天界での大魔王と冥竜王の激突より数千年も前、両者は魔界で向かい合っていた。
どちらも空を見上げ、険しい顔をしている。
空には陰鬱な色が広がるばかり。太陽が最も強く輝く時刻のはずなのに、儚い光しかない。
「やはり駄目だったか」
「ああ。本物の太陽でなければ」
どちらの声もただ苦い。
「我が魔力をもってしても……太陽を作り出すことはできん」
己の力に絶大な自信を持つ青年にとって、不可能を口にすることは屈辱に違いない。
だが、声には悔しさだけではなく、感嘆に近い響きが込められている。
目を細める魔族に対し、竜が獰猛に唸った。
「魔界が豊かな地になるまでどれほどかかると思っている。地上に侵出するのが一番だ」
「それでは魔界に太陽の光はもたらされんままだ。地上を吹き飛ばさねば意味はない」
地上を征服するという竜と、地上を破壊するという魔族は別々の道を歩くことになった。
太陽の恩恵を獲得するという目的は同じでも、手段は大きく異なっている。
そのため両者は対立することとなった。
やがて神々への憎悪から手を組むことになるのだが、それはまた後の話だ。
「太陽に照らされた魔界の姿を見ることが……我が夢なのだ」
言葉とともに背を向け、彼は歩き出した。
時は現在に戻り、空気が弾ける。
ヴェルザーが心臓を握りつぶすような雄たけびを上げつつ爪を振るった。
尋常ならぬ速度の攻撃は空気さえも断ち切り、無数の真空波を発生させる。バーンのマントがズタズタに千切れ、肩当てが弾き飛ばされた。その下の服装は勇者達と戦った時とほぼ同じだが、不思議な光沢を放つ金属質の首飾りが煌いている。眼の紋様が刻まれており、大魔王の装飾品に相応しい精緻さだ。
鍛え抜かれた肉体には傷一つついていないが、ヴェルザーの攻撃はこれだけではない。近距離から爪、牙、尻尾を使った連続攻撃で小さな的を捕らえようとする。速度や敏捷性ならばバーンの方が上であるため、戦力を測る程度の攻撃だろう。
攻撃をかいくぐりバーンが手刀をふるうが、竜が翼を猛烈な勢いで羽ばたかせたため弾き飛ばされる。木々にぶつかるようにして踏み止まり、指の先から火炎呪文を放ったが、鱗に直撃し立ち上った炎はすぐにかき消された。
顔を憤怒にゆがめつつヴェルザーが吠えた。
「その程度の炎でオレを焼こうとは思い上がりも甚だしいわっ!」
接近戦をやめ、空に飛び上がったヴェルザーは両腕を下方へ突き出した。バーン目掛けて雷が降り注ぐ。
彼らの戦いを空中に映し出し、見ている者達がいた。
人間の姿をしている男と、尖った耳に真紅の眼、青白い肌の、魔族を連想させる者。
「それにしても暇だね、ジェラル。また賭けでもする?」
楽しそうに語る青年は栗色の髪をゆらし、青い瞳を細めた。人懐っこいと表現したくなる顔には、高貴さや近寄りがたさは微塵も感じさせない。
問われた男は赤い眼に怒気を滾らせた。
「断る! 相変わらず危機感が足りんな貴様は。もっと真剣に世界を――」
「無駄なことはやめておけ。キアロがふざけようが真面目にやろうが大して変わらん」
説教を始めようとしたジェラルを、壁際にうずくまっていた竜が制した。竜が備えるのは深緑の鱗に、琥珀色の瞳。
彼らはそれぞれ人間、魔族、竜の神と呼ばれる存在だった。
三種族の神々は、ある者は興味深そうに、ある者は忌々しげに、ある者は関心を目に浮かべず、バーンとヴェルザーの戦いを見守っている。
沈黙を破ったのは魔族の神、ジェラルだった。
「……変わらんな」
「何が?」
人間の神キアロが話題に食いつき、竜の神は無言で続きを待つ。
ジェラルは映像の中のバーンとヴェルザーを観察しながら、己に言い聞かせるように語る。
「魔族達を魔界に棲ませてからそれなりに時間が経った。とうに闇の世界に順応していいだろうに」
生まれ育った故郷が暗黒の世界ならば、それが当然だと受け止めるだろう。光を求めるどころか、忌むようになってもおかしくない。
実際は、そうならなかった。
魔界で何千年も生きてきたバーンは太陽へと手を伸ばし、ヴェルザーも地上を得ようとしている。
一般的な魔族であるハドラーやロン・ベルク、暗黒闘気の集合体であるミストすら、陽光の下で当たり前のように活動していた。
「それだけ太陽が偉大……なんだろうね」
曖昧な言い方をしたキアロにジェラルは舌打ちした。映像に目を戻したものの、苛立ちを隠そうともせず、視線の先にいるバーンを睨みつける。
観戦する空気をぶち壊しにされてはたまらないと、キアロが宥め役に回った。
「何故バーンを嫌うんだい」
「決まっているだろう、平穏を求めるくせに地獄を生み出す愚か者だからだ!」
吐き捨てられた言葉に他の神は顔を見合わせ、そっと目を伏せた。
「……誰のことを、言っているのかな」
キアロの低い呟きは、誰にも受け止められずに消えた。
鏡の中では一方的な展開が続いていた。
単発で雷を落とすだけでは埒が明かぬと判断したのか、ヴェルザーは網の如く広範囲に無数の雷撃を放った。さすがに回避しきれず食らったため、動きが一瞬とまる。
ヴェルザーはその隙を逃さず高熱の炎を吐いた。地面をも融かす地獄の業火がバーンを包む。黒こげの姿を確信してヴェルザーは接近したが、その瞳が見開かれた。
確かにバーンの体は焔に包まれているが、竜の息吹ではない。
赤熱の体をもつ気高き不死鳥が、主を守るように翼を広げ、炎を寄せ付けないでいる。
鳥は大きく鳴くかのように嘴を開き、距離を詰めていたヴェルザーに突進した。
鱗がみるみるうちに焼かれ、黒竜は苦悶の叫びをあげた。
その耳に響くのは、涼やかな声。
「メラなどでお前を焼こうとした非礼は詫びよう。余のメラゾーマ、カイザーフェニックスを忘れたか?」
右腕に再び不死鳥が宿り、ヴェルザーへ飛来する。倍以上に巨大化した鳥に先ほどと同じ個所を焼かれ、ヴェルザーは苦痛に呻いた。さらにバーンは両手からイオを連発し、敵の周囲に放った。
視界を奪われ気配を探るが、探した時間はそう長くなかった。
「余が空を翔けることができるのも忘れているようだな」
背後からの言葉とともに、激痛が襲いかかる。
最強の手刀が翼を切り裂いたのだ。
バランスを崩したところで地面へ叩き落とされる。顔面にカイザーフェニックスが直撃し、顔を背けると同時に首を抉られる。死に物狂いの抵抗も、冷静な反撃に潰されていく。
「ヴェルザーよ、首輪を外してから余と戦うのだな」
心臓を貫きつつ、バーンが囁く。
命の炎が尽きていくのに合わせ、ヴェルザーの全身に巻きついていた光の鎖が消えていく。薄れゆく生命と裏腹に、瞳は理性の光を取り戻してゆく。
武骨な面に苦笑めいたものが浮かんだ。血液とともに、言葉を乱暴に吐き捨てる。
「神々の軛を外すには一度死ななければならんか……忌々しい」
封印を解かれた直後の隙をつかれ、憎悪する相手に操られたことに忸怩たる思いを隠せない。
バーンも相手の心境を察しているのか、苦い笑みで応えた。
「お前は粗忽者だからな。自らの勢力圏を消し飛ばすほどの」
「……うるさい」
ヴェルザーは怒ったように呟くが、声に力が欠けている。
竜はしばらく眠りに就こうとしている。この状態で息絶えたのならば、そう遠くない未来に復活を果たすだろう。
バーンが目を細め、誰にともなく呟いた。
「お前の力が落ちていたのは……自ら力を封じたためだろう?」
ヴェルザーは意思を縛られる直前に己の力も抑え込んでいたのだ。本気で戦う時の力はこんなものではないと、宿敵である本人が一番よく知っている。
神の手先として戦うことは、長年の間神々を憎悪してきた意地が――冥竜王たる矜持が許さない。大魔王への敵意より、誇りを守ろうとする意志の方が勝ったのだ。
竜の口が動き、肯定する代わりに相手の名を呼んだ。巨大な爪を動かし牙を剥く。
「次、は……!」
操られている時にはなかった本物の覇気が眼の中に燃えている。
バーンはその炎を見つめると黙って頷いた。
宿敵の命が途絶えるまで待った後、バーンは堂々とした足取りで歩きだした。
神へ挑むために。