拍手してくださった方、ありがとうございます!
>ぽこ様
原作だと鬼岩城と言えばダイに盛大にぶっ壊される印象が強いのですが、アニメだとド迫力です。
巨大な全身が実際に動くところを見るとプレッシャーが違います。
この鬼岩城編は最もCGの恩恵を受けているかもしれません。
>ミストバーン、ヒュンケル、マァムの光やら闇やら正義やら邪悪やらの問答
仰る通り、善悪や正義という概念が光・闇という力の属性と混ざっているように見えて、首をかしげてしまいます。
原作だとバラン戦で竜の騎士の恐ろしさが描かれ、武術大会の時にダイの竜の騎士の力を都合よく正義の力扱いしていたことを振り返るなど、力とその使い方に対する描写のバランスがとれていると思っただけに、鬼岩城編での正義の力・悪の力という構図に引っ掛かりました。
>あの世界じゃ正義と悪って言葉は光と闇の別の言い回し程度の~
光の力と闇の力ならば違和感は減りますね。
正義と言わず、「光の力で戦う!」だけならば、「相性がいいから……」で終わったかもしれません。
カニフラワーで笑いました。食べてみたいです。
創造主に対して「事情を知っていて力もあるならお前が戦えよ」という考えが心のどこかにあったので、フシの言葉に頷きました。
メッセージありがとうございました!
『バトゥーキ』は父と娘の感動の再会なのにBJや純悟のことがあって喜べない。
愛する者だの家族の絆だの言い出したBJにどの面下げてと言いたくなるな。
親を人質に取って戦いに引きずり込んだ奴が一里の家族面すんな。
自分を家族の一員と思ってやがる……。
純悟が危ない橋を渡りまくっていてハラハラする。
前回のダイ大アニメ感想で「バーン様の明るい笑顔で元気になれる」と書きましたが、正確ではありませんでした。
「明るい笑顔でもぶちのめされる姿でも元気になれる」に訂正いたします。
好きなキャラがぶちのめされるのが好きなんですが、タワハノのT2はキツいんですよね……。引き込まれるけどもう一度見たくはない。
HANOI達は悪役ではなく仲間ですし、コーラルに倒されて絶望したまま終わる。
ナナシにとって自身の名前はT1だと何よりも大切な宝物で、T2だと要らないものになるのが辛い。
「つけてくれた」って言い方がなぁ……嬉しかったんだ。
ジョルジュやクレヨン、ローランドの戦闘グラフィックはカッコいいと思ったけど、ナナシにはそんな気分も湧かなかった。
「こっち向けよ……目を合わせてくれよ」と思っていました。
ナナシ・クレヨン・ローランドがキツくて、最後にノロイと戦う頃には心が麻痺してました。
何人殺したと問われて「お前以外の全員だよ」という答えが浮かぶくらいやけくそ投げやりになってた。
ラスボス戦まできたら自棄通り越して冷静になって「イベント進むまでダメージ入らないか。それまでバフかけよう」と考えながら淡々と戦っていた記憶が。
T2……シューニャルートもTrueENDの一つではあるものの、やっぱりT1が好きです。
何となくHANOIルート確定後の清掃員戦について考えて思ったんですが、この時の清掃員の状況はとちゅう君と似ているんじゃないでしょうか?
苦痛に苛まれて訳もわからず主人公達を攻撃するところが。
そう考えると、過去にやったことが自身に振りかかったと言えるかもしれません。
清掃員はとちゅう君を実験台扱いして苦痛や絶望、恐怖を味わわせたんですよね。
シューニャ、そして自身の記憶喪失時はコーラルに優しいから忘れがちですが、とちゅう君や他の数字への仕打ちはえげつない。
おまけ部屋でとちゅう君が落ち着けてよかったと安堵したものの、清掃員で話しかけると苦しむのを見て心が冷えました。
シューニャ達への優しさも数字達への残酷さもどちらも本物だと思います。
そして、大事に想っているシューニャに対しても残酷なことをしたと言えるのではないでしょうか。
彼女が悲しむと知りながら、自分が進んで生贄になることで引き返せなくしたので。
優しさも残酷さも備えているのはシューニャにも言えますね。
ダイ大アニメ感想 第40話『闇の師弟対決』
破壊描写が盛られてる。
特に呪文の威力が大きくなってる。
こうやって見るとマァムにも範囲攻撃が欲しいな。
「破ァッ!」と掌をつき出すと衝撃波が飛んでったり、拳を握って両肘を腰につけるように構えて「フンッ!」と気合を込めると周囲の敵が弾け飛んだり。
狙ったかのようなタイミングでヒュンケルが参戦し、ミストバーンと対峙。
結末を知っていると「オレに倒される」で「あ、はい」となりますね。
力や体が強くなったのはミストバーンの存在が大きかったんだろうから、そこにはしっかり触れてほしかった。
それらの強化がなかったらここまで来ることもできなかったでしょう。
あ、精神が立派に育ったのはバルトスとアバンとヒュンケル本人のおかげだと思います。
人格面でもいい影響を与えたなら、さすがに尊敬や感謝の対象になったはず。回想でいい感じに登場してなんかいいこと言って元の場面に戻ったり。
そんな展開はまるでなかったので、完全に道具扱いだったのでしょう。
人間基準だと長い付き合いで、命を救ったり技を教えたりした相手なのに、ヒュンケルからの前向きな感情が感じられないからなあ。
「ヒュンケルにとっての悪しき過去への清算なのだ」
やっぱり変更されなかったか。
「能力をよく知ってるから相手をする」というだけなら何の異論もありません。
ただ、それに過去への清算がついてくると、ミストバーンが復讐の道の出発点というわけじゃないので乗りきれない。
ヒュンケルは復讐する気はなかったのに唆したとか、嫌がってるのに無理矢理国を襲わせたとか、洗脳して性格を変えたとか、全ての始まりと思わせる材料がない。
ろくに喋らず技を教えた相手を倒すことで清算扱いされても……暗い過去要素をまとめてミストバーンとの師弟関係に押し込めようとしてない?
ヒュンケルの攻撃をミストバーンは舞うように躱す。
ヒュンケル頑張れ! 当てろ!
できれば光の闘気で蜂の巣にしてほしいんですよね。
それで霧が薄れて閉ざされた目が見えると最高です。「仮面の一部が壊れて片目が覗く」シチュエーションが好きなので。
ミストバーンのふくらはぎが見えないか必死に目を凝らしても見えませんでした。
ますますザボエラが羨ましくなってきた。足にしがみつくようにして隠れるとか……。ガチガチなのかムキムキなのか教えてほしい。
無理矢理自害させようとするってヒュンケルのやり方もなかなかえげつないな。悪役みたいなことしてる。
ミストバーンも負けじと悪役っぷりを見せる。
「お前は父親から玩具をもらったことはないのか? 壊れた玩具はこうなるのが運命だ」
キレッキレの口撃。
父の死に苦しみ罪を犯したヒュンケルにこの台詞。外道。
さすがバーン様の一番の部下兼キルバーンの親友やってるだけはある。
ミストバーンを囲んで叩こうとしたポップ達にミストバーンの技が炸裂!
「闘魔滅砕陣!」
これだぁ!
トップクラスに好きな技! かっけー!
暗黒の力で対抗しようとするヒュンケルをマァムが止める。
「たまたまうまくいったからよかったものの、一歩間違えれば全員死んでただろ……」という展開は珍しくないのでマァムだけ責めるのはフェアじゃないのですが、引っかかる。
正義の力だけで戦えって……今まさに仲間が殺されそうになっている時に?
「敵が妙に煽ってくる、何か企んでる?」と警戒して止めるなら分かるけど、そういう理由ではない。
光の闘気=正義の力というのもなぁ。
暗黒闘気=悪の力ということになると、色々と疑問が浮かぶ。
体質的にそういう力しか使えない奴は皆邪心に染まってるの?
いちいち憎しみ滾らせずに普通に使ってるけど。
終盤のハドラーは勝負したいだけなのでほぼ光の闘気メンタルですが、超魔生物だから魔炎気です。
仲間を守りたくて出そうとしてもアウトなのか? 使い方が大事じゃないの?
バランを見て特にそう思ったんですよね。
「世界の秩序を守るため神に生み出された竜の騎士の力」なんて聞けば圧倒的に正義の力としか思えないのに、八つ当たりによる無辜の民の虐殺に使われました。どう考えても善や正義とは思えない。
暗黒闘気を使えば使うほど狂暴になるとか、言動が支離滅裂になるとか、反動で体がボロボロになっていくとかあれば問答無用で悪の力と思えたかもしれません。
そう考えると竜魔人化は危険さが伝わるものでした。
愛する我が子を仕留めたと勘違いして高笑いするバランの姿に異常さを感じた。
原作だと「何やってんだよ……」「ものすごく大人げない!」という印象でしたが、アニメは声がつくことで衝動に呑まれていると痛感させた。
「おかしくなってる……」と思わせ、ぞっとさせる描写だったので、ダイが躊躇うのも納得できます。
しかし、暗黒闘気を見てもそういう危険さは伝わりづらい。
アンデッドという暗黒の力あっての存在に育てられ、誤解だったとはいえ正義の残酷さを味わったヒュンケルが、光=正義万歳で終わるのはなぁ。
正義と言わず、闇の力に光の力で勝つというだけならここまで引っかからなかったかもしれません。ただの属性や相性の話なら。
過去の清算や正義の力という言い方に疑問を呈したものの、だからといってミストバーンは悪くないなどと言うつもりはありません。
相手を害虫呼ばわりして皆殺しにしようとする男は倒すしかない。
敵への容赦のなさだけでなく、弟子への扱いの酷さもかなりのもの。
同じ陣営だった頃はろくに会話せず、敵対してからはご覧の有様です。
父を深く想っているヒュンケルにわざわざ父親という言葉を使い、壊れたオモチャ呼ばわりして、ポイ捨て。惨い。
ザボエラの扱いの悪さに対して「周囲からの扱いが悪いと言われたりするけど、うまくやっていけそうな相手も道具扱いするからだよ」と答えるのは簡単ですが、ミストにも言えるかもしれません。
ミストの場合、扱いの悪さを退場の酷さに置き換えれば通じそう。
「退場の仕方が酷いと言うけど、いい関係を築けそうな相手を道具扱いするからだろ」……当てはまるな。
ヒュンケルやハドラーへの対応が違っていればもうちょいマシな最期になったかもしれない。熱い連中と、なんかこう盛り上がって、後は流れでお願いします。
ザボエラもミストバーンもキルバーンも退場の仕方が似ている気がする。
相手を甘く見て勝ち誇った直後に狼狽え死んでいく。
もしかして三条先生の中では同じカテゴリに入ってるのか?
ミストの最期は、ザボエラの「道具扱いした相手に魂胆を見抜かれ返り討ち」とキルバーンの「散々逆転劇を繰り広げた最大限警戒すべき相手の底力を甘く見た」のハイブリッドと言えるような……。
前回や今回のように冷酷さを散々披露しながら、熱さも備えているのがミストバーンの面白いところです。
主人公達は後者をあまり知らずに終わったのが残念。
ハドラーを心配したり彼を侮辱した相手に怒ったり、そういった一面は知らないままでした。
知るのはバーン様とキルバーンくらいか?
肝心のハドラーも知らないのが……。
時間稼ぎを頼んだハドラーにミストバーンが長々と答えたけど、作中でハドラーに思ったことをストレートにぶつけるのはあれが最後かも。
あとは短いやり取りで、相手のいないところで心配したりキレたりするので。
原作のカメラに映ってない部分で普通に明かしていた可能性はありますが……。
心から尊敬していると告げられた場合、ハドラーがどう答えるか気になる。