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ひよこの足跡ブログ

漫画やゲームなどの感想を書いています。 ネタバレが含まれることもありますので、ご注意ください。

ハイ、喜んで

タワハノSS『ハイ、喜んで』
※ナナシの過去・夜の木のエピソード


『このテストは、AI搭載アンドロイド、「HANOI」に向けて作成されたものです。該当者は、以下の問いに、正直に答えなさい』

『型番・氏名「   」』

『問1 人間の命令に、反感を抱いたことがある』
『□ある □ない □どちらともいえない』

「ハイ、喜んで」
 彼の返事は決まっていた。
 彼に話しかけるのは、反社会的勢力トーロファミリーの構成員だ。
 語尾は大抵命令形だ。お願いでも頼みごとでもなく、絶対の指示。
 命令を受ける彼は、トーロファミリーの構成員ではない。
「ハイ、喜んで」
 拒絶の許されない言葉がぶつけられるたびに、彼は短く返事をする。お決まりの言葉を口にする瞬間抵抗感が湧き上がるが、奥歯で噛み殺す。
 命令ですらない怒声が飛ぶ時は低く低く頭を垂れ、己を卑下する言葉を吐く。体を守るために、プライドを自ら切り刻んで相手に差し出すのだ。
 命令でもそれ以外の言葉でも、ぶつけられて浮上した感情を――言いたいことや訊きたいことを率直に告げる真似はしない。
 赤い瞳を細めて、相手の要望を叶えるために動き出す。
 彼は肩に手を当て、軽く腕を回した。両肩の付け根を包むように巻いているベルトは装飾目的ではなく、低い耐久性を補うためのもの。
 ピンク色の派手な髪は人間とは違う存在であることを示している。
 彼はAI搭載型アンドロイド、HANOI。雑務用の型番21。
 トーロファミリーの所有物にすぎず、構成員ですらない。
 彼がやらされることは専ら汚れ仕事だ。
 死体の処理、薬の取引など、やるのを人間が嫌がり、こなせば人間から疎まれる仕事全般を押し付けられている。
 彼が嫌悪を見せたのは最初だけだった。
 HANOIの抱く感情は人間が植え付けた記号であり錯覚にすぎないのだと、構成員から教え込まれた。
 暴力とともに言い聞かせてくる相手に反論は無意味だと悟った。
 周りにいるのは冷酷な人間ばかりで、己の扱いや関係の改善に希望を抱く余地はない。
 周囲への期待を捨てた彼は、善良な人間の存在を漠然と想像するだけだった。

『問2 人間に対して、強い苛立ちを感じたことがある』

 ある日、彼は政治家の息子を攫って来いと命令された。
「ハイ、喜んで」
 口に出すべき言葉はそれだけだと彼は知っている。
 余計な質問はしない。
 どんな言葉が返ってくるか、彼には容易に想像がつく。
「人間様に口ごたえするな。HANOI風情が」
 そう言われた後何をされるかも予想できる。
 以前、疑問を口にした時どんな目に遭ったか、彼はよく覚えている。無駄に傷を増やすのは馬鹿馬鹿しい。
 人さらいなど平穏に生きている人間が眉をひそめる非道な所業だ。
 だが、HANOIの感情は所詮記号にすぎないと教わった。罪悪感という高等な代物を期待するのは間違っているはずだ。
「なァ、そうだろ?」
 誰にともなく呟きながら彼は実行に移った。
 彼が拍子抜けするほどあっさりと誘拐は成功した。
 人を疑うことを知らないような朴訥とした雰囲気の少年は、あっけなく倉庫に押し込められた。
 倉庫は一般市民に見られたくないものが色々と詰め込まれている。内部は薄暗く、空気は冷たい。
 見られたくないものの一つになった少年は声を出す気力もないようだ。
 暗がりにいるため表情は分かりにくいが、怯えていることは伝わってくる。細い手足が震えている。
「……チッ」
 彼は舌打ちした。
 首尾よく任務を終えた。手間取ったり失敗したりして人間から殴られずに済む。
 安堵すべき状況でありながら、不快な感覚が喉元にせりあがる。
 見えない塊を打ち消すために彼は言葉を紡いだ。
「あーあー、気の毒に」
 皮肉を込めた台詞は、本人の想定よりも重い声で吐き出された。
 彼はもう一度舌打ちした。
 無性に腹が立つ。
 怯えている子供に。この状況を作った自分に。命じた人間に。
 酷い目に遭わされることを恐れて縮こまっている少年の姿は、彼にとってはなじみ深いものだ。
 自分より立場が上の相手に対しては顔色を窺い、従順に従い、慈悲を乞うしかない。
 強者は弱者を道具として酷使し、踏みにじる。相手が人間でも、それ以外でも。

『問3 人間の命令に背いたことがある』

 彼は少年の状態を確認すべく倉庫を訪れた。
 獲物の様子を見に行くのは初めてではない。
 勝手に死なれたらせっかくの仕事が無駄になる。人質が健康な状態を維持しないと、取引もスムーズに進まないだろう。不備があって自分が責められては困る。
 頭の中で理由を並べながら、彼はしかめっ面で歩み寄る。
 観察の際に少年と言葉を交わすことに、大した意味はない。恐怖に支配されていた少年の表情が少し明るくなったことも、些末事であるはずだ。
 今まで通り異変が無いか彼が確認しようとした瞬間、相手は声を上げた。
「ど……どうしたの? それ」
「何が?」
 虚を突かれて瞬きをした彼に、少年は視線を動かして必死に訴える。眼差しは彼の頬と口元に向けられている。頬には殴られた跡があり、唇には血がにじんでいた。
「ケガ、してる。何で」
「ああ……大したことじゃありませんよ」
 顔を曇らせ必死に見つめる少年に対し、彼は軽く顔を背けて笑みを浮かべた。
 少年の扱いに口を出して殴られた。腹も蹴られた。そんなことをわざわざ知らせる必要はない。
 HANOIが人間に余計なことを尋ねる方が悪い。主人に口ごたえする出来損ないは殴られて当然。それがここでのルールだ。
「自分を攫った奴を心配するなんてお人好しですねェ。俺はHANOIなんですよ?」
 努めて軽い口調で返すが、少年の顔は晴れない。
「そんなこと言ったって……痛いのに」
 少年は今にも泣きそうだ。自分が怪我したかのように。
 予想外の展開に、彼の胸に得体のしれない感覚が広がった。こんな表情や言葉には慣れていない。
(コイツは味方が欲しいだけだ)
 人間が他者に親切にする時は、何か目的があるに決まっている。
 優しくするのは優しくされたいからだ。
 心細いから縋りついて、安心感を得ようとしている。HANOIならば人間よりも味方に引き入れやすいと期待したのかもしれない。
 彼は己に言い聞かせるが、心配そうな眼差しを浴びると考えが揺らぎ、落ち着かない。
「他人の心配してる場合かよ」
 思わず口をついて出た言葉に彼は顔をしかめた。
 子供を怯えさせたところで何の意味もないのに、未知の感覚に戸惑い、苛立ちをぶつけてしまった。
 後悔を噛みしめる彼の前で、少年は顔をひきつらせた。「ひっ」という弱々しい声を漏らし、ぶるりと身を震わせる。
「ぼく……殺されちゃうの……?」
 震える声で喋る少年は顔色も悪い。
 目じりに水滴が溜まり、頬を滑る。今まで堪えていた分を発散するかのように、雫が次から次へと零れ落ちる。
「っ……」
 声を押し殺しても涙は溢れてしまう。
 彼は泣きじゃくる子供を前に黙り込んだ。ややあって、慎重に言葉を選びながら答える。
「わざわざ攫うよう命じたからには、目的があるんでしょう。利用価値があるうちは、そう簡単には殺さないと思いますよ」
 確実に助かる、絶対に無事でいられるといった気休めは口にできない。
 希望的観測を告げるだけで精一杯だが、彼の想いが伝わったのか、少年の涙が止まった。
「……うん」
 という呟きとともに、少年は小さく頷いた。
 しばらく沈黙が流れたが、遠慮がちな呼びかけで破られた。
「あの、おにいさん」
「何? おチビさん」
 おずおずと話しかけた少年とそっけなく答えた彼の間に、わずかに弛緩した空気が漂った。
 チビと呼ばれた少年は眉を下げ、情けない声で抗議した。
「その呼び方はやめてよぉ……。ぼくにはちゃんと名前があるんだから」
「それは命令ですか?」
「もう!」
 飄々と答えた彼に少年は頬を膨らませた。
 泣いたり怒ったり忙しいな、と感心しながら彼が眺めていると、少年は名案を思い付いたかのように顔を輝かせた。
「ねえ。おにいさんの名前呼ぶから、ぼくにもそうしてよ」
「お生憎様。俺は名前なんて頂ける身分じゃないんでね」
 彼が意地の悪い笑みを浮かべて答えると、少年は言葉を失った。視線を彷徨わせ、表情の選択にも迷っているようだ。
 少年は唸ってから口を開いた。
「じゃあ、ぼくが考える」
 その時なんと答えたか、彼は上手く思い出せない。

『問4 人間に殺意を抱いたことがある』

 彼は床を見下ろしていた。
 ガラクタのように転がっているのは、少し前まで己と喋っていた少年の躯。
 血のこびりついた、人の形をしているものだ。
 彼は言葉を発さずに死体を眺める。
 少年の目は暗い穴同然で何も映していない。生命の抜けた顔はいびつな形に固まり、出来の悪い仮面のようだ。
 どんな名前を考えていたか、知るすべはない。
 彼の胸は驚くほど静かだった。淡々と目の前の光景を受け止め、受け入れていた。
(これは反面教師だ)
 彼の脳内に厳かな声が響いた。
 役に立たなければ、用済みになれば、処分される。
 自分はこうならないように立ち回らなければならない。現実を改めて教えてくれたことには感謝するが、他にやることはない。少年に対してなすべきことは、何もなかった。
 彼は視線を上げた。
 目に入ったのは、人のよさそうな男の面だ。
 男の素性を知らない一般人に印象を尋ねれば、ほぼ全員が「善人」と答えるだろう。愛する妻や可愛い息子を自慢する姿は、どこからどう見ても「いい人」だ。HANOIに罵声を浴びせることもしないため、彼にとってはマシな人間のはずだった。
 少年の命を奪った直後でも男の感情に大きな乱れはない。交渉が決裂し、子供を始末した状況で浮かべたのは、雨に降られたような困り顔だ。
 男は軽く嘆息を漏らし、周囲の人間と言葉を交わした後、出て行った。
 残った人間が乱暴に舌打ちし、彼に指示を出す。
「ガキを埋めとけ」
「ハイ、喜んで」
 自分の口が動くのを彼は他人事のように感じていた。こう答える時はいつも苦い感覚を押し殺してきたのに、今回は滑らかに言葉が出てきた。
 闇の中、埋める場所を探す時も現実感がなかった。
「仕方なかった」
 無意識の呟きは弁解じみていた。
 誘拐しろという命令を彼が拒否したとしても事態は変わらなかった。別の者が同じ仕事をこなしただろう。
 彼が助けようとしたところで無駄だった。二人とも殺されて終わるだけだ。
 少年の死は避けられなかった。
 仕方がなかった。仕方ない。
 ぐるぐると回る言葉を、彼は頭を振って追い出そうとした。
 これはありふれた日常だ。
 彼がやることは、要らなくなった道具を片付けるだけの作業。いつもの仕事だ。人間だったモノを見慣れてしまい、吐き気を催す段階はとうに過ぎた。
 何一つ、目新しくない出来事だ。電子頭脳の内部がかき回されるような感覚を抱く理由はない。
 彼はシャベルの先端を土に突き刺し、足をかけ、体重を乗せる。土を掬っては放り投げる。
 そのたびに体が揺れ、胴に穴が開いたような感覚が広がっていく。
 かすかに残っていた熱が霧散していくのを彼はぼんやりと感じていた。
(人間なんて、全員……)
 まとまらない思考の波間から声が聞こえる。
 「善良な人間もどこかにいる」という青臭い考えは捨てろと。
 善人の存在を夢想しては日々の作業が辛くなる。
 仮にそんな人間が彼の前に現れたところで、救いにはならない。出会った先に待つのは絶望だけだ。
 期待には失望が、信頼には裏切りが返されるのだから、最初から希望を持つべきではない。諦めていれば余計な傷を負わずにすむ。
 空に雲が立ち込め、闇がいっそう深まった。水滴がぽつりぽつりと地を叩き、彼の体を濡らしていく。
「っ……」
 深く、深く、穴を掘る。
 善良さの残骸を埋めるために。
 頬を滑る透明な雫が、二度と溢れることのないように。

『問100』

『自分は人間を、躊躇いなく殺せると思う』
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