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B.B.ライダーSS『帰還』
※ニトス復活END。
作品の余韻を台無しにされてもいいという方はどうぞ。
『帰還』
暗い森の中、青年と少女が向かい合っていた。青年の面に感情は乏しく、少女は顔をゆがめて涙を流し続けている。
青年の肌は髪とは対照的に黒く、人間と異なる外見だった。紫がかった髪の少女は蒼い瞳に悲しみを浮かべ、身を震わせている。
腹部を貫かれ、体から力が抜けていく中、彼は安堵していた。灰色の目に浮かぶ光は穏やかだった。
(これで、終わる)
眠りに落ちていくような安らかな心地は何百年ぶりのことか、思い出せなかった。
体中が融けていく感覚を味わいながら千二百年の歩みが映されては消えていく。
愛する者の死を目にして、異なる時代に呼び出されて束の間の安息を味わい、千年間戦い続けて、人間からも魔族からも恐れ疎まれた挙句処刑された。
魔の存在として生まれ直した後は少女の誕生を待ち、彼女を守るためだけに行動してきた。
辛くなかったとは言えない。
何のために戦っているのか己に問うた回数は数え切れず、完全に魔の存在と化してからは後悔に苛まれてきた。生きる意味も存在する価値も無く、誰からも必要とされていないとさえ考えた。
それでも、道程の全てが後悔と絶望で塗りつぶされたわけではない。
たった二か月の、何物にも代えがたい期間。
守りたいと思った少女。彼女と過ごした一時。屋敷の人々との他愛無い会話。それらの思い出は、暗い色彩の道においても眩しく輝いている。
(それに……見ることができた)
どれほど差があろうと諦めることなく何度も立ち上がり、食らいついた過去の己の姿。
そこに重なったのは、かつて夢見た英雄の姿だった。
己にとどめを刺した少女の姿を瞼の裏に描き、声を出さずに呼びかける。
(叶うことならば……もう一度……)
沈み込んでいく感覚から浮上へと移る。
こうやって自己の存在が薄れ、空の彼方へと消えるのだろう。
死をもって円環から解放される――寂寥感と安堵に支配されながら、彼は口元に一片の笑みを浮かべる。
虚空を漂うような心地は予想より長く続いた。
なかなか意識が消えないことを訝しく思いながらも、彼は穏やかな波に逆らおうとはせず、まどろんでいた。
どれほどの間そうしていたのだろうか。
頬に、腕に、温かい光が当たるのを感じ、彼は口元を緩ませた。
(気持ちいい、な)
温もりに浸りきっている彼の意識を引き戻す声がした。
「ねー、おじちゃん」
「……ん?」
聞き覚えのない、無邪気な子供の声だ。
初めは幻聴かと思った。
ファントムソラスで刺され、消滅するはずだったのだから。
自分の体が消える感覚も確かに味わった。
生き延びるなどありえない。
死ねばそのまま無へと帰る存在だというのに、あってはならない事態だ。
瞼を開けると子供が顔を覗き込んでいた。
「どうしてこんなとこで寝てるの? 変なの」
子供の顔に恐れや嫌悪は無い。
それもおかしい。ヴァジュラと化した彼は世界の敵であり、魔物の亡霊を生み出す忌むべき存在だ。たとえそういった事情を知らずとも、人と隔たった異形に動揺しないなどありえない。
己の手に視線を移した彼は目を見開いた。
肌の色が人間と同じになっている。服装も、二ヶ月間滞在した頃のものだ。まるで水を浴びたかのように湿っているが、些細な問題だった。
状況を呑みこめず呆然としている彼を見て、寝ぼけていると思ったのか、子供は首をかしげながら離れていった。
呼びとめることもできないまま固まっていた彼の頭は一つの結論にたどり着いた。
これは夢だ。
人間としての己は二百年前に処刑され、死んでしまった。人の魂はこぼれ落ちる魔力と合わさり、子供――オラクルとなった。真なる魔王として覚醒し、滅ぼされた自分が、人間として復活できるはずはない。
戦い続けた日々がようやく終わりを迎えるのだから、ささやかな祝福が与えられたのかもしれない。
夢もろくに見ていなかった。見たとしても、現実の延長にすぎない陰鬱で悲惨な世界ばかりだった。
死にゆく者への手向けとして色鮮やかな夢が贈られたのならば、永遠の眠りに就くまでの一時を楽しんでもいいのではないかと思った。
改めて景色に意識を向けると、鮮やかな緑が広がっている。柔らかな草むらに腰かけ、木にもたれかかるようにして眠っていたらしい。噴水やベンチといった設備には見覚えがあった。滞在の間しばしば訪れた公園だ。
「どうしようかな……」
日光は暑すぎず、爽やかな風と相まって眠気を誘う。うららかな日差しの下を歩いているだけで心に巣食う暗い感情など飛んでいきそうだ。
そんな考えが浮かぶのもどれほどぶりか、わからない。
このまま公園の中で過ごすのも悪くはないが、いつ夢が終わるか見当がつかないため移動することにした。
街の大通りを歩いていく最中、皮肉げな笑みを浮かべずにはいられなかった。
一人の少女のためにこの街の――世界の敵となることを選んだ自分が、どんな顔をして歩くのか。
(夢の間だけだ。許してくれ)
そう呟きながら足を動かしていた彼は首をかしげた。
「ん?」
見覚えのある後姿を発見したため、歩調を早める。
金色の髪を赤いリボンでくくった、愛嬌のある顔の少女が歩いている。隣にいるのは、深緑の服を着ている男だ。茶色の髪が風に揺れている。
夢だとしても、随分と都合がいい。
十字八剣でありながら離反し、ゴース家で働くことになった二人――ウェルチとロンドに再会できるとは思ってもいなかった。
どんな言葉をかけようか迷ったのも束の間、以前のように接することにした。悲愴な表情や言葉は似つかわしくない気がする。
駆けより、ポンと肩を叩く。
「よお、地味子」
ウェルチは口をポカンと開け、ロンドも目を見開いた。
彼女は軽い口調の挨拶に呆れかえり、わなわなと身を震わせた。
「アンタは――って、久しぶりに会った相手に言う台詞がそれかい! 相変わらず失礼なやっちゃな」
どう反応すべきか戸惑い、ひどい台詞に憤りを覚えた相手を無視して、彼は傍らの青年に視線を移した。
「……むぅ」
ロンドも再会した相手に何と言葉をかけるべきか咄嗟に浮かばないように目を細めたが、意を決して口を開いた。
「お前のメイド服は保管している。着るか?」
「断る」
空隙が無かったかのように喋る二人はほとんど変わっていない。ロンドがメイド服を着ていないのが唯一にして最大の違いと言えた。彼が滅びてから数年経っているかいないかというところだろう。あの時と同じ空気に包まれ、意識しないうちに口元が緩む。
「屋敷に来るやろ?」
当たり前のようにウェルチが誘う。
「今出かけているから、待てばいい」
誰のことかロンドは言わなかった。言わずとも彼にはわかる。
「……いや、もう少しぶらついてから行くよ」
夢が醒めないうちに、会っておきたかった。
相手がどこにいるか――何となく見当はつく。
街の外へ向かおうとした彼を、大音量で呼びとめる男がいた。額にバツ印のついた男が鬱陶しいほど爽やかに語りかけてきたのである。
「おー、ロリコンじゃねえか!」
行き交う人々が一斉に彼らを凝視した。近くの親子連れは「ママー、あのおじさんロリコンなの?」「しっ、見ちゃいけません!」などと会話し、通りかかった少女は眉をひそめ「最低だわ!」と呟いている。
「お、俺はロリコンじゃない!」
反射的に叫び、いたたまれない空気に閉口しながら頭を殴りつける。どれほど殴られようと灼熱の炎に飲まれようと平気な男であるため手加減の必要は感じない。
「人を変態みたいに言うんじゃない。カロス」
「だって変態じゃねーか」
さらりと答えた男――カロスの頭を再び叩き、じろりと睨む。
再会の感動も余韻も無いやりとりに懐かしさを覚えながら低い声で問いかけた。
「そっちの状況はどうだ?」
見たところ、街は平和そのものだ。魔物に脅かされる様子はなく、亡霊もいない。
戦いの気配のない平穏な光景。遥か昔に焦がれ、いつか行ってみたいと思い、その望みが断たれたはずの場所。
だが、見た目と違い、火種を抱えている可能性は十分にある。いつの世も争いがなくなることはないのだから。
彼の予想通りカロスの表情が曇った。俯き、声を潜め、重々しく呟く。
「大変なことが起こってる」
彼の表情も相手の口調に呼応して暗くなった。夢の中の出来事とはいえ、また刃を振るうことになるのか。
「おやつのティラミスをめぐって屋敷内が大騒ぎになったんだ。第三次スイーツ大戦勃発だな」
「勝手にやっとけ! ……ったく」
乱暴に言い放った彼は目的の場所に行く前にパン屋に足を運んだ。
ここにいる人物にも、一言挨拶しておきたかった。
ドアを開くと、歓迎するようにカランカランと陽気な音が耳に響く。オレンジの制服を着た店員が目を向ける。
注目を集める胸の持ち主が息を呑み、驚愕をこらえかねて口を押さえた。紫紺の瞳が驚きと喜びに染まり、揺れる。
「ニトス、さん……!」
「おっぱ……カルラ」
「はう!?」
ニトス・ジークフリードの視線は胸に釘付けであった。カルラは居心地悪そうに身じろぎし、もじもじしている。
互いの名を呼び合った後、沈黙が流れる。
語りたいことはたくさんあった。長い年月をともに過ごしてきて、再会が叶ったのだから。
しかし、視線を交わすだけで相手の言いたいことは伝わってくる気がした。
「どうして、俺は――」
問いかけて、口をつぐむ。無理に解明しようとすれば、今すぐ夢が醒めてしまいそうだから。
カルラは微笑み、促した。
「早く、行ってあげて、ください」
彼の心を理解し、傍で支え続けてきたからこそ、それ以上言葉は必要なかった。
ニトスは笑みを浮かべ、始まりの場所へと向かった。
木々の茂る森を進んでいく。奥まった場所、泉の前で膝をつき目を閉ざしている少女がいた。一心に祈りを捧げているかのように見える。足音をほとんど立てないまま近づいたニトスは、そっと呟いた。
「お嬢」
少女の反応は一瞬遅れた。声の主を悟ったものの、信じられないようだ。
弾かれたように振り向いた彼女は顔をゆがめた。あっという間に涙が盛り上がり、頬を伝い落ちていく。彼女は突進するかのごとき勢いで胴に突っ込み、相手の名を呼んだ。
「ジーク……」
「お、おい」
少女はしゃくり上げるばかりで言葉が出ない。
ニトスは困っていた。最期を迎えた時のようなしんみりとした空気がいつまでも続くようでは、どう会話すべきかわからない。
調子が狂うなぁ、と内心で呟いて頬をかいた彼は目を輝かせながら申し出た。
「お嬢。俺をぶってくれ。激しく」
「やっぱりそんな趣味だったのか!」
「違う! どこまでが夢かわからなくなってきたんだ」
「何を言っておる?」
彼女はニトスの頬を引っ張った。ぐにいいと勢いよく伸びた頬は餅のようである。
「痛っ!」
目に涙を浮かべ抗議の眼差しを送る彼に、少女は不敵な笑みを浮かべる。
「紛れもなく現実だ。よーく見ろ、ご主人様の可愛い顔を」
「可愛い? 凶暴な肉食獣なら目の前にいるけどな――いてて! やめて! やめなさいってば!」
少女に頭をはたかれ痛がりながらも、ニトスは頬を緩めていた。屋敷に向かって移動しながら、少女――ロウリィは近況を語る。
「掃除、ちゃんとしてる。家事だってルゥと分担しているぞ」
誇らしげに語るロウリィにニトスは黙って頷く。
「料理もだ!」
「おお……お嬢が進化した。感激だ」
鼻息荒く告げる彼女にパチパチと拍手を送ると、ロウリィは腰に手を当ててますます胸を張った。
「ふん。私を何だと思っておる。特製ミソシールを振舞ってやろう」
「と、特製? 大丈夫なのか?」
「な……何だその言い草は!」
「まあまあ。……一滴も残さず飲みほしてやるさ」
ロウリィは表情を隠すようにそっぽを向いてニトスの腕をとった。
「でも……お前の作るミソシールも、飲みたいな」
ミソシールという単語を聞くだけでも懐かしい気持ちがこみ上げてくる。揺れる心を落ち着かせようとニトスは己の出現について思い返した。
公園で目覚めた時、衣服が濡れていた。もしかするとあの水辺から現れ、公園に移り、眠りに落ちていたのではないだろうか。
そもそもの始まりである召喚の儀が忘却の森で行われたのも、ニトスが現れたのも、何らかの力が働く場所だからかもしれない。
時を超える力とでも呼ぶべきなのだろうか、世の則から隔たっている場所であることは確かだ。
千二百年前と現代がつながる円環から死をもって放れ、時を超えるこの空間に結びついた。
それ以上のことはニトスには推測できなかったが、彼の特性を知る者がいれば次のように考えたかもしれない。
彼の特性――ウロボロスの転生と取り込んだBBの力が結びついたのではないかと。
とどめをさされる瞬間に発揮された前者が消えゆく後者と反応し、通常とは異なる転生になった。
同じ事は再び起こらないであろう、一度だけの現象。
少女がいる場所に生まれ直すことができたのは、彼が強く願ったためか、少女が心から祈ったためか、知る者はいない。
彼には争いのない世界へ行きたいという夢があった。幸せになりたかったと呟き、果てた。
戦いに身を投じ、刃を振るい続けた果てに辿りついたのは、かつて思い描き、諦め、捨てたはずの景色。
その日の晩、大量に作られたミソシールを前に、二人は困ったように眉を寄せながらも笑っていた。
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