った相手の偉大さに触れて、心を覆う霧が払われた。
「……見えるようになったんだ」
 指を揃えた右手を目の高さまで持ち上げ、バリーは噛みしめるように呟く。
 グスタフは彼の姿を冷静に見つめ、確かに頷いた。
 己を知り、相手を見極める強者の目。
 それが活かされるのは、誰かと言葉を交わす時だけではない。
 力をぶつけ合う戦いの場においても立派な武器となる。
 彼は死闘の中で、強大な相手を倒す術(すべ)を掴んだ。
 強者の目を得る前ゆえに原型に過ぎなかったが、目に輝きを宿した今ならば、より正確に、洗練された一撃を見舞うことができるだろう。
 グスタフは窓から離れ、手を後ろ手に組んでバリーに歩み寄る。
「言っておくが――」
「満足するには早いぞ、か?」
 バリーは言うまでもないと言いたげに心臓の辺りを親指で指し、不敵に笑う。
「『ここ』が叫んでる。せっかく高いところが見えたんだ……もっと見たいってよ」
 傷だらけの面相に、凶悪と形容できる笑み。気弱な人間が見れば心臓の止まりそうな表情だが、グスタフは落ち着き払って観察する。
 覇気溢れる笑みに、苛立ちの影はない。
 これから彼を駆り立てるのは、空っぽな自分への不安ではない。何かが足りないという、正体の見えない焦りではない。
 強き者の在り方を学びたい、己がどこまでゆけるのか確かめたいという探究心だ。
 その心のままに、己と相手をよく見て、知ろうとするならば。どうすれば強く、大きくなれるのか、問い続けるならば。
 彼はどこまでも進んでゆけるだろう。
 確信を言葉にしないまま、座っているバリーの横をグスタフが通り過ぎた瞬間、静かな声が届いた。
「そのためにもあんたの力が必要だ」
 グスタフが視線を落とすと、バリーの顔から笑みが消えている。
「これからも力を貸してくれ。グスタフ」
 真摯な口調は、魔界時代の彼を知る者が聞けば驚いただろう。
 戦い始めて間もない頃の、人間を見下す彼を見た者も、目を疑うことだろう。
 グスタフも、全く驚かなかったわけではない。
 パートナーを蔑視こそしなかったものの、乱暴な物言いをすることが多かった。
 今回は丁寧に、率直に、内心を伝えたのだ。

 グスタフが返答する前に、ごとりという重い音がした。
 バリーはテーブルに突っ伏し、寝息を立てている。テーブルに頬をつけて眠る顔は、傷も癒えていないのに安らかだ。
 数時間前の死闘が嘘のような寝顔に、グスタフは溜息を吐いた。
「子供だな」
 ひとりごちたグスタフは激闘を思い返した。
 今こうして眠っているのが奇跡的な、紙一重の勝利だった。
 エルザドルに挑んだのは、蛮勇と呼ばれても否定できない行動だ。
 いくら本人が強者との戦いを望んでいても、あまりにも差がありすぎた。過酷な試練を与えたと、グスタフ自身理解している。
 勝算がまるで無い状態で挑みはしない。乗り越えられると信じての決断だったが、敗北する可能性は高かった。身も心も傷つき疲れ果て、魔界に送還されてもおかしくはなかった。
 あと少しバリーの心が弱ければ。わずかに力が足りなければ。
 魔物の子は恐怖に囚われ、敗北感に染まり、目を曇らせて生きていくことになったかもしれない。
 未来を壊す危険を冒してまで、絶対的強者に挑んだ理由。
 有望な若者への期待。共に戦ってきた相手への信頼。それらは、根底にある感情を表現するには仰々しい気がする。
 子供のような寝顔を見つめ、呆れをにじませながら目を細める。
「……人の事は言えんな」
 期待や信頼という言葉を使うのは違和感がある。
 高みへ上るのを見てみたいという、単純な気持ちには。
 何にせよ、グスタフの抱いた感情に、バリーは見事に応えてみせた。
 これからも応えようとしている。
 彼は遥かなる高みへ――本の色と同じ、深い青色の領域へと翔けるだろう。
 グスタフの口元がわずかに綻んだが、見る者はいなかった。
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